2月29日投稿は4年に一度しかチャンスがない。今月はもう十分じゃないかという気がしたが、やはりブログとはWebLog、つまりは航海日誌なので、覚え書をアップしておこう。
断片的だが、なるほどと思われること:
自衛隊作戦立案の一元化。こんな報道だ。全文は長いので一部抜粋させてもらう。
自衛隊の作戦計画策定をめぐっては従来、背広組を中心とする内部部局と制服組を中心とする統合幕僚監部との間で、機能の重複や時間的なロスの発生といった問題点が指摘されていた。形式上は背広組の役割とされている「指針の起案」や「防衛相への承認申請」でも、軍事の専門家である制服組のサポートを全面的に得なければ業務が進まないのが実情だ。策定手続きの統幕への一元化にはこれらの弊害を解消する狙いがある。 根拠となっているのは、昨年6月に成立した改正防衛省設置法だ。・・・(中略)作戦計画策定の統幕への一元化はこうした流れを受けたものだが、一部のメディアからは批判も出ている。制服組の権限拡大や文民統制の脆弱(ぜいじゃく)化を危惧する内容だが、的外れと指摘せざるを得ない。 法改正後の統幕には、統幕副長級の「総括官」や部課長級の「参事官」など文官ポストを新設。背広組を統幕の幹部に配置することで、統幕自体の業務プロセスに“背広組の目”が入る仕組みとした。統幕が作戦計画策定の主導権を握ったとしても、防衛相への報告など各段階で「内幕」の合意形成が必ず行われる。(出所)産経ニュース、2月29日
作戦立案を制服組が専担するとしても、作戦実施の決定が内閣に属するなら言葉の定義からして「軍の暴走」はありえない。ありえるのは「内閣の暴走」である。加えて、予算は国会で議決するという原則を守るなら、自衛隊の暴走も内閣の暴走も不可能である。ありうるとすれば、「日本版ナチス」の出現する時だけである。が、タコツボ社会・日本では想像すらできない。
戦前期の軍部独走は、明治憲法がもっていた統治システムの欠陥によってはじめて可能になったことだ。明治から大正にかけては元老、文官、軍人それぞれがオリジナルの発想を(まあまあ)理解しており、その共有意識が憲法の欠陥を補っていた。制御不能な状態になったのは、そもそも法的な規定がそれを許していたからに他ならない。
というか、戦前期においても予算編成権は内閣に属していた。陸軍(海軍)大臣現役武官制が実現せず、軍部による倒閣の切り札が与えられなければ、1930年代以降の迷走は起こりえなかった。ま、この話題は何度書いても飽きないのだが、これ以上は脱線になるので、今回はここまでで。
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これはどうかと思うこと。
北城恪太郎・経済同友会終身幹事(国際基督教大学理事長)は国立大学の学長選考会議は3分の2以上を学外委員にして学外主導としないと大胆な改革はできないと指摘する。・・・(中略)2015年4月に、大学のガバナンス改革を進めるために学校教育法と国立大学法人法の改正が施行されて、1年がたとうとしている。重要な点は学校教育法93条の改正である。大学としての最終意思決定は学長が行い、教授会はその学長が決定を行うのに当たって教育研究に関する重要な事項に関して意見を述べることができると明記された。教授会は意見を出すが、それを受けて最終的に決めるのは学長ということで、両者の関係が法律で明確になった。(出所)日本経済新聞、2月29日
大学運営は、雇用されている教職員の意見のみで決められるべきではなく、納税者の代表(≒ 文部科学省?)、授業料負担者、その他資金提供者の意見も反映されて、決められなければならない。
当然のことだ。
専任の教員のみが構成する会議である教授会がすべてを決定するのは「おかしい」わけであり、同じロジックで学長が着想するプランをそのまま実行するのも「おかしい」わけである。
そう考えれば、たとえ学外委員を3分の2という比率にするにしても、その学外委員は納税者の利益、つまり公益を代表する者として大学経営に参加しているという自覚を持つのか否か。誰を代表する委員であるのか。結局は、限定的な観点から個人的な見解を述べるだけなのではないか。
こういう言い方をすれば、適切な大学運営などは、詰まるところどうやってもダメだということになる。
議論が収束しないのは、組織のあり方を議論しているからだ。組織は戦略にしたがい、戦略は目的に従う。
国立大学の組織を語るのであれば、そもそも私立大学が多数ある中で、なぜ国立大学が設置されているか。その設置目的はなにか?この問いかけが出発点である。
国立大学はその設置目的が最も効率的に達成される組織の下で運営されるべきだと。これが本筋の議論になるはずだ。
目的なきガバナンス論というのは、最初から「おかしい」わけであるな。