2018年9月9日日曜日

昨日の補足: 道内電力に関する予想

北海道大地震によるブラックアウトもほぼ解消したが、週明け以降の需給安定については不安が先立っているようで、いつ計画停電が行われても不思議ではない。

「計画停電」は最後の手段と政府や北電は言っているが、この最後の手段さえ12月以降の厳冬期に入れば、事実上実行困難になるだろう。

たとえ2時間程度の停電であっても、道内の石油ストーブは煙突式もFF式もほぼ全て電気がなければ運転できない。拙宅のFF式もそうだ。本州でよく使われているポータブル式の石油ストーブはまず焼け石に水だろう。頼りは(ひとまず)ガスストーブになるが、石油を使用する多くの住宅ではそもそもガスの配管がない部屋が大半で、道内に多いオール電化住宅ではガス利用はできないのではないか。2時間も電気が止まっている間に、家全体がマイナス気温となるだろうし、ブラックアウトになればどこに避難してもマイナス10度の世界で、文字通りの生き残りを迫られる事態になる。

・・・まあ、こんな惨状になれば、世界中からエネルギー政策の失策を非難されるだろう。

厳冬期の北海道においては電力需要が今よりはもっと増える。たとえ今回被災した苫東厚真発電所が復旧したとしてもリスクは変わらない。計画停電は実行困難である。全域ブラックアウトを招くと、犠牲者が出るだろう。北海道の電力需給には(実は)生命のリスクがあったわけである。

〇〇〇予想〇〇〇

政府判断として泊原発再稼働を認める(時限的臨時措置になるかもしれないが、臨時というにはその理屈が通らない)。


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そもそも現行法規上、北電が泊原発を再稼働すると違法になるのかどうか、極めて曖昧である。一応は、全国の各電力会社は原子力規制委員会による審査に従ってきてはいる。が、そこで合理的な審議が行われているかどうかという点については専門家による色々な意見があるようだ(たとえば、これ)。要するに、原発の稼働は民主党・菅内閣による突然の超法規的停止要請以降、科学的というより極めて政治的な案件になっている。故に、問題を解決するには科学ではなく、政治が必要な状態になってしまっている。判断は科学だという政治家は問題から逃げているという指摘は確かにそうなのだ。そう思うのだ、な。

大体、今になってから遅れに遅れた泊原発の審査作業を定められた手順で完了させることは、ほとんど不可能ではないだろうか。冬の到来まで時間が足りない。冬には極めて大きなリスクがあることが顕在化した ― リスクが新たに発生したのではない。存在していたリスクを直視せず対処することなく放置していた。この事実が明らかになったわけだ。

なので、再稼働可という判断は政治的判断になる。停止も政治的判断、再稼働も政治的判断・・・。既成事実追認型の無責任行政にはじまり、同じく無責任にその終幕をひく。こんな体たらくであれば、原子力発電設備は「原子力発電公社」として国有化するのが筋ではないかと思うし、このことは東日本大震災直後に予想もしておいたのだが、遅々として進まない。

進まないというこの点に関しては、昨日投稿したように北海道知事の責任でも、北海道電力の責任でもなく、内閣の責任であり、ひいては日本社会の責任、ジャーナリズムの責任でもあると思う。


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