2012年1月31日火曜日

経済学を知らない欧州当局?

Financial Timesが欧州財政統合について論じている。コピー・ペーストには厳格であるようなので、オリジナルをリンクしておく。


とはいえ結論の部分だけは許容範囲だろうと思われる。
So if Spain were to follow the example of Greece, and ignore what happened in Japan, the most likely result would be a severe and prolonged recession. To me, that is a much larger threat to the eurozone than any of the various crisis offshoots that excite us momentarily. In the big scheme of things, it really does not matter whether Greek bondholders agree on a voluntary participation. If Spain were to fall down a black hole, no rescue fund, however large, would be able to drag it out. 
The irony is that a fiscal treaty that set out to reduce the eurozone’s debt could be the cause of a debt explosion, because it greatly increases the risks of a semi-permanent slump in large parts of southern Europe. If that were to happen, nothing could save the eurozone. (Source: Financial Times, January 29, 2012 9:01 pm, by Wolfgang Münchau)
筆者のMünchau氏は今回の財政協定は”狂気の沙汰(quite mad)”と形容している。善かれと思って実行することが良い結果を生むとは限らない。財政緊縮はその典型である。スペインが、IMF推奨の緊縮策をより一層ドラスティックにして財政赤字縮小を目指す。これは破滅的な負のループにヨーロッパ全体を陥れることになるだろう。景気後退期には税収の自然減など自動安定装置(Built-in Stabilizer) を活用するべきであって、意図的に財政均衡を目指すべきではない。この指摘は、マクロ経済学のテキスト通りで大変オーソドックスだ。昨夏のECBによる唐突な金利引き上げもそうだが、確かに大陸欧州の政策当局は経済学を知らない。そう言われても仕方がありません。

だから今回の財政協定は<不必要>であるとファイナンシャル・タイムズは論じている。キャメロン首相との対立も不必要な対立である、と。英国は、いまのEUについていけない。そんな議論だ。

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同じことは、野田現政権が進めようとしている消費税率引き上げについても当てはまりそうだ。が、こちらは話しは別。IMF、OECDとも日本については、いつ金融市場が混乱して、国債が販売不能になるかもしれないので、可及的速やかに増税をするのがよいと推奨している。たとえば

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強調されている背景は、言うまでもなく東日本大震災からの復興事業に要する財源調達。新しく発生した財政需要に対して、国債の新規発行では、市場で消化しきれないという判断がある。

小生、いつも最も不思議に思うのは、民主党のマニフェストだ。大震災前に作成した長期方針が、大震災後にも通用するかのように議論している。その民主党とマスメディアの思考構造である。たとえば関東大震災前に政府が公表していた政策方針が、大震災の後にも変更なく有効であったか。そんなはずがないであろう。

起こった大災害は起こったものとして戦略を変更しなくてはならない。変更するのは、無論、その時点で政権にある与党である。いくら政権に戻りたいと思っても「現在のマニフェストでは今回の大震災は想定されていない。故に、現在のマニフェストは破産している。与党は有権者との約束を果たせない。早々に解散をして民意を問うべきである」、こんな風に叫ぶ野党党首がいたとすれば、単なる<バカ>である。想定外の変動が起きるたびに選挙をしないといけない。野党は想定外の大災害を待ち望むようになるだろう。そんなモチベーションを与える制度が良い制度であるはずがない。

民主党は、大震災後の日本が歩むべき道筋を示すために<改訂マニフェスト>を速やかにまとめるべきである。それに基づいて、消費税率引き上げと社会保障の再構築に関して議論するのが正攻法のはずである。













2012年1月30日月曜日

スタッフの業か?為すべきことを諦め、為し得ることを為す

好きな作家にアイザック・アシモフがいる。ア氏のファウンデーション・シリーズはデューン「砂の惑星」とともに小生が若かったころ、仕事仕事で無味乾燥だった毎日を支えてくれた大作である。そのファウンデーション・シリーズは、ア氏が他界した後、グレゴリー・ベンフォードの「ファウンデーションの危機」によって書き継がれた。そこで出てくるショート・フレーズ
天才は為すべきことを為し、秀才は為し得ることを為す
これが、小生、とても気に入っているのだ。

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時々、想像してみる。いま経済産業省に勤務していてエネルギー事業を担当していたらどうであったろうと。そもそも福島原発事故による損害賠償債務はサンクコストであり、東電はその債務弁済を電力事業で回収することはできない理屈だ。できるとすれば、顧客が東電以外の企業からエネルギーを購入することが不可能で、しかもそれを政府が担保している。そんな法的独占が必要である。しかし、法的独占の下で賠償支払いを円滑にするに十分な価格を設定しようとすれば、やはりそれは政治的に可能ではないだろう。また、首都圏だけをそうしても意味がない。日本全体でエネルギー独占体制を堅持し、その枠組みの中で賠償債務を価格に転嫁する。事業で回収しようとすれば、こうするしかないのがロジックだ。理屈としてはあるが、実際には製造業の海外シフトを加速させるだけだから、どう考えても東電による円滑な賠償支払いは無理である ― しかも現時点においては、原発再稼働を社会が受け入れるかどうかというハードルまである。

とすれば、企業として東電が保有している資産を売却して賠償するしかない。債務超過に陥れば、あとは国の責任になる。国の責任を東電に対する公的資本注入という形で実行するか、それとも東電を清算して、別の組織が賠償債務を引き継ぐか。行きつくところは、この点の検討しかないわけである。

しかし、「この点の検討しかないと思うのです」と述べたところで、「誰も君の考えを聞いちゃいないよ」という風にしか物事は進んでいかないだろう。そもそも総理大臣や経済産業大臣が考える線に従って物事を進めることすらできないのが現実なのだから。現時点で政策決定を支配しているのは<ロジック>だけではないだろう。東京電力という巨大企業に残っている生存本能、政治家との仁義、責任回避を求めるエゴ等々、あらゆるファクターがもつれ合っているはずであり、一人一人の官僚が構築する理屈は、しょせん理屈でしかない。

与えられた組織の中で与えられた責任と権限の中で仕事を全うしようとすれば、自らの為し得ることの中で最善の選択肢をとることで満足するしかない。たとえそれが、学問的な見地から正当ではないと自らは考えていても、組織とそれをとりまく社会が容認しないのであれば、為すべきことを為すことはできない。秀才は努力をすれば誰でもなりうるが、天才は努力をしてもなれるわけではない。秀才は教育によって養成可能であるが、天才は社会がそれを認めるかどうかにかかっている。

為すべきことを為す人材がいないとすれば、それは天才が権力を得る機会がないからだ。アシモフ=ベンフォードならそう言うにちがいない。真の天才は、機会が与えられずとも、自らが機会を創出して、それを為すのであろうが。

2012年1月29日日曜日

日曜日の話し(1/29)

昨日は、卒業年次の学生達によるビジネスワークショップが札駅前サテライトにて開催されたのだが、千歳線雪害のためJRが走らず、1時間の遅参となった。自宅はマンションゆえ除雪の労役は免れているが、戸建ての住人は誠に大変であるよし。

雪は、北海道においては只々労働の原因となる厄介者であるが、それでも夜になって静寂の中を帰宅する時、深々と降る雪の中を歩くのは心やすまるひと時である。見あげれば北極星や北斗七星がはっきりと眺められるなら尚更のことだ。小生は、冬空にかかる銀河がいかに雄大であるか、北海道に移住して初めて知った。惜しむらくは雪の上がった晴天の夜にしか見られないことだ。

雪を描いた名作となると絵画では印象派のモネが懐かしい。古くはブリューゲルも雪景が上手だ。


モネ、雪のアルジャントゥイユ、1875年

モネは他にも何枚か雪の絵を描いているが、いずれも暖かく、生命を包みこむ感覚に満ちている。しかし、上の作品をみても、これは雪が降り積もった風景であって、雪が降り積もりつつあるその時ではないようだ。

小生が好む現代洋画家に戸狩公久氏がいる。呼吸を学ぶため模写をさせて頂いたこともある。下は氏が小樽を主題とした名品である。


戸狩公久、北幻(小樽)

まさに雪が天から落ちてきているその時間における港と石造り倉庫を描いている。温かい雪ではないが、モネの雪に比べると意外と饒舌な雪である。冷たくはあるが、雪の下で熱い生命を育てている、そういう雪ではなかろうか。

2012年1月27日金曜日

メルケル税制改革の収穫期が訪れたドイツ?

日本の野田政権と財務省は悲願の消費税率引き上げに向けて<不退転>の姿勢を貫く覚悟のようだ。それにしても、震災復興、電力不安さらには欧州債務危機にまで揺さぶられる国内経済の中、「なぜいま?」という声は強い。

独紙Sueddeutsche Zeitungには以下の報道があった。
Im Dezember 2011 hat der Bund so viele Steuern wie noch nie in einem Monat eingenommen: Finanzminister Schäuble darf sich einem Bericht des Handelsblatts zufolge über mehr als 70 Milliarden Euro freuen. Das bedeutet für den Bund: Die Neuverschuldung 2012 könnte niedriger ausfallen als geplant. (Source: SZ 27, 1, 2012)
昨年12月のドイツの税収は、景気後退の懸念が強まる欧州にあって何と過去最高を記録したとのこと。この結果、国債の新規発行は予定より下目で済みそうであるとの見込み。何と羨ましい。我が国の財務省官僚は唸りそうである。


しかし、これも付け焼き刃ではない改革の長い道のりを経た成果である。たとえば資料「ドイツ税制改革」を参照。下は資料本文から引用した。
2005 年の連邦議会選挙の結果、社会民主党(SPD)とキリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)による大連立政権が成立し、CDU党首のメルケルが首相に就任した。当時のドイツは、4年連続でマーストリヒト条約における財政赤字基準(一般政府の財政赤字対GDP比3%以内に抑制等)を超過しており、財政再建が喫緊の課題とされていた。こうした背景から、メルケル大連立政権の下で、一連の税制抜本改革が行われることとなった。
2005年の政権獲得後、キリスト教民主/社会同盟は前与党である社会民主党とメルケル大連立内閣を結成し、EU条約違反となっていた財政不均衡を是正するため、税制改革を実行した。政権獲得の翌年には付加価値税率の引き上げ、所得税最高税率の引き上げを決め、1年後には法人税率の引き下げを決めた。柱がしっかりとした誠に骨太の政策であり、「1万円ばらまき」のような華奢な人気取り政策は議論すらしていない。リーマン危機の少し以前のことであり、経済状況はピークアウトの心配は唱えられていたが、その後に比すれば御の字であった。時機の選択は適切だった。

これに比べると・・・などと言っても何が始まるわけでもないが、国家に責任をとることをためらわない「西洋の政党」と日本の政党物真似劇との違いが如実に現れているではないか。これでは、極めて悪い意味での<和魂洋才>。真似するなら全て100%、西洋のマネをするべきであった。

2012年1月26日木曜日

バンドワゴン効果なのか?タイムドメイン社のスピーカーをゲット

スピーカー"TIMEDOMAIN light"を買って、それにiPhone 4Sをつないでプレスリーを聴いているところだ。価格は約2万円。いままではBOSEを使っていた。

聴いた第一印象は、低音部が弱い。しかし、ずっと聴いていると、BOSEの音は輪郭が広がっていて些かファジーであるのに比べて、TIMEDOMAINは輪郭線の線幅が1ピクセルという感じで、極めて明瞭である。「これでクリアだという評価につながっているのだな」と、納得した次第だ。

それにしても、この音がアンプ内蔵で2万円とは・・・音を拾っている機械がiPhoneという携帯であるので、2万円ポッキリというわけではないが、安く良質の音が手に入るようになったものだ。

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小生がオーディオなるものに初めて触れたのは、すごく遅くて中学一年の頃である。亡くなった父が母と一緒に秋葉原まで出かけてVictorのコンソール型(といったか、一体型のやつである)の幅が1メートル以上もあるステレオを注文してきたのだ。それが冬休みに入ってから我が家に届き、当時のピアノの大家Wilhelm Kempffによるベートーベン・ピアノ奏鳴曲第8番をきいた、それが小生のオーディオ初体験だ。あのステレオはいくらしたのだろうかなあ?確か9万円とか、10万円とか母が言っていたような気がするが。であるとすれば、帰属家賃を除く消費者物価指数(総合)で物価全般を測ると、2005年を100とする接続指数で1965年当時は25.5である。2005年以降はほとんど消費者物価は横ばいだから、概ね当時の価格を4倍すると今の生活感覚に近くなる。9万のステレオは、今の尺度にすれば36万円になる計算だ。

高級なオーディオ製品を買ってきたものだなあ、と。今更ながら父の購入動機をいぶかしく思います。それにも増して、いま聴いているタイムドメインの音質はなかなか良く、当時のビクターより確実に上を行っている。しかしながら、満足度は比べ物にならず、昭和40年当時のステレオが勝っている。音は悪くとも36万円の価値があった。音は良くなっていても、いまは2万円の価値しかない。昔と同じ音質なら1万円もカネを払おうとしないだろう。

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良いものを作ってもカネを払おうとしない時代。だからデフレなのだな。そうも言える。それは人が満足を感じなくなったからだ。

いくら良質のものを作っても、技術を磨いても、人が価値を認めなければ、カネを払って買おうとはしない。カネは、その人の汗と労力の果実だからだ。少しの報酬を得るのに苦労をする時代であれば、なおのことカネを大事にする。人が価値を感じる根源には、人の汗と労力、それと涙がある。楽に、自動的に提供されるものに、人は価値を認めようとはしない。その意味で、マルクスの、というかアダム・スミスの<労働価値説>は完全に死んではいない。金融界の高給に広く疑惑が浸透しているのは、それが真の価値を提供したことによる対価ではなく、多くは偶然とラッキー、更にはウソによる収入だとみているからだと考察される。

そう考えると、モノではなく、いま価値を認められるのはサービスだということになる。心遣いと、馳走の精神に人は価値をみとめ、感謝の気持ちとしてカネを払う。だからサービスは「儲かる」のだ。無手勝流で金儲けをする奴らよと伝統的製造業が宣うとすれば、それは価値の本質を忘れた嫉妬である。日本はモノ作りの国という製造業界自作自演による神話劇はそろそろお仕舞いにする時期が来たようだ。

2012年1月25日水曜日

ベア支持論は労組シンパになるのか?

またまた日経から引用すると以下のような報道がある。経団連と連合の定昇是非論である。
経団連と連合は25日午前、2012年の春季交渉を巡るトップ会談を開き、労使間の協議が事実上始まった。経団連は今回の経営側の指針として、一人ひとりの基本給を一定時期に上げる定期昇給について「延期・凍結」の可能性を指摘している。これに対し連合の古賀伸明会長は会談後、記者団に「踏み込みすぎ。労使の信頼関係が置き去りにされる」と批判した。 
経団連の米倉弘昌会長は会談の冒頭に「長引くデフレや行きすぎた円高、欧米諸国の景気低迷など日本企業を取り巻く環境は極めて厳しい」と指摘。賃上げよりも国内雇用の維持・創出に重点を置くべきだとの考えを示した。経団連は23日発表した「経営労働政策委員会報告」で「ベースアップは論外」としたうえで定昇について「延期・凍結」の可能性に言及、厳しい姿勢を示している。
これに対し連合の古賀会長は「人への投資が困難を乗り越えて未来をつくる」と主張。「(労働者への)適正な配分による個人消費の拡大が成長とデフレ脱却にもつながる」と強調した。連合は昨年に引き続き給与総額の1%引き上げを求めている。
(出所:日本経済新聞2012/1/25 11:00 配信)
経営者側は定期昇給は論外。労働側は適正な配分が消費需要拡大とデフレ脱却につながると主張している。

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小生は、今回ばかりは連合側の主張がマクロ経済上の観点から適切だと思う。とはいえ、この辺、経済学者の間で意見が相当分かれてくる論点だと予測している。以前、インフレーションが大問題である頃、コストプッシュ型か、ディマンドプル型かという論議がなされたものだ。今のデフレーションについても思考の枠組みは同じでよい。分析技術は高度化したが、経済を見る目が昔と今で全然違うということは、革命があったわけでもないし、あり得ないことだ。

確かに総需要が低下すれば、企業側のコストが一定でも物価が下落することは授業でも説明している。需要が低下すると、生産が縮小し、雇用も縮小する。雇用が縮小すれば窓際族はリストラされるので労働の限界生産性が高くなる。企業側の均衡条件は
価格×労働の限界生産力=名目賃金
である。限界生産力が高止まる分、名目賃金一定の下では、企業側に低価格攻勢を仕掛ける余裕が生まれる。だから賃金は据え置き、価格は下がることになる。この場合、実質賃金は上がるわけである。結果だけをみると、実質賃金が高すぎるために、雇用を拡大できないという理屈も、現象的には当てはまっている。しかし、労働市場で需給バランスをとるような調整は行われていないので、実質賃金が高すぎるので云々という価格調整論をとりあげても、意味のない議論である。

もし賃金一定ではなく、名目賃金を下げれば、企業側はより一層の低価格攻勢をかける動機をもつ。これは上の式から簡単に分かることだ。では、定昇が行われるとどうか?この場合、一定の人的資源に高いコストがかかる。上の式の右辺が上がるので、左辺も上がらないといけない。雇用のスリム化で雇用者の生産性が上がっているとしても、同時に価格を下げるという動機は弱くなる。このロジックは日本市場においても、グローバル市場においても、当てはまる。

定期昇給は国内企業から、日本と世界双方の市場で、攻撃的安値戦略をとる誘因を奪うだろう。

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しかし、それでは国内市場に輸入されてくるアジア製品に太刀打ちできないのではないか?そんな疑問がある。そもそも輸入されているアジア製品には何らかの形で日本企業が関係している。一律に判断することはできないが、国内企業が低価格攻勢への誘因を持たなくなれば、輸入品販売企業もまた価格引き下げ競争への誘因を失うのがロジックだ。そもそも千円で売れる商品を何が悲しくて900円に割り引くのか?よほどの過剰生産能力がなければそんな安値戦術を自ら仕掛ける動機は企業にはない。競合企業が安値で売るからである。自作自演の値下げ競争を停止させる一つの方策は、<コスト圧力>を上げることである。

それでもなお、国内企業が輸入品に市場を奪われて企業利益が低迷するかもしれない。それが怖いがために、国内雇用者の賃金を引き下げている状況とくらべて、いずれがより心配な経済状況であるのか、真剣に議論しておかなければならない。が、それはさておいても、本当に国内企業の利益が激減するなら、株式市場が暴落するだろう。それは円高から円安へのトレンドを生むだろう。

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あるいはまた、国内の労働コストが上がれば、国内企業の海外流出が加速するのではないか?そんな心配もある。就業機会が減ってしまっては賃金もまた下がるしかないではないかというわけだ。

小生は、日本の産業政策がずっと不毛であったのは、この論点を避け続けたことにあるとみている。むしろ、賃金を抑制することでしか国内で採算のとれない産業が、海外に自然に流出したあと、それでは国内市場ではどこで労働需要があるのか?それをこそ議論しなければならなかった。日本は生活大国とはほど遠い。ものは揃っていて、相応に豊かではあるが、満足感や幸福感に乏しく、暮らしを楽しむ機会が少ない。リタイア後の10年は人生を楽しみ、10年は体をいたわる。そんな構想をたてても、国内にはよい事業者が十分育っていない。身の回りで充実したいところは実は非常に多いと小生は思っている。伝統的なモノづくり産業が、消費者の財布からお金を吸収し続けているために、伸びるべき新産業が伸びられずにいる ― もちろん求められているサービス分野がほとんど全て規制の網にからめとられている点もある。

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それ故に、コストダウン+安値攻勢という自作自演のデフレ劇はそろそろ止めにして、労働組合には正当な報酬を獲得するべく粛々と経営者側と交渉して頂きたい。もちろん正規社員のための団体交渉ではなく、労働者のための団体交渉としてであるが。

日銀がいくらペーパーマネーを印刷してもマネーは海外に流出するばかりで、デフレは延々と続いている。デフレを退治する最後の特効薬はコスト・プッシュ。つまりは定期昇給実施である。小生、そう見ているところだ。

2012年1月23日月曜日

東電 — 経営見直しは解体のことなのか?

日経が(他紙も報道するだろうが)こんな記事を流している。
東京電力と政府は公的資金を使った資本注入後の東電について、火力発電部門の分離・売却を軸とした経営形態見直し案の検討に入った。東電の発電能力の約6割を占める火力部門に外部資金を導入し、コスト圧縮にもつなげる。残る原子力などの発電や送配電、販売などの各部門は経営透明化のため社内分社による独立運営とする案が有力。これまでの発送電の一体運営を一部見直す形となり、電力市場の競争が本格化する。(出所:日本経済新聞1月23日朝刊)
記事によれば東電本体には水力、原子力、送配電、営業サービス部門が残り、機能別にそれぞれが独立カンパニーとなる。東電本社は持株会社になるのか。この個別カンパニーで最大の資産規模を持つのが送配電部門だ。記事に引用されている資産額を引用すると水力、原発、送配電それぞれ6600億円、7000億円、5兆500億円。資産収益率が部門ごとに一様であれば、利益の大半は送配電事業から得るという理屈になる。燃料コストの上昇傾向が見込まれる火力部門(6600億円)は、他企業との競争、M&Aに委ね、というかリストラをして、送配電事業をプロフィットセンターとする。正に<選択と集中>、そういう構想のようだ。

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顧客は、独立系の火力エネルギー価格と、東電が遠隔地から引っ張ってくる原発・水力エネルギー価格を比べて、いずれか安い方から買うという行動をとるだろう。東電の遠隔地エネルギーが安価であれば、独立系事業は競争力は持たないが、超過需要があれば限界費用で市場価格を決められるので東電には超過利潤が形成される。しかもそれは独占利潤ではないという理屈になる。東電のキャッシュフローは賠償負担に十分耐えられる。多分、今回の経営見直しはこのような経済メカニズムを期待しているのだろう。

とはいえ、東電が保有する原発施設は福島県、新潟県、青森県ですべて遠隔地である。福島原発の再稼働は多分半永久的に無理だろう。新潟柏崎、刈羽原発も再稼働には多くの困難がある。青森東通原発は建設して無事稼働できるのか?いずれにしても原発安全投資を行ってはじめて稼働できるのではないか。その投資負担がある。というより、民間企業の事業として原発事業を継続することは政治的に可能なのだろうか?

売電収入が低調であれば ― これも電気料金を完全に市場で決めるのか、規制料金にするのかでどのようにでもなるが ― まさに100%送配電収入に依存せざるを得ない経営体質になるだろう。その送配電施設は、重複投資を避けるという理屈の下に民間企業である東電本体が独占するはずだ。送配電設備の使用料金は、東電が負担する損害賠償債務支払い額を上乗せした独占価格に設定される可能性が高い。そのように高い送配電使用料を独立系発電事業者が負担すれば、いくら競争原理の活用でコストを節減しても、首都圏内のエネルギー価格抑制には焼け石に水だ。首都圏内の製造業空洞化が急速に進むことは間違いがない。それを防止するには、規格統一の名の下に全国の送配電網を電力会社から切り離し<送配電事業公社化の検討>を俎上に上げざるを得ない。もしそうなれば、福島原発事故の損害賠償は、送配電設備の使用料負担を通して、まさに全国民、全企業が支払うという結末になろう。そうなれば首都圏内の製造業空洞化ではなく、日本全体の製造業空洞化を加速させることになる。

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大事なことは、福島原発の損害賠償コストは<サンクコスト>であって、世界市場においてはどう工夫をしても回収不能である点だ。損害賠償コストは、電力原価には含めようがない以上、商品価格・サービス価格にのせてとることは土台無理である。無理を通すには独占を維持するしかない。その独占は、首都圏だけではなく、全国を網羅するしかない。しかし、そうすれば企業は日本から脱出するだけなのだ。

原発事故による損害規模は民間企業が負担するレベルを超えている。速やかに清算し、従来の事業を継承する新組織を設立し、それでも残る賠償債務はエネルギー計画を推進して来た国が責任を負うのが筋である。そのためにエネルギー事業のうち、必要な部分を国営事業とし、その公社が送配電事業以外の関連事業 — ほぼ察しはつくだろうが、たとえば既存電力会社の超過利潤吸収は当然のことになる、その場合、市場を自由化しておけば電力料金の上昇圧力にはならない — を行って利益をあげ、利益から福島原発事故の補償を進めていく。選択肢としては、このような方向しかないのではなかろうか。そうでなければ税である。それも電力税では資源配分のロスが大きい。一般財源を使うしかないのだ。しかし、それは国民の容認する所ではあるまい。だから国が営利事業に参入して、税以外の財源を創出するしかないのだ。営利事業のビジネスチャンスは、新たな規制が生み出しうること、言うを待たない。もちろん日本社会が、<背に腹は代えられぬ>ということで、そうした国による営利事業を容認することが前提ではあるが。要は、税以外の財源創出の工夫の余地はいくらでもあるということだ。それ以外に、原発事故による広範な地域の損害賠償を支払うことが可能だろうか?



2012年1月22日日曜日

日曜日の話し(1/22)

女性宮家創設の検討と賛否の議論が、このところ通奏低音のように、流れるようになった。与野党対立の中、野田内閣はもめるだけもんで結局なにも決められないのではないか、という懸念があるようだ。小生、野田現内閣が世論アンケートで支持率を失っていることは知っている。消費税率にイノチをかけるということも聞いている。しかし、世論アンケートの数字が低くなったり、消費税率引き上げが通らないということで、首相が政権維持を諦めるとは思えない。他方、女性宮家創設の検討プロセスでボタンを掛け違えて、信頼性を失い、突然のタイミングで職を辞するというケアレス・ミスの可能性はかなりあると見ている。

日本の社会において、皇室はある意味<アンタッチャブル>である。しかし皇統維持のためには政治家 ― とくに首相の職にある人 ― は皇位継承のあり方から逃げるわけにはいかない。<政治的危険物取扱いの専門家>に任せるしかないというのが小生の個人的見方であります。

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「ゴッホの手紙」に次の下りがある。とても美しい文章だ。1886年に弟テオに出した手紙である。
汽車に乗ってタラスコンやルアンに行くように、われわれは星へ行くのに死を選ぶのかもしれない。 
生きているあいだに星の世界へ行けないのと、死んでしまったら汽車に乗れないのとは、この推理のうち、たしかに本当のことだ。 
要するに、コレラや、砂粒上結石、肺病、癌が、汽船や乗合馬車や汽車が地上の交通機関であるように、天上の交通機関だと考えられないこともない。 
老衰で静かに死ぬのは歩いてゆく方だ。 
(出所:岩波文庫「ゴッホの手紙(中)」、pp.127‐128より引用)
死は、生涯最大の苦難ではないし、死んで埋められても、子孫たちの語り草になる。
われわれに生命の全部が見えるのか、或いは死以前の半分だけしかわれわれは知らないのか。 
(出所: 同、pp.127)
いま現に生きているこの世界を<此岸>といい、死後の世界のことを<彼岸>という見方は、ゴッホが生きていたヨーロッパだけではなく、東洋でも同じように考えていたわけだが、生物学的な生死の両端をずっと延ばして、過去・未来のことに思いを馳せる姿勢は、小生、人間にとって大事だと思うのだ。いつの世でもそうだ。そうでなければ、将来設計は言葉の遊びになるし、国家百年の計も言うだけムダになる。
年金は たらふくもらって 死ぬがよし
そんな<世代エゴ>を誰も告発できなくなる。

私たちを待っている死は、星の世界にゆく電車にのるためだ。生きている間はJRにのって、死んだら天上の電車に乗る。こんな話しは下らないというのは、やはり火宅に生きる餓鬼ゆえではないか。そう思ったりもするのです、な。

しかし、いまは100年以上も前、自ら命を絶ったゴッホの想念に思いを馳せたいのが、今日の日曜日なのであります。
Goch, Starry Night Over The Rhone, 1888
(Vincent van Goch Galleryより)

ゴッホは自らが幸福であると認識していたと思われる。手紙を読んでいると、物質的に不幸だったとは思っていたようだ。彼は<魂>という言葉をよく使っている。幸福か、不幸かは、魂のことであると言っている。魂は、食物を食べる必要はない。食べるのは肉体だ。だから、たらふく食べられても幸福とは関係ない。味覚を通した快楽であるだけだ。いや・・・理屈を展開しても詰まらないですな。

そのゴッホが、なぜ死を選んだのか?読めば分かることではない。しかし、小生、とても関心がある。

2012年1月21日土曜日

消費税率引き上げは社会保障目的税?

本日の日経が報道している。
岡田克也副総理・一体改革担当相は20日の記者会見で、消費税の増税分を社会保障財源に限定すると明言した。これを受けて、政府は増税分の一部が他の歳出に回らないように、増税分と歳出を別枠管理する案の検討に入る。消費増税への国民の理解を得るのが狙いだが、社会保障費が聖域化し給付の効率化が緩めば、財政健全化が鈍る可能性もある。(出所:2012/1/21 0:36日本経済新聞 電子版)
つい昨日は以下の情報が流れてきている。
安住淳財務相は20日、社会保障と税の一体改革で2014年4月に消費税率を現行の5%から8%に引き上げる際、約1%分を基礎年金の国庫負担分の財源に充てる考えを明らかにした。都内で開いた経団連の米倉弘昌会長らとの懇談で表明した。政府が8%に増税する際の税収の具体的な使途を示したのは初めて。 
政府は一体改革素案で消費税率を14年4月に8%、15年10月に10%に2段階で引き上げる方針を決めている。経団連は最初の8%への引き上げ時から、増収分の一部を年金財政の安定に使うよう要望。安住財務相も「年金に不安を持たれないような制度設計にしたい」と応じた。 
米倉会長は懇談後の記者会見で「欧州債務危機は対岸の火事ではない。今を逃しては財政再建を実施する機会はない」と語り、一体改革への理解を示した。(出所:日本経済新聞2012/1/20 13:55配信)
岡田副総理はよく分かってないのだろうなあ・・・・。大体、消費税率を最終的にどこまで引き上げるのか、まだ不確定な現在、全て今後の引き上げ分は社会保障以外には使いませんとは、政治家なら口には出せないのではなかろうか。なぜ震災復興事業には使わないのか?とはいえ、これは個人的な感想だ。実際に岡田氏本人は社会保障の給付額ありきで考えていて、収入を給付に合わせる趣旨で発言したのかもしれない。どちらにしても意味が曖昧でよく分からない。

それにしても前日に財務大臣が所管業務の方針について発言したあと、所管外の副総理が矛盾するようなことを言うとは、物事がまだ決まっていない証拠である。煮詰まってから言えば信用も増すものを、民主党という政党は善意なのではあろうが、変わらないというか、変われないというか、実務能力についてはとても不安である。

2012年1月19日木曜日

いまの株価上昇は単なる「逃げ水」か?

昨日もとりあげたがた、欧州は意外なほどに先行き楽観的だ。アメリカについても、本日のロイターで以下のとおり: 
(Reuters) - Stocks jumped to their highest since July on Wednesday as the International Monetary Fund sought to help countries hit by the European debt crisis, while forecast-beating earnings from Goldman Sachs dispelled some worries over bank profits. 
The stronger-than-expected earnings from Goldman Sachs Group Inc (GS.N) followed disappointing results from Citigroup (C.N) on Tuesday and JPMorgan Chase & Co (JPM.N) last week. 
Goldman shares shot up 6.8 percent to $104.31, while the S&P financial sector .GSPF rose 1.7 percent, leading the S&P 500 higher. 
The banking sector has outperformed the broader market so far this year, but the financials sector was the S&P 500's weakest-performing one last year.
While the Goldman results supported financial shares, the IMF's willingness to bolster its crisis-fighting resources gave the sector a big push. Financials had suffered throughout 2011 on worries that Europe's debt crisis would hit banks globally.
"Any time liquidity is added to the financial system, it gives financials a little bit of breathing room, and it will result in higher prices for the banks," said Kevin Caron, market strategist at Stifel, Nicolaus & Co, in Florham Park, New Jersey. 
The IMF is seeking to boost its war chest by $600 billion to help countries reeling from the crisis, even though some nations insist Europe must first do more to support ailing members, according to sources. (continue..)
(Source: NEW YORK | Wed Jan 18, 2012 5:11pm EST )
やはりIMFが出てきましたか!ECBの量的緩和政策実施状況もすごいらしい。欧州金融機関は、既にECB当座預金を潤沢に積み上げているので、銀行間決済に困ることはないだろうということだ。ズバリ、自転車はこけない、ということ。本日の日経も欧州短期金利が<意外なほど>落ちついていると報じているが、その背後にはECB、さらには欧州の屋台骨を支えようと決意しているはずのIMFがついているためだ。

独紙FTD(Financial Times Deutschland)のコラム記事(Chefökonom)には"Deutschland wird am Ende zahlen"(ドイツが結局は払うのさ)があったりする ― もちろんFTのドイツ版だから、「独紙」とはいえないかも。

どちらにしても、これは<想定内>ですな。

× × ×

しかし金融機関の資本が毀損している状況を解決しない限り、問題は解決しない。欧州金融機関の不良債権と資本の潜在的既存は、文字通り、福島第一原発で焼け落ちた核燃料と類似した問題だ。今後何年もの間、埋み火となり市場の正常な取引の障害になるだろう。金融機関に公的資金を投入するか、買収するか、清算するか、解は三通りしかない。公的資金の源によって、買収元の国籍によって、更に細かく解決法はわかれる。分かれるが故に、決定までにはなお時間がかかる。金融機関は救済されるかもしれないが、それ以外の投資家が失った富は戻らない。耐えられなくなった国家から順に、計画的にEUから脱落するか、不時の破産に陥るか、これも二通りのシナリオしかない。

これを日本のマスメディアは<長い曲がりくねった道>と形容している。欧州のとんでもない政治システムを観測していると、これから欧州がたどっていく道筋は、日本が歩んだ道よりも、更に曲がりくねり、さらに長くなる公算が高い。浮かれていてはダメだろう。

とはいえ、いまの株価上昇は、昨夏のECBによる金利引き上げというネガティブ・ショックからの立ち直り過程であるともいえよう。また2009年春の底打ちから財政主導で回復してきたのが、2011年春から夏にかけてピークを打ち、その後、半年程度のミニリセッションを経たのだと受け止めれば、これまでの景気循環の経験則とも合致するように思う。

× × ×

政策当局が頻繁におかす細かな判断ミス、実体経済の波動、金融的なショック、一次産品のショック等々、波乱の世紀で先を中々見通せないが、春まではこのまま行きそうである。

もちろん隠れた病巣が顕在化すれば、そこで終わり。その病巣、つまり余裕のある内に治療するべき箇所は、欧州の金融機関、財政システムのほかに、アメリカの伝統的製造業、日本の規制下にある伝統的サービス部門(それから政治?)、中国の伝統的国営企業など、実に山積している。どれも既得権益と周辺組織が癌のように強固に形成されている低生産性部門である。政治家の真の敵は、いつでも既得権益と周辺組織である。これは時代と国を問わず変わらない。大手マスメディアの報道内容すら、これら癌化した部門については、重力の歪みの影響を受けるように、情報は真っすぐに伝わらず、論理にはバイアスが加わる。

一人一人のジャーナリストの自由と国民の眼力がその国の窮極の資源だと思う。日本は国民の眼力は備わっているが、一人ひとりの活動の自由を保証する社会の懐がせまいのではないかと感じている。個人情報保護のプラスとマイナスについて個別に論ずる以前に、情報発信活動の規制、寡占、権威は私たちにとって一番の損であることを忘れてはならないと思う。

2012年1月18日水曜日

年明け後の欧州景況感

年明け後の景況感が「想定外」に好転している。ただし、独紙Süddeutsche Zeitungの報道だ。
Deutsche Finanzexperten sind zu Jahresbeginn deutlich optimistischer geworden - sie glauben an eine positive Entwickung der Wirtschaft. Die Konjunkturerwartungen der Analysten sind im Januar deutlich gestiegen, wie aus dem vom Zentrum für Europäische Wirtschaftsforschung (ZEW) veröffentlichten Index hervorgeht. Dessen ZEW-Konjunkturindex stieg deutlich um 32,2 Punkte und liegt gegenwärtig bei minus 21,6 Punkten. 
Einen so starken Anstieg hat es seit Beginn der Umfrage 1991 noch nie gegeben. Von Reuters befragte Ökonomen hatten lediglich einen Anstieg auf minus 50 Punkte vorhergesagt.(Source: Süddeutsche Zeitung, 17,1,2012)
公表されたデータは普通の景況感DIであって、景気が良いと思う回答者の割合マイナス悪いと思う回答者の割合を表す。本文中のリンク先(欧州経済研究センター)をクリックすると表示される測定値をみれば明らかなように、マイナス21.6にまで改善されたというのは、ドイツの今後の景気見通しについて「良くなる」が17.9%、「悪くなる」が39.5%で差し引きマイナス21.6になったということだ。このマイナス21.6は事前にはマイナス50程度ではないかと予想されていた。それがマイナス20そこそこの値ととなり、マイナスはマイナスでも意外にマイナス幅が小さく、これは「想定外」という報道になった。

ただアメリカは、景気が良くなるとみる人が多く、DIの値はプラス18.1(=32.6-14.5)である。大統領選挙の年に景気悪化の筋書きなしという経験則からか。日本もプラス7.0(=24.2-17.2)になっている。もちろん復興特需への期待だ。欧州経済は、どん底をやっと脱するかという瀬戸際ではあるが、これから更に一層悪化していくという見方は急速に後退している。そんなところだ。イタリア、フランス辺りも景況感は好い。これは、少々、不思議な点。

いずれにしても、震源地である欧州においては、年明け後、みなさん結構明るい見通しを持っているようだ。

2012年1月16日月曜日

100点か、さもなくば0点。あまりの日本的潔癖症

こんな言葉は誰でも聞いたことがあると思う:
自由を、さもなくば死を
これはまた極端だなあ、今朝の朝刊を読んでいてそう思った。それを書いておこうと思った。しかし、上の言葉のオリジナルは、
自由、平等、友愛、さもなくば死を
というもので、これは1790年代フランス革命のさ中で革命政府の重鎮、ロベスピエール、ジャン・ニコラ=パシュなどが使い始めたものである。ちょっとウィキペディアをみると、そんなことが分かった。 自由・平等・友愛、この三点セットがそろわなければ死んだ方がいい。これはまた、極端な完全主義ですなあ。仏蘭西人は、いまごろ、一人も生き残っていない理屈である。大体、自由と平等は矛盾しているだろうし、平等と友愛だって本当に両立するのか。全部そろわないと、何もしないというのは、スローガンには使えるが、現実政治には使えない。

× × ×

こんな記事があった。
共同通信社が野田改造内閣発足を受けて13、14両日に実施した全国緊急電話世論調査で、内閣支持率は35・8%となり、7、8両日の前回調査より0・1ポイント増の横ばいだった。不支持率は2・7ポイント減の47・8%。野田佳彦首相が期待した改造による政権浮揚の効果は全く得られなかった。
一方、首相が改造内閣のナンバー2に起用した岡田克也副総理兼一体改革・行革担当相に「期待する」と答えた人は59・4%に上った。参院で問責決議を受けた一川保夫、山岡賢次両氏を閣僚から退任させたことについて「評価する」は67・1%、「評価しない」が21・8%だった。
首相が決意を示す消費税増税をめぐっては、国会議員定数と国家公務員給与の削減が実現しない場合には「増税すべきでない」との回答が79・5%に達した。(MSN産経ニュース2012.1.14 18:58配信)
共同通信社が行った世論調査は、本ブログでも2、3日前に投稿しておいたが、通信社は事実を伝える企業のはずだ。大体、事実として<世論>なるものが判明したと、同社は心底から考えているのだろうか?考えているとすれば、愚かであるとしか言えないし、愚かでないとすれば無学である。

「すべきである」、「すべきでない」と二択で回答させる調査では、サンプル数1000人で大体1.5%くらいの誤差を免れない。3択、4択と選択肢が増えると誤差はもっと大きくなる。普通は、この標準誤差の2倍程度はとって、結果を解釈するのがデータ利用者の鉄則である。電話による調査では千人程度をサンプルとする例が多い — そもそも上の記事では回答者数すら記していない、誤差の観念ももっていない証拠だ。だから、前回から今回にかけて数字が6%上がったとしても、この6%の上がりは誤差が大きなマイナスから大きなプラスになっただけの見せかけである、そう解釈すれば「実際は横ばいともいえますね、数字は6%上がってますが、これは誤差かもしれません」と — 本当は2回の結果の差について誤差を出しておくべきところだが。あるいは、数字が横ばい圏内であるように見えても、実は上がっている(もしくは下がっている)。それもありうる。

もしこんな風に言えば、そんなものは使うなと言われるだろう。ま、千人の結果などこんな程度である。最低でも一万人位は調査しないと「世論」は分からないはずだ。千人というのは余りに低コスト過ぎます。低品質の世論調査をただ機械的に実行しているだけの通信社、その通信社から数字という素材を買っている新聞社は、その数字が使えるのか、使えないのか、考えることもせずに、ただ左から右に流している。見ていて決して愉快ではありませぬ、な。

× × ×

驚くのは、
国会議員定数と国家公務員給与の削減が実現しない場合には「増税すべきでない」との回答が79・5%に達した
という下り。

前にも投稿したが国家公務員の給与が占める人件費は5兆円くらいで、予算に対して5%強という程度だ。それに対して、いま国家予算は税収が5割以下である。これが問題の本質である。20分の1程度しかない支出項目を減らせないなら — 削ったとしても何千億しか出ては来ぬ、焼け石に水だ  — 最大問題の解決にも着手するべきではない!・・・沈黙するしかありませぬ。これって本当?
社会保障スリム化+給与コストスリム化+増税の三点セットを実現せよ
さもなくば、日本国家に死を
八割の日本人はこう考えているのか・・・いや、全く、こんなはずはない。誰でも、最後に三点そろうなら、前後の順はとわず、できることから速くやれ。そう言うんじゃないかなあ、と。小生は、そう思うのだがなあ。他の人たちも、まあ同じだと思っている。だからこそ、世論調査はなおさら信頼できないと感じているのだ。

2012年1月15日日曜日

日曜日の話し(1/15)

本日は、大学入試センター試験の二日目があり、どっぷりと試験監督につきあって来た。昨年度と違って、理科が二科目受験と一科目受験の二本立てになったので、二日目の試験は相当楽になった。昨年までは理科①、理科②、理科③まであった(と、記憶している)。終わると6時だった。それが今年は4時。始まりも2限目の一科目受験だから10時半。いやあ、これは楽です、というところ — もちろん裏があって、昨日の試験監督をした人は疲労困憊したはずだ。

どちらにしても大学入試センターという一組織の判断で、受験者数十万人およびそれを監督する人たちが振り回されている。問題の配布ミスが相次いだのもシステム変更があった今年の特徴だ。なんせブッツケ本番ですから。

× × ×

そんな今日、音楽ならどんな音楽を聴きたいか、絵画ならどんな作品を観たいか。ルネサンスの名画なんて、今日は観たくはない。息苦しくて、鬱陶しい。そう、すべてを壊してくれるものがいい。じゃあ、ギンギラギンの野獣派か。これまた、フランス表現派と言えるだろう。表現派の本質は、内心の真実であり、ズバリ、<生きていること>である。小生が、こんな駄文を書きながら、急速に魅かれていく画家、それはまずはゴッホ、というより今日はピカソだ。ピカソはアフリカ芸術から受けた衝撃が土台になっている。そのピカソが描いた愛の形。

Picasso, Les Amoureux, 1919

愛なのか?と思って観ていると、そのうちドオンとくる。

慈愛、温もりは、官僚組織とは一番縁遠い心情だ。官僚的手続きからは、絶対に期待できないもの、それが愛である。俗に「きめ細かく」などと政治家の方が宣わっているが、そもそも近代行政組織が「きめ細かく」という時は、もっと多数の人間を使ってという、それだけの意味に過ぎない。心ではなく数量の話しである。この点、ほとんど全ての方は分かっているはずである。

入試センター試験もそうである。官僚による大学入試である。大学入試という人間作り、ヒト作りにつながる選抜を、官僚システムによる入試事務としてやっている。分かっているのかなあ・・・と毎年一度は思う。「こういうものだと、日本の人たちは思い込んでいるのでしょうねえ・・・」、一緒に監督をやった同僚と今年も話しをしたのだが、<官僚と入学試験>、もっとも縁の薄い組み合わせだと思うがなあ。多くの人は、大学入試も役所の責任で滞りなく実施してほしいと心底から願っているのだろうか?配布ミスや問題文のミスプリこそ、最もなくすべき事柄だと本当に思っているのだろうか?この疑問は、ずっと持ち続けていて、まだなお未解決なのである。

2012年1月14日土曜日

株価の5年間 ― これほどの違いは、経済の実態と言うより、政策姿勢の違いとしか考えられない

リーマン危機以降の株価をみると、アメリカについては、Dow-Jonesが基本的に上昇トレンドをたどり、最近では危機以前の水準に戻りつつある。


これに対して、日本の日経平均は、リーマン以後、基本的には下方トレンドをたどってきている ― とばかりは断言できないが、上昇トレンドからは早々に外れていることだけは明らかだ。


日本の株価は2010年の春からずっと低落している。この低落は大震災や原発事故のずっと前から始まっている。欧米の株価は2010年の春以降も上昇を続けた。その上昇から日本は脱落し、最近では欧州の株安の影響まで受けている。

ドイツのDAX指数をみると


ギリシアの国債危機が顕在化してユーロ危機が深刻化した中、ドイツの株価も急落しているが、それまでは順調に上昇トレンドにあった。ユーロ圏外から英国のFT指数をとると下の図のように下降に転じたのは概ねドイツと同じ昨夏である ― もっとも、それまでの上昇は緩やかになっていた。



そもそも上にあげた4カ国の株価グラフの左端と右端は同じ日付である。リーマン危機以前のピークと直近値の比を大雑把にとると、USが14000程度から12500程度だからピーク比9割、UKが6500程度から5500程度で85%というところ、ドイツは最近の欧州危機による急落をいれてもピーク比75%くらいだ。それに対して、日本は18000程度から8000程度に下がっているのでピーク比が45%!まだなお、半分以下の株価水準である。これは小生を含めて、一般の投資家の感覚に近いはずだ。年金改革などという前に、退職高齢者の金融資産を保全しようと努力することこそが、誠実な政策当局者がとるべき態度ではないのか。

確かに、大震災はあった。円高もあった。日銀は、円ベースでなくドルベースで株式資産を評価してくださいと、そういうかもしれない。しかし、自分の資産をドルで評価している日本人投資家は少ない。

なぜ先進国の中で、日本の株式だけが、かくも低迷しているのか?それほど日本経済の実態が海外に比べて一人負けしているのか。小生は、どう考えても、金融政策の基本スタンスに原因があるとしか思えない。少なくとも、なぜ日本の経済専門誌は、これほどの株価パフォーマンスの違いを正面から特集・議論しないのか不思議である。「それにはそうなるだけの理由があるのです」というなら、それを一緒に考えて、伝えるのが経済ジャーナリズムの役割ではないだろうか。政策の基本姿勢は、それがいかに専門家の領域であろうとも、それがもたらす効果が国民に受け入れられるのか、国民自身が検討してみる権利は常にあるし、何に増してもあると考えるのが民主主義社会である。病気の治療がいかに医師の専門領域であろうとも、どのような考え方で治療するかを決めるのは、医師ではなく病気になっている本人なのである。事情は同じである。

要するに
こういうことで、いいのですか?
国民が選んだ結果であるのかどうか、言いたいことはこの点だ。

(注)上の株価グラフ作成では<世界の株価指数チャート:Chart Park>のお世話になった。感謝したい。またグラフ作成ではYahoo!Financeの機能を借用しているようだ。併せて感謝したい。

2012年1月13日金曜日

欧州官僚の観点 ― 一つの典型

英国が財政統合に絶対反対の姿勢を打ち出している背景として、傲慢尊大な欧州官僚への反発がある点、色々なメディアによって紹介されている。

これに対してEUで仕事をしてきた高級官僚はどう考えているのか?墺紙Der Standardで一つの典型というか、ドイツ選出の欧州議会議員で、前外交委員会委員長であるエルマー・ブロック氏に対するインタビューが掲載されていた。その中のまとめの部分から:
Standard: Sie haben seit dem Maastricht-Vertrag 1991 alle EU-Reformen an führender Stelle mitgemacht und verhandelt, was ist der Unterschied zu heute? 
Brok: Heute geht es nicht um den großen Wurf, sondern um eine Reparaturmaßnahme, nachdem die Glaubwürdigkeit auf den Märkten zerstört worden ist, weil man sich im vergangenen Jahrzehnt nicht an die Regeln des Stabilitäts- und Wachstumspaktes gehalten hat, einschließlich Deutschland und Frankreich. Es läuft immer etwas schief, wenn man die Nationalstaaten alleinlässt, wenn sie allein entscheiden. Die Nationalstaaten sind ja die potenziellen Sünder, deshalb können sie nicht gleichzeitig die Schiedsrichter sein. Deshalb ist es wichtig, dass Institutionen wie die Kommission oder der Europäische Gerichtshof eine entscheidende Rolle haben. (DER STANDARD-Printausgabe, 2.1.2011)
いま、<欧州統合>というグランドデザインが問題になっているのではなく、市場経済に対する信頼が崩壊した後、 どのような修正を施していけばいいのかという、これが今の論点であります。これが一つ。

次に、国民国家(Nationalstaaten)が独自に意志決定を行えば、常に物事は間違った方向へ行く。国民国家という存在こそが、潜在的な犯罪者であり被告であるのですから、その国民国家が物事の是非を決めていくことはおかしいのです。故に、国民国家よりも上位にある機関、欧州委員会や欧州裁判所がそれに該当するのですが、そういった上位機関がその役割を果たすことが重要なのです。

どうであろう。小生は、欧州個別国家を統べる<帝国>を希求しているような印象を受けるのだな。これもオーストリア国民、ドイツ国民の伝統的情念なのであろうか ― 理屈ではなく、心持ちに近い心情だろう。

そもそも国家とは一部の人間集団が団結することで誕生した。それは構成員にとっては利益だが、排除されたり敵視されたりする人間集団にとっては不利益であったろう。個別の国家という存在が、人類にとってゼロサムゲーム的状況をもたらすのではなく、人類全体にプラスの価値をもたらすのだという根拠はどこにあるのだろう?国だって、単なる<地域エゴ>じゃないの?こう言ってしまうと、上のブロック氏の発言に近くなるか・・・?それは必ずしも本意ではないのだが、な。ただ、個人の自由の彼方に、必ずプラスの価値がもたらされるチャンスがある。常にそうとは限らないのは認めなくてはなるまい。

とはいえ、ブロック氏の発想、この考え方には英国人はついていけないのではないだろうか。

2012年1月12日木曜日

インテリジェンスと精神主義は反比例する法則?

小生は日本経済新聞を購読している。愛読しているコーナーの一つが「私の履歴書」である。報道記事よりも、当事者によるミニ自伝といえる上記コーナーを、こよなく愛読している読者は、私以外にも極めて多数存在しているのではなかろうか。

小生は、珈琲店ドトールをこよなく愛している。ドトールのホットドッグが侮れないこと、珈琲自体の味と風味がその価格から予想できるレベルをはるかに超えていることを発見したきっかけは、創業者鳥羽博道氏が、自ら私の履歴書でどのくらいの熱情をこめてドトールを立ち上げたか、それが分かったからに他ならない。「こりゃあ、一度、実際に試してみんといかんな」、読んでいてそう思ったわけだ。それがスターバックスよりドトールを利用する頻度が多くなったきっかけだ。

いま履歴書に登場している人物は英国の元首相トニー・ブレアである。本日付けの寄稿で同氏は次のように述べている。
官僚制度の問題は、物事を妨害することではなく、惰性で続けることだ。官僚は、既得権益に屈服し、現状維持か、物事を管理するのに一番安全な方法に逃げ込む傾向があった。 
官僚組織はうまく指揮すれば強力な機構になる。官僚たちは知的で勤勉で公共への奉仕に献身している。ただ大きな課題に対し小さな思考しかできず、組織が跳躍を求められるときに、少しずつしか動かなかった。
月並みのようでもあるが官僚たちの<漸進主義>を批判している。「匍匐前進では拉致があかぬ。空爆で行こうではないか!」、いかにもブレア氏らしい物言いでござるなあ、と。ただ、官僚組織なるものが必然的に持っているはずの弱点を指摘しているのも事実だ。

日本のマスメディアは、上のくだりの「官僚たちは知的で勤勉で公共への奉仕に献身している」に噛み付くかもしれないなあ。「接待疑惑をひきおこした官僚に公共への奉仕とか、献身とか、期待できるはずがないではないか」と。全くねえ、狂犬が一匹うろついていて、人間にかみつくと、狂犬を管理する当局はどこか、責任は誰にあるのか。そもそも犬なるものを飼うこと自体に危険が潜在しているのではないか。そんな議論すらやりかねません。日本のマスメディアは、シロかクロか、甘いか辛いか。経済学風にいうと”Modern Journalism Dichotomy”、ジャーナリズムによる単純二分法の議論である。好きなのだな、この二分法的議論が、ジャーナリズムは。日本のマスメディアの議論をフォローしていると、いまだにそれでやっておる。

× × ×

いや話題がそれてしまった・・・・。元に戻したい。

ブレア氏は官僚組織の長所・短所を弁えていたようであるが、では日本の官僚組織もブレア的に活用されうるものだろうか?もし活用されうるのであれば、民主党現政権の<政治主導>は、とんでもない勘違い、素人談義ということになるかもしれない。

本日のブレア氏の寄稿で大事な箇所は次のくだりだとみる。
「それでどうします?」。 
首相官邸に入った私に、ロビン・バトラー官房長官は、首相の椅子を指し示し、私が腰をおろすとこう続けた。「私たちは労働党のマニフェスト(政権公約)をすっかり読みました。そしてあなたのためにマニフェストに沿って働く準備ができています」。 
バトラーは経験豊富で、サッチャー、メージャー首相とも仕事をしてきた。私は、最初の瞬間から彼が専門家で助けになる人物であることがわかった。改革の中に納得のいかないものがあっても、推進に力を貸してくれた。彼は英官僚制度の最良の伝統を体現し、公平かつ知的で国に対して献身的だった。
英国の官房長官は官僚がつく。日本で言えば事務方の官房副長官に該当するか?

国家が生命をもった有機体であるとすれば、頭脳に相当する機関がなければならない。手足は頭脳が思考する方向にそって動いて、はじめて国家は目的を達成することができる。手足は細胞から構成されている。1つずつの細胞も生命をもっているが、その寿命は身体全体よりもずっと短い。頭脳は、細胞1つずつ、機関1つずつの機能を総合しながら、全体的な目標を達成しようと考えている。この<考える>という仕事を頭脳は担当しているわけだ。この頭脳を、<インテリジェンス(=知性)>といっている。

ブレア氏が寄せた上の短文を読むと、インテリジェンスを司る役職である首相が、王(女王)により任命され、王に任命された首相に官僚が献身するという国家組織が窺われる。日本においても首相は天皇から任命されるのだから、官僚は首相に献身しなければならないのだが、どうも漏れ伝わってくる報道によれば、英国の事情と日本の事情とは、相当の開きがあるようだ。その開きをもたらしている原因は、小生にははっきりとは分からない。ひょっとすると、英国とは違って、日本の官僚には天皇に奉仕するという感覚がないのかもしれない ― ま、ないのだろうなあ。国民に直接仕えると規定されているから。この辺の法理、小生は素人ゆえ、詳しくは知らない。

× × ×

いずれにせよ、インテリジェンスが適切な思考を行い、方向を示さないと、個々の機関は独立して機能するしかなくなる。環境が変化して、移動しなければならないとき、行動しなければならないとき、頭脳がインテリジェンスとして機能しないと、組織全体が崩壊を始める。そんな時、頭脳は
各員一層奮励努力せよ
一度ならよいが、何度も反復して、そうゲキを飛ばすだけの存在になる。ゲキでダメなら<国民へのお願い>だ、な。これが悪名高い<精神主義>である。

日本は、このところの円高でモノ作りにおいて苦境に陥っている。成長はサービス業に期待されている。ところが日本のサービス業は低生産的である点がよく指摘される。低生産的であるというのは、一人一人が生み出す付加価値が小さいということだ。付加価値は高い価格で評価される時に生み出される。しかし、日本人のもてなしの精神、細やかな心遣いが、グローバル市場で高く評価されることがあるのも事実だ。サービス過剰であるとも言われるくらいだ。現場で動く一人ひとりの行動は見事であるが、全体としてはサービス業としての魅力に欠ける。これが現実である。だから評価されないわけだ。この事情は、医療、福祉、介護において当てはまるし、教育においても当てはまるだろう。

「現場の人にも頑張ってほしい」 ― よくそんなコメントを聞く。が、小生思うに、これまさに精神主義である。太平洋戦争に取り組んだ大本営の精神状況とどこが違うか?

現場の優良な人材を活用して、勝てる装備を与える、勝てる戦略をたてる、勝てる組織にする。それこそ組織のインテリジェンスが担当しなければならない。その仕事がうまくいかない時、頭脳が頭脳になり得ない時、インテリジェンスではなく精神主義が登場する。

それ故、インテリジェンスと精神主義とは反比例の関係にあると思われる。トニー・ブレア政権は、豊富なインテリジェンスを駆使して、もっていたプランを実行しえたのだと言えるだろう。

2012年1月11日水曜日

駐英大使の寄稿をどう読むか — 英国と欧州

ダイアモンド・オンラインに駐英大使の寄稿が公開されている。タイトルは、英国はEU離脱に向かうのか、である。

英国内の世論、その英国をメンバーに残しておきたいという大陸諸国の計算もあって、今後、英国と大陸欧州諸国との関係は複雑化するだろう。この点は、本ブログでも何度か触れているところだ。

大使が結論部分で以下の指摘をしている。
EUサミットの次回定期会合は3月に開催予定であるが、それまでにも臨時サミット(1月末にも開催)やユーロ圏首脳会議等を通じ、今回の合意の条約化が進められると言われている。 
ユーロ圏、非ユーロ圏を問わず、今回の合意について、国内的にいろいろな観点から検討が進められており、その過程で、英国以外にも、この合意についていけない国が既に顕在化しつつある。 
つまり、条約化される内容に政府が賛成であっても、国内手続的に国民投票を必要とするため躊躇する国や、議会が反対する国などが出てくる可能性もある。しかし、条約化するとすれば、全27ヵ国または出来る限りそれに近い数の参加を得ることが望ましく、その間、事務レベルでの交渉参加を認められた英国に対する働きかけも含め、様々な駆け引き、交渉が行われると思われる。そういう意味で、条約化作業は曲折が予想される。 
一方で、債券市場は待ったなしで動いており、加盟国の破綻やその波及を防ぐためにどうやって時間を買っていくのか、この先も目は離せない。
今回、寄稿した大使の「個人的見解」は、小生が読む限り、極めて「悲観的見通し」としか思われず、邦文でこのような寄稿をしたのは、ネガティブ・フォーキャストの下で準備をしておくことが望ましい。そんな趣旨が伝わってくるのだな。

英国のマスメディアでは、イタリア国債市場の動向にもよるが、ユーロに与えられた時間は(極端な表現をとれば)「数日内」だと評する例もある。そんな英国内の雰囲気が駐英大使の事態を見る目に反映されていることもあるだろう。

少なくとも英国の政府機関内部では、ワーストケースに備えた対応について打ち合わせが進行中である。これを疑う余地は既にない。では、欧州金融市場で大波乱があったとき、日本政府はなおも国内でやるべき審議 − 具体的には社会保障と税の一体改革 − を粛々と続けられるだろうか?日本の劣悪なマスメディアが形成する「世論」によって、方向感覚を喪失しないだろうか?日本国民は?日本の市場は?

欧州も懸念されるのだが、我が国の脆弱かつ低品質のメディアと世論形成メカニズム、最表層の世論を考慮しつつ審議を進めるだろう政府と国会、小生には舞台に上がっている配役がとても不安に思われるのである。

2012年1月9日月曜日

マスメディアの負の付加価値 − 一つの典型

共同通信のアンケートによると、社会保障と税の一体改革大綱には、45.6%の人が賛成で、反対は52.9%であるとのこと。特に説明不足と回答している人は約75%。そんなこともあって、内閣支持率は不支持が50.5%、支持が35.7%という数字になった。

やれやれ、「説明不足」ですか・・・

そもそも現行の所得税の累進税率や諸控除の知識はどのくらい持っているのだろうか?天引きではなく、確定申告をきちんとしている人はどのくらいいるのだろうか?介護や福祉についてどの程度の知識を持っているのだろうか?というか、自宅の薄型TVの全ての機能は頭に入っているのか?パソコンは?自動車は?ネット通販で売り手の情報をきちんと収集しているのだろうか?医師に診断を請うたときに、どの程度、投薬された薬や治療方針について理解しているのだろうか?

いや全くきりがないなあ・・・

こうした問題は経済学では<情報の非対称性>という。相手と自分とでもっている情報が違うときは相互不信に陥りやすい。たとえば中古自動車市場ではボロ車(=アメリカではレモンという)が混じっている。その分、ボロを買ってしまうというリスクが意識されるので、価格はどうしても低めにおさえられる。売る側からすると、もう少し高く買ってもらいたいという不満が生じやすいわけだ。そもそも会社の中にもある。部下は仕事の進展をよく知っているが、上司は間接的にしか知らない。こういうとき、上司は悪意で部下を評価しがちだし、部下は手を抜く誘因が生まれる。情報ギャップは相互信頼の敵なのである。

提案されたばかりの税と社会保障の一体改革大綱など、よく理解している国民は半分もいないでしょう。当たり前ではなかろうか。総理や大臣が辻説法をするまで、待てというのかなあ。そもそも官庁の<記者クラブ>は何のためにあるのか?新しい政策の意図や狙いを、国民に向かって、丁寧に何度も解説し、国民が<説明不足>などと感じないように報道するために存在するのではないのか?不足している情報があるなら、それを読者に代わって、政府に要求する。まさにそのためにこそ、外部の報道機関を排除して、閉鎖的かつ独占的な取材活動を認めてもらっているのではないのか?

「何だか、反対みたいですよ」と、「不支持の人が増えているみたいです」と、どうみても小生の目には、この種の報道姿勢によって社会は集合知を形成するどころか、相互不信の泡が発生し、世論は方向感覚を失い、情報の共有化が阻害され、混乱し、結果として社会の安定ではなく不安定化に寄与しているようにしか思えない。経済用語で言えば、日本のマスメディアは負の付加価値を生産している。負の付加価値を提供しながら、決算としては利益を計上しているとすれば、それは公害を内部化していない企業が得る不当利益と同じである。分かりやすくいうなら、こんな無責任な報道はないほうがいい。形だけは数字の情報になっているだけ始末が悪い。むしろ、記者クラブを解散し、参入を自由にすれば、報道の力量コンペとなり、国民が知りたいと願う情報とコンテンツが効率的に生産されるのではないだろうか?もちろん悪質なデマも流通するだろうが、それを否定する良質の情報も提供されるだろう。最終的には、客観的な事実が少数者の思惑を抑え、集合知としての世論が形成されるというのが、ジャーナリズム市場成立の根拠であるはずだ。

取材現場の担当記者とデスクは、中身がエンプティである世論調査にムダな資源を投入せず、新しい政策の中身を自ら吟味し、まず自分たちが正しく理解し、多くの専門家の意見を聴取し、社会全体として政府提案に対してどのような評価が形成されつつあるか。それをこそ、速やかに報道するべきだ。そのために時間と費用と人をあてるべきだ

しかしながら、寡占化された取材に慣れきった日本のマスメディアには、既に良質の報道を支えるに足るマンパワーが不足している可能性がある。政府は、速やかに記者クラブという閉鎖的なチャネルの有効性に見切りをつけ、自由で開放された新チャネルを通して必要な広報活動を進めるべきである。

2012年1月8日日曜日

日曜日の話し(2012/1/8)

中央官庁再編成以前に経済企画庁が所管していた<経済審議会>を再評価する意見が本日の日経朝刊で紹介されていた。

バブル崩壊後の1990年代は、特に官僚主導型経済運営の失敗が露見した時期だった。それ故、経済計画はもういらない、経済見通しもいらない、産業構造計画もいらない、土地利用計画もいらない、都市計画もいらない、エネルギー計画もいらない等々、官僚は毎日の事務作業に没頭すればよい、という風潮になった。

なくなったのは、経済審議会(計画事務の名残はまだ残っているようだが)であり、来年度の経済見通し作業は予算編成に必要なので続けている。産業構造計画は名残すらもなくなった観があるが、エネルギー計画は残っていて、原発基軸戦略が推進されていた。国土利用計画はほぼ姿を消したが、個別の都市計画は依然として土地利用を規制している。

今になってから、「経済全体の展望を議論する仕組み」をなくしたのは、時期尚早ではなかったかと、そんな議論をし始めているようなのだが、これって「チームを作り替えてみたが、いまのチーム編成で勝てるのであろうか?」と誰かが言い、「前に戻してみたら、宜しいのではあるまいか?」と別の誰かが応じ、さらに「過ちを改むるにはばかる事なかれと申すではござらぬか」と第三の人間が相の手を入れる。とまあ、井戸端会議に花が咲いている状況と、ほぼ同じであります、な。

問題意識が適切で、熱意があれば、制度などは関係なく、良いアイデアは生まれてくるはずである。議論などはどこでもできる。政策の形に練り上げることもできるはずだ。できないのは智慧がない。意欲がない。学問がないからである。大体、明治日本に経済審議会などというものはなかった。経済審議会があったから高度成長ができたわけではない。予測をやっただけであるとすら言える。経済審議会待望論は、その昔、経済審議会会長を輩出していた日本経済新聞社の経営戦略とも思われるのだ、な。

× × ×

元日が日曜日だったので、日曜日の話と題をつけて投稿するのは年明け後初めてだ。昨年からの流れで行けば、ドイツ表現主義キルヒナーを語ったから、今度はエミール・ノルデ辺りを書いてみたいところだ。しかし、ちょっと気分が違う。まずは<ジャポニスム>の象徴とも言うべき二人の作品から今年は始めたい。

歌川広重、山王祭、1857年(WebMuseum,Parisより)

広重は、黒船到来後の安政5年(1858年)まで長生きしたから、死の一年前の作品である。藍色というか、Hiroshige-Blueが美しく映えている。

下は葛飾北斎の余りにも有名な一品。北斎から一つ選ぶという場合、やはりこれになると見える。構図がヨーロッパの画家にはとにかく衝撃的であったらしい。

Hokusai, The Great Wave Off Kanagawa, From "Thirty-six Views of Mount Fuji", 1823-29
WebMuseum, Parisより)

近い内に「北斎漫画」を購入しようと思っているのだが、そこに描かれているスケッチはゴッホ、ゴーギャンをはじめとするフランス後期印象派のみならず、ドイツの若手アウグスト・マッケまでも手元において愛用していたそうだ。

欧米文化に<ジャポニスム>が浸潤していくプロセスは、19世紀後半から少なくとも第一次世界大戦までは続いたと思われる。その文化的次元での評価と、外交・軍事的次元での明治日本の活動ぶりは、あまりに相互関連性がなく、明治エリート層と日本文化の本質との解離状況には、驚くしかない、というのが小生が個人的に感じている思いだ。多分、戦前期日本の教育システムと人づくり、というより明治憲法に込められた価値規範には、どこか本質的に奇妙な部分があった。人材育成として偏った一面があったのだと見ている。国家として未成熟であったと言えば、その通りなのだろうが、指導層の知的偏りが社会的不安定性を増幅していった面は確かにあったと思っている。


2012年1月6日金曜日

The Year of Europeで年は明け、増税論争で春を迎えるか?

ロイターがソロスの発言を紹介していた:
[6日 ロイター] 著名投資家のジョージ・ソロス氏は、ユーロの崩壊と欧州連合(EU)の分裂は国際金融システムに破壊的な結果をもたらすことになるとの見方を示した。インドの各紙が報じた。 
ビジネス・ライン紙によると、ソロス氏はインド南部の都市ハイデラバードで、「ユーロは現在、EUの政治的結束を脅かしている可能性がある」と指摘。「ユーロが崩壊した場合、EUの分裂につながるだろう。それは欧州だけでなく、世界の金融システムにとって破壊的な事態となる」と語った。 
エコノミック・タイムズ紙によると、同氏は「(ユーロ圏危機は)2008年の危機よりも深刻で脅威になっている」と指摘した。 
また、ミント紙によると、同氏はビジネススクールのイベントで、「債権国と債務国」の不均衡によって、一部のユーロ圏諸国は短期的に、さらなる緊縮財政措置を取る必要があるかもしれないと述べた。 
「残念ながら、彼らは深刻な金融危機をまだ解決しておらず、状況悪化につながっている。しかも解決策が見つかるかも全く分かっていない」と指摘した。(配信:2012年 01月 6日 15:24 JST)
 EU加盟国の間では、共通通貨ユーロを将来とも維持していこうという誘因が弱まり、一部に脱落国が出ても仕方なしという割り切りが浮上しているという状況をさしているのであり、この点は極めて当然の判断だと小生も考える。大体、英国はEUのメンバーであって、通貨ユーロは使っていない。ユーロを使うのが当該国にとって損失であると判断すれば、その国はユーロ圏から離脱すると考えるのが理屈である。

ただ現実に離脱国が出てくると、それは世界に対する強烈なコミットメントになり、世界が欧州を見る目線が大きく変わるだろう。

× × ×

日本国内は、税と社会保障の一体改革。具体的には消費税率引き上げで盛り上がるだろう。普通に考えれば、内閣と政府が<不退転>の決意で臨み、与党もそれを支えるのであれば、その政策は可決されて、実行される。仮に参議院で否決され、首相が衆議院を解散して国民の信を問えば、国民は再び民主党を支持する可能性が高いと、小生はみている。仮にそうなれば、現内閣は長期政権になるだろう。ただ、これは足もとの民主党が一枚岩になっているときのことだ。増税反対が得票数増加につながると予想する議員は、当選したいがために党の方針に反対するだろう。数的に限定的であれば、何という事はないが、与党内が粒状化し、与党体制が空中分解する可能性もある。その可能性が出てきた時、敵前逃亡のごとく方針を転換すれば、野田現政権はそこで終わりである。造反が100名未満にとどまり、与党内が純化されれば、執行部は正面突破を選んで政界再編成を仕掛けるか、仕掛けられるかという可能性がある。戦前期日本でも政党はダイナミックに離合集散を繰り広げた。当たり前である。

これからの日本は、「首相一年の使い捨て」どころか、「半年もてばいいほうだ」という政治状況を予想の視野に入れておいたほうがいいだろう ― いやあ、これは目が離せません。そう思うのは小生だけではないはずである。

いまNHKのニュースでは、前回(1997年)の消費税率引き上げでは、半数近い中小企業が販売価格に転嫁できなかったことを紹介している。地元のスーパーでは、3%から5%に引き上げられた消費税率をそのまま販売価格に転嫁したが、大手スーパーが販売価格を据えおいたので、販売数量が10%程度落ち込んでしまった、そんな声を紹介していた。

消費税率引き上げにもかかわらず販売価格を据え置くのは、低価格販売攻勢の意図がこめられている。マクロ経済上のデフレという症状は、ミクロのレベルにおける<自作自演の安値戦争>によって引き起こされている面が無視できない。小生思うに、大手スーパーが消費税率引き上げという好機を利用して、低価格攻撃をしかけ、競合店舗から顧客を奪うとすれば、それはコストや顧客評価からは根拠づけられない<不当廉売>に該当する。コストや顧客評価とは無縁の安値戦術は、市場による公正かつ効率的な流通を阻害することを忘れてはならない。大手企業が低価格攻撃をしかけるのは中小規模のライバル企業を屈服させて支配するためである。そのようにしてシェア上昇を目指す真の目的は、より強い交渉力を得て、売り手には低価格を押し付け、買い手には高めの価格で販売する状況を作ることである。有利な業界構造を形成するための投資として、現在は安値販売を選んでいるだけである。政府は呑気に<低価格は消費者の利益にかなう>などと傍観するべきではない。一度、市場支配力が形成された後、それを抑制するのは大変難しい政策課題である。

デフレーション下で政府が本気で消費税率を引き上げるつもりなら、公正取引委員会と経済産業省は、<便乗値上げ>のみならず<攻撃的安値販売>を防止することにも、厳重な注意を払う必要がある。インフレ下、デフレ下によらず企業の機会主義的行動を抑止することが政府の大事な責務である。

× × ×

欧州、税制、そして震災復興。それに経済産業省がリークし始めているエネルギー市場の構造改革。今年は日本の将来を決める一年になるかもしれない。

経済的にも、政治的にも。

2012年1月5日木曜日

新春、エコノミストの予測は?

今日、大学へ来て見ると年末、年始に発行された週刊エコノミストが入っていて、「ああ、そうだったか、世の中全体、2012年度経済見通しで賑やかだったのだな」と。現場にいると時に胃が痛くなるようなストレスもあったわけだが、のんびりした教師生活を送っていると、「言ったとおりになるか、ならないか?」、専門家にとってはギリギリの切所も、単なる教材提供源となるわけである。むしろ大間違いを演じてくれると、専門家の悪しき分析例として貴重なケースになってくれるわけだ。

さて12月27日新春特大号の26ページには、民間16機関の2012年日本経済見通しが表になっている。実質GDP成長率をみると、最高がUBS証券の2.5%、最低がシティグループ証券の1.1%だ。年間で1.1%成長と2.5%成長の違いは、大多数の企業、消費者には実感できないだろうなあ、とは思う。間をとると、中位予想で1.8%程度とみているのが民間エコノミストである。実際、5機関が1.7%成長とみており、これがモードになっている。他方、名目GDPは最高で1.7%、最低が-0.2%。間をとると0.75%。ということは、GDPデフレーターでみる物価下落率は概ね1%程度というわけ。10年で100が90にまで落ちるという意味では、これまでと同じ度合いのデフレーションがこれからも日本経済を蝕む。 - 先進国では唯一日本だけに見られる現象であり、それは治らぬという予測でありますな。「治りませんなあ」と予測ばかりをする医師がいれば、これは医師という職業のモラルに違反していると思われる。医学とは異なり、経済分野では予測、提案、治療がいわば分業体制にあって、相互にあまり連携はない。それがマクロの経済運営のありのままの実状である。

資産を事業投資しても、最初から1%のマイナスバーを課されているようなものだ。これでは例えゼロ金利でも国内の縮小市場では勝負できまい。海外市場をターゲットとするしかなく、そのためには海外に生産拠点を移して、割安の生産要素を雇用するのが利益拡大には一番の選択肢になる。海外投資は、生きるために火事場から脱出するのと同じ理屈になっている。

× × ×

以下、各論。

為替相場(by 尾畠未輝、三菱UFJリサーチ&コンサルティング研究員)は1ドル80円前後で高値横ばいが続くだろうという予測。企業収益は悪化するので、設備投資も減少する。ただし、減少するのは国内設備投資である。海外投資は期待収益率が高い。生産拠点を移せば、コスト劣位からコスト優位へ立場を変え、望むターゲットに輸出できる。そのターゲットには当然、流出元である母国日本も含まれている。雇用を失う40~50台後半の従業員は大変だが、雇用動向とは関係のない資産階層、既退職・年金受給階層にとっては、海外から低価格で出荷されてくる新体制はウェルカムのはずだ。国内企業にとっては、海外移転=利益拡大機会。これがコインの片面だ。それにしても、製造業以外の就業機会を創出しないと大変なことになる。

国債は利回り上昇懸念、内外市場の不安定化を心配している(by 徳岡喜一、国際通貨基金アジア太平洋局エコノミスト)。ただ、もしこれが事実なら、円高基調継続とはならないはずだ。同じ国債不安定化に対してより抵抗力をもっているのは円よりも、ドルであることは確実だ。日本国債の償還、消化状況にいささかでも不安が感じられれば、円安、ドル高になるのは必定。

金融政策(by 矢嶋康次、ニッセイ基礎研究所主任研究員)は、ゼロ金利の継続に加えて、資産買い入れ拡大を予想している。特に(文面には明記されていないが)東日本大震災関連で資金繰り、更には財務状況が非常に悪化する企業が今後増えるのではないか。震災復興をめぐって、政府の資金需要(=国債発行)と民間の需資が競合するような局面が出てくると、これは確かに国債不安が高まる背景となり、ゼロ金利は維持できず、維持しようとすれば、マネーサプライ増加となり、デフレからインフレに逆転するきっかけになるやもしれない。いずれにしても、今年一年は欧州のみならず、日本も金融市場が一つの鍵である。

税と社会保障は? ― これは景気減速を覚悟して踏み切るしかない。エコノミストの最大公約数的な見解でありまししょう(by 白石浩介、三菱総合研究所主任研究員)。

TPPは? ― これはTPP自体というより、ASEAN+6、FTA‐EPA、TPP+FTA‐EPAをも並行して議論して、中国をコアメンバーとして含む貿易圏を構築するか、アメリカを主軸とした貿易圏を構築するか、そのどちらに日本はコミットするかという話になる。いずれ国家戦略上の選択を迫られるはずの、とっくに予想されていた政策課題が一つ顕在化したケースとして、受け止めるのが正しい。(by 熊野英生、第一生命経済研究所首席エコノミスト)

子育て、放射能もあって課題は山積。政権運営能力のある組織(=政党?)、政治家が国内にいるのかどうか。これもまた、上の話題に劣らず大問題だ。

2012年1月4日水曜日

先進国の景気後退 + 新興国の反転上昇 = ?

株式市場はアジアで株高スタートとなり、ニューヨークも急上昇。英独も上昇。昨年末の暗い見通しは何処に行ったかという明調子の年明けとなった。

株価は景気の先行指標である。先行指標とはいえ生産全般が上がりそうなときに株価が上がるわけではない。ほぼ確実に景気が上がると見込まれているときには、株価はすでにそれを織り込んでいる。株価が上がるのは、予想以上に明るいニュースが出てきた時だけだ。新聞報道によれば、中国で12月に発表された「製造業者購買担当者景気指数(PMI)」が2ヶ月ぶりに好不況の境目となる水準50を超えたこと、それとアメリカの製造業景況感指数(PMI)も2ヶ月連続で市場予想を上まったことなどが挙げられている。

昨年12月に公表されたOECDの景気動向指数をみておこう。まずOECD加盟国全体では下の図に見るように、はっきりとピークアウトして現在は景気後退期にある。



確かに最近予想を上回るいいニュースが出てきてはいるが、先進国の経済はピークアウトした後、とても近い内に底打ちする段階ではなさそうである。他方、OECD公表資料で個別国について確認すると、中国、インド、ブラジルなどの新興国の景気後退は、既にピークアウトしてから1年半程度が経過しており、自律的な反転上昇が期待できる時期に来ている。更に、政策当局のインフレ懸念も弱まっているので、新興国の経済にはこれから明るさが増していくだろう。

逆に、欧州紙で予想されているようにヨーロッパは、年明け早々に急降下が予想されているイタリア経済、銀行経営に不安が持たれているフランス経済の足取りに不安があり、年末近くになって底打ちの兆しがあるとされるドイツ経済もOECD指数を見るかぎり、早々に拡大軌道に復帰するとは感じられない。

アメリカも財政の現状をみれば、経済全体について、いま過大な期待をもつことは禁物である。一部にいいニュースがあったが、全体としてはそれほど景況がよいわけではない。むしろ、悪い。但し、アメリカでは国内経済のリストラが一歩先を行っており、最近は新規ベンチャー投資が再び増えてきている。これは何よりの強みである。成長分野を速やかに見出し、そこに資金を集中投入し、失った富の痛手を癒すというのは、ある種の経済的新陳代謝である。それが進んでいる。アメリカ経済は生きているのであり、彼の国の真の強靭さはこの辺にあると認識するべきだ。FRBが早々に第三次量的緩和(QE3)に追い込まれる可能性は(いまのところ)ない。

こうした中で、日本経済は大震災後の生産停滞、復興のジグザグ・ショックが混ざっているので循環成分の動きを読みにくい。読みにくいが、復興事業の本格化に伴って、前年比ベースではプラスの数字がこれから目立ってくるはずだ。

2012年1月2日月曜日

絶対安全圏確立 → 自信過剰 → 独善という失敗の方程式

八木アンテナは日本人による独創的成果として余りにも有名だ。この指向性アンテナは日本国内で活かされることはなく、レーダーの技術基盤として英米で応用され、日本の敗戦の一因をなした。

今月号のハーバード・ビジネス・レビューは結構面白い。年頭は日本人著者による特集を組む習慣になっているのか、今年も特集テーマは「検証: 失敗の本質 ― リーダーシップ不在の悲劇」である。昨年の1月号は「検証: 失敗の本質 ― 日本軍・戦略なき組織」だったから、2年連続で失敗の本質を問うているわけだ。2011年3月11日とその後の政府の周桑狼狽ぶりをみたいま、実に時代に適合した編集方針であったことがわかる。

その今月号に掲載されている杉之尾宜生「失敗の連鎖: なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか」の結論は以下のようだ:
科学技術の分野を見ても、あらゆる手段を用いてこれを有効活用する体制を築いたアメリカに対し、日本は、成功体験にこだわるあまり大局を見ることができず、有限であるヒト・モノ・カネなど諸資源の有効な戦略的運用を誤った。(41ページより引用)
ま、このくらいの後知恵なら、何という事はない。これは面白いなと感じたのは次の箇所。
これを総括して、コンプトン・レポートは日本の敗因を次のように断定した。「日本の軍事指導者が疑いもなく独善的で、自信過剰な態度をとり続けたことにある」。(同)
このコンプトン・レポートとは昭和20年9月、占領軍の科学情報調査団長を務めた物理学者でMIT学長であったカール・テイラー・コンプトン博士が、日本の敗因を分析した報告書のことである。日本の敗戦直後の段階で既に、他ならぬ日本国内に存在した有用な資源でさえも有効に活用することができなかった日本の指導者の行動特性に着目したわけである。自らの癖に気が付かないというか、余りにも明瞭な欠点に映ったのだろう。

上のコンプトン・レポートの結論で、「日本の軍事指導者」を「東京電力の上層部」と置き換えてみれば、敗戦の原因ではなく、原発事故の原因がどこに所在していたかまでをも示唆してくれるだろう。

第二次大戦の劈頭、シンガポールを陥落させた日本軍は"SLC Theory"と書かれたノートとある機械を発見した。これは電波探知機ではないかと日本軍はにわかに緊迫し、ノートを見ると"Yagi Serial Array"という用語が頻出している。捕虜に「Yagiとは何か?」と詰問したところ、その捕虜は怪訝な表情をして、このアンテナを発明した日本の研究者の名前であると答えたよし。自分たちの知らない間に、敵国が自分たちの技術を応用して新兵器を作り出していた。この事実を知って愕然としたらしい。(参考: 38ページ)

いま改めて愕然とするのは、それ以降も、日本の指導部は何ら閉鎖的な姿勢を変えなかった事実である。そして一層がく然とするのは、日本の指導層の行動特性が戦後もずっと変わらないまま2011年3月11日を迎えたことであった。危機に際した時の現場の日本人の冷静沈着さも変わっていなかったが、指導層も昔のままであったというのは驚きに値するし、この点をこそ分析するべきである。

× × ×

日本の組織が、同じタイプの失敗を繰り返す原因は特定できるはずだ。論理的には、戦前から戦後に伝わった<日本的組織運営>に固有の特性が何であるかを突き止めればよい。組織は戦略を実践する器である。日本的組織の裏側には、日本的戦略決定がなければならない。小生思うに、それは<自給自足>というより、<自存自衛>。そのための合意作りと数々の申し合わせの一筆。細部を磨き上げて完璧を求める心性もこの辺りに源があるのじゃあなかろうか、小生自身は何となく、そんな勘がするのだ、な。発明を「物騒な凶器」、提案を「皆を惑わす妄言」としてしりぞける「失敗の方程式」は、この辺の心的特性に隠されているのではないか。日の本の小天地で和を実現する絶妙なバランス作り。これこそ大事だと言うわけだ。

であるなら、ズバリ、<状況主義>。故に、毛を吹いて傷を求むる行為を最も嫌がる特性が現れてくる。悪い片面が出ると<機会主義的>にもなる。必然的に<法>は脆弱になりますわな。理屈はこうなると思うがどうだろう。とすれば、指導層の「独善」は、そう見えて実は<カゼまかせ>であったのかもしれない。何せ室町時代にはオミクジで次期将軍を決めたこともあったのだから、吹く風に神意を読んでしまう心理がある。戦前日本の海軍は理屈よりも和を重視したとも言えるし、東電は東電で理屈はわかっていても「原発は実は危険だ」とは到底言える雰囲気ではなかったのだろう。とすれば、いや全く、実に日本的なカゼがふいていたことになる。

保つための八木アンテナとレーダーとの関連が大分希薄になったのでこの話題は改めて。

2012年1月1日日曜日

価値を生み出す構造改革こそ真の緊急課題だ

年末には民主党の「税と社会保障の一体改革」が何とかまとまり、今のところマスメディアの社説を読んでも、概ね平均的には「まあまあの内容ではないか」と、そんな受け取り方をされている。本当は、公務員改革、議員定数削減などなどと課題山積、何が最も大事なことかと言われれば、「そりゃ、税と社会保障というよりこちらでしょ!」。ちゃちゃを入れたくなる御仁は数知れずいるに違いない。実際、そうだろうと思う。とはいえ、「善は急げ」ともいう。多少の異論はあっても、方向が正しいのであれば、まとまった順番で実行するべきだと小生は思う。国全体が黒字であるにもかかわらず、これほどの財政赤字をどうにもできない国民であれば、日本人が解決できる課題は何一つないだろう。震災復興ですらも、色々と批判が出るたびに頓挫し、ついには国全体の活力が決定的に失われるか、中央政府の権威が完全に失われ日本国という国家が解体過程に入っていくことすらも視界に入ってくる。それが現段階じゃないか、と。そう思うのですな。

とはいえ、税と社会保障の一体改革は、所詮は日本国内でカネをどう再配分するかという<やりくり>に過ぎない。日本人全体としての収入合計を増やす政策ではない。収入合計を増やすには、就業機会を増やさないといけない。就業してとりくむ仕事の質をあげないといけない。安くしないと売れない商品を作っている間は駄目であり、高くても買ってもらえる商品を作れるようにならないといけない。それも世界市場で。<やりくり>ではなくて、<いい仕事>をする、できる。そのための構想、戦略。いま最も緊急性のある課題はこちらじゃないかと思うのだ。<やりくり>なんて、つまりは再配分。再配分はゼロサムゲーム。誰かがもらえば、誰かがとられるわけだから、所得が湧いて出てくる話しでは、そもそもないわけである。所得は価値を生み出す、生産する、いい仕事をすることでしか、全体、増えないのだ。

× × ×

今朝の北海道新聞の朝刊。一面トップは『ロシア極東に道銀農場』。道内企業と来春共同で農業ビジネスを後押しする計画が報じられている。
北海道銀行の主導で、道内の農業生産法人と農機具メーカーが共同で、ロシア極東のハバロフスク市郊外に寒冷地型モデル農場を来春に開設する方針が明らかになった。現地の農業法人から千ヘクタールの農地を借り受け、作付けする計画。今年5月にも関係者が現地を訪れ、具体的に協議する。モデル農場では道内の農業技術を結集し、牛乳や飼料用トウモロコシなどを生産。将来的には、ロシア極東で大掛かりな農業ビジネスを展開する構想を描いている。(北海道新聞朝刊、2012年1月1日1面より引用)
予定区域であるアムール川流域は肥沃な黒土地帯が広がっているものの、現地の農家は単一品種の集中連作を繰り返し、地力の衰えを招いているとのこと。加えてソ連崩壊とともに集団農場が解体され、現在では耕地面積の三分の一しか活用されていないそうである。こうした現状をみた韓国資本、中国資本は既に共同事業を持ちかけ「ランドラッシュ」現象が起こっているという。そこに北海道も参入するわけ。北海道農業の「輪作体系や、試料を発酵させて保存するサイレージなどは、世界的にも高い水準」にあるので、事業が発展すれば東アジア全域の食料庫として再生することができる。もちろん、それだけではなく北海道農業にとっては、コスト劣位からコスト優位へ移る契機となり、道内農場では差別化に成功した高くても売れる農産物を生産し、外地ではコスト優位性の下で価格競争に勝ち抜ける農産物を生産する。このような競争戦略が可能にもなるのである。

これは、言うまでもなく<TPP対応戦略>である。TPPは確かに道内農業にとっては、ある種の黒船かもしれない。しかし、日本が世界にも稀な和魂洋才ハイブリッド型近代化モデルとなったのは、黒船直後であったという事実を忘れてはならない。

今日は元旦。一年の計、百年の計をじっくりと考えたい時だ。<税と社会保障の一体改革>、かたや<ロシア極東で農業ビジネス>。どことなく臆病さと虚無感が漂い情けなさのあまり落涙を禁じえないのはどちらであるか。それは自明ではあるまいか。

日本経済新聞朝刊の一面は・・・と。何々「開かれる知、つながる力」。動きだすチーム・グローバル。何のこっちゃ?シリコンバレー、ボストン、中南米ハイチ、ケニアのナイロビ・・・の話し。
プロもアマも日本も外国もない。復興の最前線で「チーム・グローバル」が20年後の街の姿に目をこらす。(日本経済新聞、2012年1月1日朝刊1面より引用)
言いたいことは分かる。現実はこうだということは分かる。しかし、これが全国の読者に向かって一番先に伝えるべき情報であるのだろうかなあ?被災地にとって何よりも励みになる報道なのかなあ?本社高層ビルの窓際で、パイプ(?)を燻らせながら思いを世界に馳せるエリート新聞人の横顔シルエットと、そうした人士が楽しみとする<アームチェア・エディター>という仕事の特性が、小生、何となく分かったような気がしたのだな。