試してみる。充電が必要なところが電子タバコである所以だ。
1時間半ほどで充電が終わり、使用可能になる。
モカの香りがするブラウンから試す。
ゆっくりと深く吸う。
う~ん、これは確かにタバコである。煙も出る。が、タバコ葉を燃やしているわけではないので、タールなど肺がんを誘発する物質はほぼ除去されている(そうだ)。
科学の進歩には感謝するばかりだ。また喫煙の習慣が再開できた初日となった。
電子タバコでも健康被害はゼロではないという。しかし、小生は1日でも長く生きていたいという気持ちはそれほど強くない。毎日を楽しく、愉快に、幸福にやりたいものである。アレルギーならば仕方がないが、そうでないなら食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、行きたいところに行き、読みたいものを読む。誰でもそうすればいいと思う。もちろん人様々ではあるが。幸福は生きた日数には比例しないものである。
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若いころには官庁で小役人をやっていた。調査分析もやったし、統計業務もやった、性格的にはマッチしないことテキメンであったが記者クラブを相手にする広報室も経験した。その他いろいろだ。
思うのだが、もしあのストレスに満ちた毎日、オフィスで喫煙が禁止されており、電話折衝や会議室で延々と続く部内検討の場で一切タバコを吸ってはいけないという状況であったなら、気持ちはどうであったろうというのは、想像もつかない。
当時、小生が愛用したのはキャビンとプロムナードであった。どちらかと言えば、濃厚なテイストが好みだった。
イライラとしたとき、相手も自分も黙々と煙草をふかすものだ。5分もそうやっていると、何か落としどころがないか、また頭脳が回転を始める。そんな感覚は、もうそれは日常茶飯事であり、「あの頃」の「仕事」はそんなものだった。
それでもストレスは溜まった。そんなときは、勤務時間が終わってから同僚と夕食がてら呑みに行った。8時頃、また戻って、仕事をした。
そんな毎日だった。
禁煙できたのは、子供が小さかったのと、大学に戻ってストレスが減少したからだ。
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今様のオフィスはずっと清潔なのに違いない。
清潔にはなったのだろうが、ずいぶん、ハラスメントは増えているのかもしれない。
こういうと、『昔だってハラスメントはあったでしょ、なかったなんて信じられません、人間なんだから・・・』という指摘もあるかもしれない。
しかし、小生は運が良かったかもしれないが、上役や先輩、同僚などからハラスメントをされた、意地悪をされた等々、そんな気持ちを抱いたことはない。というか、一度もない。厳しい(時に過酷な?)要求をされたことは随分あり、無茶をいってくれるものだと腹が立つことも再三であったが、そんなストレスを解消するための工夫が、まずはタバコ、それから週に一度くらいの飲み会だった ― 宴会は嫌いだったが、仲間内の飲み会は大好きだった。
ストレスは蓄積しないことが第一だと言われるが、長年の経験知がまだ日本の組織にはあったのかもしれない。
「仕事」というのは、外部(=市場、競争、国際関係、政策課題、etc.)の現実から決まってくるもので、組織内部の人間が何を仕事にするかを自由に決められるわけではない。人が現実に対応するのであり、現実が人に合わせてくれると理解するのは非現実的だ、と。思い出してみると、ずっとこんな考え方をしてきたようであり、今もまだそうである。
オフィスを清潔に、マナー正しくするのは大賛成だ。小生が若かった時分はどの人の机もチャンガラで、灰皿には吸い殻が積もっていた。しかし、いくら乱雑で、タバコ臭くても、ハラスメントの被害者や加害者になるよりはマシだ。我慢、というより慣れればそれが自然になる。周囲との人間関係で不愉快な事ばかりが頻発するのは真っ平御免だ。そんなトラブルに陥らずにすんだのが幸いだ。
上で「慣れれば自然」だと書いた。自動車が走っていない明治期の日本人が現代の都心を歩けば、その喧騒と危険に我慢できないだろう。東京タワーと東京プリンスホテルがそそり立つ増上寺境内の様変わりに涙をこぼすことだろう。現代日本が美しく、清らかだと思う人は現代の日本人だけに違いない。そう思われるのだ、な。
タバコ臭く、マナーレスなオフィスではあったものの、その頃は幸福な時代だったかもしれない。