2018年9月22日土曜日

ブラックアウトと電池の話し・企業の良心の話し

朝寝坊をした今朝、カミさんとこんな会話をした:

カミさん: 停電の日、ヤマダ電機で買った乾電池ネ、色が青いでしょ、表面が。みんなは赤いのを買ってたのよね。あっちの方が良かったのかなあ・・・

小生: あのね、パナソニックのエボルタ。あれだと外した状態で10年もつみたいだよ。

カミさん: ホント?ちょっと調べてみるかな・・・
(iPadで色々と検索をしている様子)
ウ~ン、よくわからない。どこが違うのかなあ・・・

小生: 貸して。なんだ「パナソニック 乾電池」で検索してるの?知りたいのは「エボルタ」だろ?電池そのものは、これ?ん、"Evolta Neo"って書いてるじゃない。これ以上の製品はないんじゃない。

カミさん: じゃあ、他の人たちが買っていた赤いのは?

小生: "Evolta Neo"は"Evolta"を超えるって書いてあるよ。赤いのは普通のアルカリ乾電池だったんじゃないの?

カミさん: そうかなあ・・・

小生: まあ、10年もつって言ってもさ、それに液漏れ防止が施されているっていってもね、まあ、ラジオからは外しておくけどね。

カミさん: 長い期間使わないときは電池を取り外してくださいって書いてるものね。

小生: そうだろ。でもね、メーカーってのは可笑しいんだよ。使用済みの電池は使わないでくださいとも取扱説明書には割と書いてるよ。

カミさん: 使わないときは外して、使いかけの電池は使うなってさあ・・・どうしたらいいの?

小生: 要するに、一度電池を使ったら、またそれをいつか使うなんてことはせず、どんどん新しいのを買えってことさ。安全のためにっていう理由はあるにしても、まあ販売戦略だな。あまり良心的じゃないよネエ。

カミさん: フ~~ン、でも、使いかけでも使っていいんじゃない?音が出れば。

小生: 僕も使ってるけどね。まあ大体、メーカーっていうのは、そもそも「良心的」じゃあないんだよ。

カミさん: そうなの?

小生: そうそう。

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メーカーというのはそもそも良心的ではない。

自社利益を最大化することが企業一般の目的である。国民の幸福を向上させるというのは経営目的ではなく、ソーシャル・メカニズムの動作特性がもたらす結果である。そういう風に制度を設計しているわけであって、経営者の業績ではない。

電池を入れっぱなしにしていると液漏れの危険がある。使いかけの電池を新品と混ぜて使うとやはり液漏れの危険がある。まあ、色々と「べからず集」は出てくるようだ。が、電池を買う人でこんな情報を集める人は稀だろう。

社会は病院と同じで、何か問題が発生して困ったときに、異常が発生した時に、臨床的に対応し、その後の安全を約束する。そんな風に世間というのは動いているものだ。

そもそも異常などは起きないようにしようというのは、そもそも人間世界から病気なるものを無くすことが重要であるという空論と似ているところがある。

***

北海道ブラックアウトについては、その原因検証作業も進んでいるようであり、既にマスメディア、ネットには数多の意見が公開されている。

先日の投稿では「マスコミの暴走、ネットの無法」について、その時の考えをまとめておいた。

思うのだが、エネルギー戦略という相当深みがあって、一定の予備知識、学問的背景、自らの思考を練り上げる努力などが要されるトピックについては、圧倒的にネット媒体の方が内容に信頼性がある。

民放のTVは低コスト番組編成方針が歴然としており論外としても、大手新聞メディアに書かれている(書かれつつある)意見もまた、すべて一面的かつ他人事、しかも特定の価値観を地元住民に押し付けているようでもあり、読んでいると実に腹が立つものが多い。

新聞には、時に専門家の意見が掲載されるが、ほとんどは一言コメント、長くてもA4版3,4ページ程度のショートレポート。一本の論文にもならない程度の短文にすぎない。ここが、いわば毎日発行する新聞メディアのウィークポイントにもなっている。要するに、啓蒙的役割を発揮していないのだ。

もちろんネットに投稿されている意見は、大半が一知半解で、レポートにもならないような感想文に過ぎない。しかし、部屋の中をひっくり返して探しているうちに見つかる宝物にも似ていて、その中には本当に良質の投稿が見いだされる。そんな嬉しい経験を与えてくれるのは大手マスメディアではなく、ネットの方である。

そのことを改めて確認したことも今回の経験だった。

大手マスメディアもまた民間企業である。企業というのはすべて、そもそも良心的ではないのである。

新聞も乾電池も商品である。やはり似ているところがあるものだ。

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