2018年9月8日土曜日

北海道大地震後の電力回復に思う

6日未明3時頃に大地震があり、直後から北海道全域が停電状態となった。拙宅に電気が戻ったのは昨晩10時半である。約42時間の停電だった。

 昔は(といっても、せいぜい40年か50年ほどの前だが)電気・ガス・水道のライフライン3点セットは、それぞれ別個の事だった。 亡くなった母が時々『今日はお昼から夕方まで停電なのよ』などと言っても、電話が通じず通信ができなくなるというわけではなく、料理に困るわけではない。ガソリンスタンドも使えるし、店に行けば軽トラで運んできた海産物は一杯並んでいる。レジは機械式、伝票は筆記。ちょっと重いものを運ぶのは全て人力。電気で動くのは家電、重電。国鉄(現在のJR)も大体はディーゼルだったので電気がなくとも大丈夫。そんな時代であったから、停電したからといって社会全体がストールするなどということはなかったのだな。実に頑健。打たれ強いロバストなシステムであった。

昨夜、電気が復旧して、夜のニュース番組をみると、今回の地震が結構な大騒ぎになっている事をしった。『平成30年北海道胆振東部(大?)地震』などという「立派な」名称がつけられていることも知った。

停電中はラジオで地震関係報道を聴いていたが、ラジオの報道は純粋な意味での報道、情報提供であり、情報以外のコンテンツをアナウンサーが伝えることはない・・・ただ、そういえば『胆振東部』ナントカ、カントカとは言ってたろうか。まあ、そんな感じであった。

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止まっているのは電気だけというのは確かに幸運なことではあった。水が出なければ、マンションである拙宅では暮らせない。料理、洗濯ができなくとも何とかなるが、水洗トイレが使用不可になれば、避難所に移るしか手はなくなる。

電気がなければ最低限のことしかできないと言っても、最低限の生活は自宅でできるのは、それ自体、非常に有難いことだった。多くのマンションでは電気が止まれば、自動的に水も止まる。拙宅のあるマンションでは何年か前に電気不要の方式に変えていた。これは当時のマンション管理組合理事長の英断だった。

初日は突然のことで夜のローソク生活も辛かったが、二回目の夕食ではだいぶん慣れた。やることもないので早々にベッドに入ったのだが、10時半に突然明かりがつき、電気が戻ったとわかったのだ。

拙宅のボイラーは電気がなければ動かないので、風呂に湯をはることができたのが嬉しかった。

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それはともかく、今回のブラックアウトで北海道電力の甘い経営管理に批判が出始めているようだ。

そうかと思うと、安倍内閣の行政姿勢に批判の眼差しを向ける見方もある。
原発を動かさないと大規模停電が起こる可能性は、ずっと指摘されてきた。特に北海道は、冬に停電すると凍死者が出るおそれがあるので危険だと言われてきたが、電力会社も経産省もそういう事態を「想定外」にしてきた。それを想定すると、原発再稼動しか答がないからだ。
 安倍政権は電力会社を悪者にして原子力の問題から逃げてきたが、そろそろ限界は近い。北海道の電力危機は、次のもっと大きな危機を警告しているのではないか。
URL: http://agora-web.jp/archives/2034613.html

泊原発が再稼働していれば、今回のように北海道全域がブラックアウトするなどという事態は起こらなかった。これは確かだ。

広域ブラックアウトなどという事態を引き起こさないように政府はエネルギー政策を進め、電力会社は電源立地と管理を慎重に行うのが当たり前である。実際、今回のように北海道全域が停電となったのは、太平洋戦争後の北電創業以来初めての事態であるという。いや「事態」ではない、「失策」、「チョンボ」と言うべきかもしれない。

特に、今回の震源地になった胆振東部地域は地震の巣窟で、実際、昨年7月にも震度5の地震が発生している。苫東厚真発電所がすべて被災するときにどうなるかというシミュレーション位はやっておくべきだったろうとは思う。

確かに、原発再稼働という重要課題から安倍内閣が逃げているというのは事実の側面をついていると小生も思う。

しかし、上の引用記事とは別に、泊原発再稼働がさっぱり前に進まないのは、高橋・道知事に最大の責任があると小生は見ているのだ、な。

今回のブラックアウトで「見える化」されたように、泊原発再稼働問題は北海道民の生活に直接関連してくる非常に重要な事柄である。再稼働が必要であるなら、全力でそのことを政府に主張するべきであったし、再稼働が緊急の課題でないと考えていたのであれば、今回のブラックアウトはなぜ起こってしまったのか、道庁は説明するべき責任をもつ。

なので、今回の歴史的ブラックアウトの直接的責任は先ずは道知事にあるとみているのだ。

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小生は、泊原発からそれほど離れてはいない町で暮らしている。原子力発電所が近くにあるよりはない方がいいに決まっている。しかし、ない方がいいということなら火力発電所だって、ない方がいい。ダムの近くで暮らすのもどちらかと言えば嫌だ。ブラックアウトで40時間、50時間の停電を我慢する生活は、している内にだんだんと慣れていくのだろう。2週間も続ければ、それが自然になるのだろう。それでもやはり「"Black Out Once Again"(ブラックアウトもう一度)」はもう嫌だ。御免だ。今回限りにしてほしい。正直なところ、電力が安定するなら、最先端の原発管理技術を是非活用してもらい、原子物理学の進展の果実を享受したい、と。そう思っている。電力の安定イコール暮らしの安定なのだから。小生は隕石が落ちてくるのを心配する性格ではない。福島第一原発事故を、いまどう見ているかは、また書く機会もある。

電気のことは、北海道で暮らす人たちの多数の意見で今後の方向が決まって行くのだろうが、北海道外のギャラリーが発する野次馬的ヤジ、いやいやジャーナリズム的な提案は、出来るなら遠慮してほしいものだ、と。そう感じてもいるのだ。

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