2019年7月20日土曜日

断想: 「戦争状態」と「戦争」について

「戦争放棄」を憲法で定めていても、現実に自衛のための戦力を保有している以上、どこか他国が日本本土を攻撃すれば自動的に「戦争状態」になる。日本は憲法上それを「戦争」であるとは宣言できないだろうが、誰が考えてもそれは欺瞞である。

戦争を放棄する意志を本当にもつなら、かつて経済学者・森嶋通夫氏が展開したロジックに従って、武力攻撃された場合は直ちに「降伏」するのが筋が通り、嘘のない誠実な態度である。直ちに降伏するつもりなら自衛隊という戦力を保持する必要はない。武力攻撃に抵抗する姿勢をとっていること自体が「戦争能力」をもつことを認めている証拠だ。戦争能力を現実にもっていること自体が心の奥底では戦争放棄を本当は決意していない証拠である。

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明日の参院選挙を前にして、今回の選挙運動では「憲法改正」は全くといってよい程、争点にならなかった。もっぱら「年金」と「暮らし」である。

それは確かに分かるのだが、与党・自民党の党首が「憲法改正」を主たる争点に掲げているにもかかわらず、選挙前に議論もしない、対抗的反論もしないというのは(野党はしていると主張するのだろうが)、何のために政治家になったのだろうと感心してしまう。

年金は暮らしの安定に望ましい。暮らしの安定には平和が望ましい。平和の維持のためには外交や安全保障が大事だ。大前提で問題が発生している情勢の中で年金を議論してもあるべき政治にはならないのではないか。

9条の改正には国民の半数以上が慎重である、というのが世論調査の示すところだ。しかし、欧州諸国はそれぞれ軍隊をもっている。アジア諸国も軍隊をもっている。軍隊をもっていてもそれが原因となって国際的な平和が阻害されるという結果にはなっていない。むしろその逆ではないだろうか。無秩序の横行を防止しているのではないか。そして、日本の自衛隊は要するに「軍隊」であり「国防軍」である。

世界の現実と憲法条文との乖離について公論を始めようとしないのは、日本ではもはや「論壇」も「論客」も「専門家」も消失した証拠である。まったくいつまで待っていても始まらないのは驚きに値する……前の投稿からずいぶん経ってしまったが。

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現実に起こりうる事態を概念として想定していない「法」は、法として穴があいている状態である。憲法で想定していない危機が発生するとき―それは戦争ではない戦争状態になるが―法が適切に事態を管理できない、つまり無法状態になる理屈だ。法の真空状態において日本に軍事政権が生まれ「想定外の事態」を根拠に憲法の無効を宣言するだろう……。

経済SFも面白いが、政治SFもミステリアスで面白い。可能性の追求に関する頭の体操だ。

いずれにしても憲法の矛盾点を放置するのは危なくて愚かだ。


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