季節は夏が終わり秋になろうとする頃だ。北海道の秋は短く、10月上旬にはジャケット一枚では寒くなり、薄手のスプリングコートを着用したくなる。11月上旬には雪虫がさかんに飛び回り、中旬には初雪が降るだろう。そして、12月上旬には最初の吹雪がやってくる年が多い。冬はもうそこまで来ているのである。
北海道電力の苫東厚真発電所の復旧までにかかる日数は、最初『少なくとも一週間』と言っていたのが、『少なくとも一週間、もしくは一か月か、それ以上かかる』という具合にだんだんとニュアンスが変わってきている。
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経済産業省は、復旧はゆっくりと、今度は間違いなく進めるように要請している(と憶測される)。北海道電力は道内の信頼を取り戻すためにもテキパキと進めたいだろう(と憶測される)。
経済産業省は、計画停電にまで一度はもっていき、気温が下がるのをまち、冬の到来が近い中、それ以上の計画停電が実行困難であるという事実を示したいだろう。
計画停電が実行困難。北本連携線の容量には制約があり、北海道は内地と切り離されている。北海道は電力自活が求められている。となれば、泊原発を政治判断で再稼働するしかリスクを避けるには選択肢がない。その根拠が今回のブラックアウトである。
その後に及んで反対するものがいれば、与党と当局は『万が一、再度のブラックアウトで死者が出れば、あなた、責任をどうとるのか?』という殺し文句を使うだろう。正直、北海道に暮らし、冬を迎えようとする小生も、これに共感する感覚がある。
ともかくも、戦後の日本政治の大原則は与野党を問わず「人命尊重」で一貫している。「何が正しい?」ではない。「いかにすれば人的犠牲者を最小にできるか?」でいまの日本の政治は動いているのが一貫した事実である。
まあ、この辺までは<見え見え>の筋書きである。が、その筋書きの進行を止めるのは中々に難しかろう。
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ずばり言えば、この冬を迎えるにあたって、東日本大震災後に一度は確立したかのように見えた「震災後」の原子力規制体制は既に詰んでしまった。
その責任について検証が必要だろう。
時代はまた再び大きく曲がり角を曲がっていくに違いない。まあ、大震災以降の議論が一切リセットとまではいかないと思うが。
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問題は、振り子がまた反対方向へ触れた後、小規模自家発電重視の社会(小生が好む社会システムだが高コスト体質ではある)へ向かうか、また地域独占型巨大発電所の社会(国際競争力の維持に望ましい社会ではある)へ戻っていくか、である。その辺が観察テーマとして面白くなってきた。
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