2018年9月26日水曜日

「貴乃花劇場」を演出する法匪たち?

退職届ではなく引退届では受理できない・・・というのは規則上そうなっているからだ。弟子の受け入れ先の千賀ノ浦親方の署名捺印がないので、これも保留だと言うのもそういう規則になっているからだ。

規則の細目と照合して、有効なアクションを選んでいくのは、法律専門家の日常そのものである。しかし、人間関係の現実は、必ずしも規則を連想しながら機能しているわけではない。世間に迷惑をかけないならご自由に、というのは現代社会の最もありがたいところだ。

文章にしておくのは、現場の当事者では解決不能となり、暴力を含めた実力勝負になる事態を避けるためであって、その意味において法律や規則は社会のツールなのである。目的ではない。ツールである。法律や規則自体に価値があるわけではない、と。

小生は古い慣習が好みなので、成文法は嫌いだというのが本音である。

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『引退届では受理できない』というなら、要するに慰留をすればいい。

弟子の受け入れ先の署名捺印がないなら、『相手先は了承しているのか?了承も得られていないのに、いきなり弟子もろとも部屋を放り出すっていうのは無責任だぞ』と、ストレートに言えばいい。

日常発生しうる中身のある現実的問題は、ホンネに沿った話し合い(=昔ながらの所謂寄り合い)でほとんど全て解決可能である。要するに、妥協だ。足して2で割ればよいのである。それで丸くおさめてやってきたことは日本社会には多い。日本の社会システムを古層として規定している慣行を拙速にリセットして、法律的論理だけでやって行こうとすると、日本社会は「深層崩壊」をひきおこす可能性がある。そう思うのだ、な。

相撲協会も中央官庁が一枚噛んだ公益法人に衣替えをしたので、慣習よりも規定というベクトルが働いているのだろう。しかし、伝統と慣習とは表裏一体である。慣習を解体しながら、伝統を維持することはほとんど不可能であると小生は思っている。

【加筆:2018/9/30】例えば、関取の髪型である大銀杏(≒丁髷)。まわしをつける取り組み時の風体と挙措動作。横綱の土俵入り。横綱引退時の断髪式。これらは全て伝統と言われるが、要するに慣習である。力士の生き方を規定する慣習を解体しながら、その外観である土俵入りや大銀杏だけは伝統という名で残すことが本当に可能だろうか?もしそうなら、力士はチンドン屋や芸人とどこが違うだろう・・・と、小生にはそう思われるのだな。大事なのはエスプリ(=精神、心意気)の継承であって、行動パターンのコピーではない。・・・

大体、古い慣行が容認できないなら、謝罪する際の土下座などは日本古来の無意味な悪習だ。土下座を要求する行為は法的に禁止するのがロジックだろう。

話しが脱線してしまった・・・。ともかく話題を戻す。

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公益法人を運営するにはコンプライアンスが求められる。他方で、相撲という伝統興行は成文規定で細目を規定しておこうと考える西洋文化が日本に根付く以前から続いてきた。

あらゆる局面で、二つの文化が衝突している印象である。

歌舞伎に男女雇用均等原則を当てはめれば歌舞伎という伝統芸術は変質する。茶道の組織運営に民主的かつ透明性ある組織運営を求めれば裏千家や表千家といった家元の伝統は途絶えるだろう。能も同じ、狂言も同じ、華道も同じ、日本舞踊も同じだ。どれも「和の文化の粋」として今やカネの生る木ではないか。尊重するのが上策だ。

規則の条文を操作する「法匪」のごとく外部弁護士が組織運営で重要な役割を果たすという現状はもう限界ではないか。

純粋スポーツ路線からは方向転換して、継承されてきたありのままの現実で相撲という闘技をファンにアピールすることを第一目的とするのが望ましい戦略だと思われる。

大体、引退届なんてえものを代理人(弁護士?)に頼んで届けてもらうなんて、土台、おかしいヨ。で、本人は行かずに瓦版に口上を述べるってんだから、男じゃねえ。サッパリしねえよ。気に入らないネエ。そう思いませんかい?エッ、あなたそう思わない?本人が提出する義務があるとは規則に定められていない?まったく・・・だから、嫌だってんだヨ!よくそれで相撲が好きになれたねえ・・・エッ、普段はみない?あんな古いもの、みるわけない?なくなっちまっても構わねえと思ってる御仁が、相撲のあれがどうの、これがどうのってサ、言えた義理じゃあないんじゃござんせんか?関心ないなら、口つぐんでサ、別に世間様に迷惑かけてるわけじゃなし、何も言わずに見てりゃあ、それでいいんじゃあござんせんか?エッ、口は出したい、自分は民主主義者だ・・・、ホントにまあ困った人だネエ、あなたも。
ま、こんな心境である、な。

伝統芸能は、行う人と楽しむ人とが直接にかかわって、その在り方を決めていけばそれでいい話である、本来は。楽しんでいる人たちを外野から邪魔する権利などは誰にもないわけだ。別に日本経済とも、国の未来とも関係のない話である。分裂するのもよし、まとまるもよし、である。

【加筆:2018/9/30】まあ、平々凡々たる力士もいれば、傑出した名力士がいるのも事実だ。ボンクラ力士の俗っぽさが偉大な名力士のスピリットを押しつぶしているなら、極めて残念であるのも事実である。

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『新聞を読んだのなら分かるようにキチンと署名捺印しておいてヨネ!』、間違って朝刊をカミさんに廃棄されたのに腹を立てて文句を言ったら、こんな風にやり返された。これもまた現代日本社会で法匪がのさばる現状を象徴する出来事か・・・(もちろん嘘でござる)。


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