2019年7月14日日曜日

一言メモ: 国語純化運動は珍しい現象ではない

韓国で日本語駆逐運動が推進されているというのが評判になっている。日本語起源の単語、主として「修学旅行」や「運動会」といった言葉が対象になるのだろうが、それらを純粋の韓国語に置き換えるという運動だ。これも現政権の「反日姿勢」を示すものであるという伝えられ方が多いようだ。

しかし、この方向を推し進めると、「科学」や「数学」、最後には「大統領」という単語まで使用不可にしなければならないというので韓国内でも困惑する向きがあるとか。

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最近の日韓関係悪化の中で「またか」と感じる日本人も多いのだろうが、自国語純化運動というのは珍しい現象ではない。

欧州でもフランスの言語政策(=フランス語保護政策)は有名である。具体的には、現代社会で英語が占めるポジションを無視できないという状況があるのだが、その英語に起源をもつ単語がフランス語の中に無秩序に流入しないよう管理するというのが目的(の一つ)であるようだ。言語、特にその国の公用語を何とするかは非常に微妙で、かつ民族意識を刺激する歴史問題でもあるわけで、多民族が混住している欧州社会では非常に重要な政策課題である。

19世紀以降に西欧文明を導入した日本で作成された和製単語が中韓に輸出され、それがいま改めて国語純化の観点から見直されている現象は、決して共感不可能なものではない。

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日本の明治時代は文明開化の時代ではあったが、明治期も前半の西欧文明導入期と後半の伝統倫理再建期に区分される。明治23年に発布された「教育勅語」は明治初期の文明開化時代の精神からは決して出て来ない内容だと思う。

文政権発足後にいま韓国で推進されている諸政策は、決して韓国語純化運動だけにとどまらない。いわゆる「積弊清算」という言葉で表現されているが、どの高さに立ってこの問題意識を洞察するかも大事なところである。例えていえば、日本の明治政府が果たそうとして困難であった政策課題、つまり旧幕時代に列強と締結した「安政五カ国条約」の是正に相通じるところがあるかもしれない。「安政五カ国条約」は徳川幕府が西欧諸国と締結した「条約」ではあったが、孝明天皇による勅許を得てはおらず明治維新以降の日本人がみれば「仮条約」としか言えない側面をもっていた。しかし、諸外国の立場からいえばそれは日本の事情である。故に、不平等条約改正交渉は困難を極め、最終的な解決は実に日露戦争後に達成された。朴正熙軍事政権が日本と締結した日韓基本条約も「積弊」の一つだという意識そのものは共有されているのだろう。現代の韓国人の目からみると色々と納得しがたい点がある、その心理自体は日本人に理解できないわけではないと思われる。

いま韓国で進んでいるのは、昭和戦前期に入って経済的苦境にあった日本で展開された「国体明徴運動」と似ているところがあるかもしれない。そのコリアン・バージョンだと言えば的外れだろうか。日中戦争から太平洋戦争開戦へと至る主たる動機の一つが、この「国体」という言葉であったことは誰も否定できないはずだ。

どちらにしても相手国が時に暴走するとしても、自国もまた暴走をした時代を経験したのであって、「暴走」それ自体を口を極めて非難するのは成熟した国が採るべき道ではないと感じる。国際交流が繁栄に向かう王道であるのは経験からも立証されていることだ。どこかの段階で、正常な軌道に戻す努力が求められるだろう。

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