2011年11月23日水曜日

アメリカの財政緊縮ショックと金融政策

アメリカの強制的財政緊縮が現実のものになるとの報道で揺れている。しかし、今夏のアメリカ国債格下げに端を発した政権・議会調整で、来年以降は相当激烈な財政緊縮インパクトが出て来るだろうと予想しておくべきであったし、事実ほとんどのプロフェッショナルは予想しているはずだ。騒いでいるのはマスメディアだけである。マスメディアがその不見識のために不必要に騒ぎ、それが原因となって経済動向に詳しくはない一般の人々を不安にさせ、それがきっかけになって不安が社会化し、ネガティブな衝撃を生み出すとすれば、マスメディアが作り出している付加価値はマイナスであると断言してもよいほどだ。

さて英紙Financial Timesには、アメリカのFEDが第3次量的緩和(QE3)を検討するのかという解説記事がある。
The US Federal Reserve is unlikely to ease monetary policy any further until it has settled on a new communication strategy, according to the minutes of its November meeting released on Tuesday. 
Only “a few members” of the rate-setting Federal Open Market Committee thought that the sluggish economic outlook “might warrant further accommodation”, suggesting that any move towards a new round of quantitative easing – QE3 – is still some way off. (Source: Financial Times, 22 Nov 2011)
どうやら年末から年明けにかけての経済動向によってはQE3実施がありうるものとされているが、それはまだ先のことである。そんなニュアンスだ。いまFEDが考えている、というか議論しているのは新たなコミュニケーションツールだと言う。
The FOMC considered a wide range of communication tools in November, but chairman Ben Bernanke instructed a subcommittee to concentrate on two in particular: “a possible statement of the Committee’s longer-run goals and policy strategy” and publishing what FOMC members think will be “appropriate monetary policy” in the future. 
A statement of the Fed’s longer-run goals could be a way for the FOMC to finally adopt an explicit inflation target, something that Mr Bernanke has pursued since he became chairman in 2006. Such a statement could make clear that the Fed is still committed to maximum employment as well.
長期的政策意図について、国民、市場にどのようにして正確な認識を形成できるのか、形成すること自体が一つの有効な金融政策であるという点が非常に大事だ。バブルは予想に基づいて発現するマクロ経済的症状であるし、バブル崩壊後の低迷も心理的萎縮に基づく部分が多い。マクロ経済において企業、消費者、政府は主要なプレーヤーである。政府の働きかけが有効なフォーカル・ポイント(≒合図、標識という意味のゲーム論用語)となることによって、低位均衡点から高位均衡点へ移ることができるのであれば、そんなプラスの結果をうむような政府の行動、政府が行うコミュニケーションはどのようなものであるべきか?それがコミュニケーション・ツールの研究に込められた狙いだ。

インフレーション・ターゲットは、時間的不整合があると言われて来た。つまり、インフレ率引き上げにコミットしているように見えて、実際にインフレ率が上がれば、それを抑えにかかる動機を中央銀行は最初から持っているので、インフレーション・ターゲットという政策手段は効力を持たないのだ、という考えだ。しかし、バブルの発生の背後にはそもそも中央銀行を見る何らかのマーケット側の予想があった。だとすれば、バブル崩壊という負の衝撃から立ち直る際にも、政策当局がとるべきパフォーマンスがあるのだろう。これが戦争であれば、総司令官の一挙手一投足が注視されている。その司令官の一つ一つの行動、一つ一つの言葉が、ひいては部隊全体の集団行動を変えることになる。それが勝敗を分ける鍵になることは言うを待たない。

日本でも、以前は経済白書が毎年注目されて来た。数年ごとに総合経済計画を作り替えてきた。国土利用計画もそうであった。これらの△△計画は市場経済には似つかわしくないものという声があがり、どれも21世紀になってからは、あるかないかという状態になった。◯◯白書も「いまさら公務員に分析してもらわなくとも、民間に専門的エコノミストがいる」という声が上がり、最近では評判になることもない。しかしながら、政府の計画や白書公表は、それ自体に強制力や権威があったわけではなく、企業、消費者、関係国など日本と関係のあるプレーヤーが共通の予想、将来ビジョンをもつコミュニケーション・ツールとして役立って来たものである。それもまた政策ツールであった。そんな指摘は前世紀末の中央官庁再編成においてもあったはずなのだ。

この10数年の間、規制緩和と小さな政府という政策潮流の中で、私たちは侍が髷を捨て、刀をすて、脇差しをすて、裃を捨て、果ては武士道を捨て、行動規範をも捨てて来たように、何か有用な、一度捨ててしまうと作り直すのが至難な大事な道具を捨ててしまったのかもしれない。というか、小生は事実そうではなかったのかと、ほぼ確信している。

ま、文字通り<覆水盆に返らず>ではあるのだが。<役に立っていないものはないのじゃよ>、ご隠居がよく宣う台詞だが、流行といえば流行だったが、ちと軽率な進め方でありましたな、日本政府は。


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