2019年7月30日火曜日

そもそも「不買運動」は知恵の足りなさを表す

対韓輸出管理強化をきっかけにいま日韓紛争が進行中である。報道によれば日本品不買運動が功を奏してか、全体としては大体2割から4割程度まで各種日本品の売り上げが落ちているようだ。もちろん、その裏には買いだめをしてから不買運動に参加したという人、秘密裏にネットから購入を続けている人、いろいろなケースがあるのではないかという指摘もあるようだ。とはいえ、傾向として韓国における日本品の売り上げはこの先相当期間にわたって前年比で半減程度にはなっていくのだろうと予測する。

***

亡くなった小生の母は太平洋戦争開戦時にまだ12歳であったから小学校の次の下関高等女学校では丸々戦時勤労動員に明け暮れた毎日であったそうだ ― これ自体が戦時徴用による学習機会喪失に該当するのだが、日本人ということで政府からは何の慰撫もなかったようである。

敗戦で崩壊したため軍国主義ばかりが強調されているが、戦前期の日本社会の豊かさには侮りがたいものがあった。夏目漱石も志賀直哉も江戸川乱歩もすべて戦前日本の文学だ。映像的には、例えば朝ドラ『花子とアン』を観れば大体想像がつくだろう。母は祖父の転勤について地方の色々な小都市に移り住んだが、田舎であるにもかかわらず、午後3時にはリプトン紅茶とクッキーを祖母が出してくれていたそうだ。小生がまだ少年期にころ、母が買って帰る紅茶は日東紅茶であったが、何かというと『戦争前はイギリスのリプトン紅茶というのがあってね、まろやかな味がするのヨ』と、別に日東紅茶が苦すぎて飲めなかったわけではないが、母はずいぶん物足りない様子であったことを思いだす。

昭和16年12月以降は世の中から輸入品が次第に消え去り、というか『贅沢は敵だ』、『鬼畜米英』のスローガンの下で英語由来の言葉すら追放する運動が広がることになった。野球のワン・ストライクが「よし一本」になったのはその頃で、父などは余りの馬鹿々々しさに何が目的か理解不能だったそうだ。

まあ、不買運動にせよ、言葉狩りにせよ、何も反撃手段がない大敵と戦うとき、知恵のない官僚や政治家が必ず選ぶ戦術である。アメリカでは日系人が強制収容されたが、日本語追放とか日本品不買運動が彼の地で隆盛を極めたなどとは不勉強のためか耳にしたことがない。むしろ敵国をよく知ろうという理由で日本語や日本文化への関心が高まったと聞いている。

伊豆の小都市である三島に父が転勤となり小生は3年間弱その町で過ごした。母が隣町の沼津市にあるデパートでリプトン(の青箱であったのだろう)をみつけて買って帰ったときの嬉しそうな表情だけを断片的に思い出すのが不思議である。その時の季節や、一日の内の何時頃であったのか、すべて忘れたのだが、嬉しそうな母の声だけは覚えているのである。その後、日本が経済大国になるにともなって紅茶もトワイニングやフォートナム・メイスン、リジウェイやメルローズなどの高級銘柄が出回るようになった。母も色々なブランドの紅茶を楽しむことができた。少女期を過ごした戦前日本よりも遥かに豊かになったと思うのだが、一番嬉しかったのはやはりずっと我慢してきたリプトン紅茶をまた見つけたときであるのは帰って来るなり嬉しそうに私に話した時の声から分かることである。

リプトンやジョニーウォーカー、ダンヒル、ジャズ音楽を日本の役人は国民に我慢させたが、我慢すれば勝てる、我慢しなければ負ける、そんな話ではそもそもなかったのである。ただそのときの為政者の頭が悪かったことだけが分かるエピソードである。日本が酷い負け方をしたのは当たり前であったという理屈だ。

0 件のコメント: