2019年7月15日月曜日

性善説の前提が崩れれば「自由市場」も「自由貿易」も原則ではなくなる

日韓輸出規制の強化が、WTOの自由貿易原理と矛盾しているのか、それとも必要最小限度の安全保障上の例外措置の範囲内なのか、やはりパブリックな議論にゆだねた方がよいのかもしれない ― 韓国側からの問題提起は当然でもあるし、むしろ望ましいと小生は思う。

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自由貿易の基盤には市場経済がある。市場経済を信頼する基礎として、「自由市場」こそが多数の人の生活水準向上に最も寄与するのだという認識がある。経済理論の定理でもある。

が、市場経済を信頼する際には暗黙の前提がある。それは一部の参加者が多数者の社会システムを意図的に毀損する意志を持っていないという性善説である。

つまり、市場に参加する人々は、利益を求めているだけであり、その限りで市場経済の発展を願い、市場機能の維持に協力しようとする。市場経済の覇者として自らの権力を強化し、人々を抑圧したり、支配しようとする政治目的はもたない。あるいは、他の参加者に危害を加えることを意図しながら、その意図を隠ぺいして市場機会を活用するという所謂「闇の勢力」は無視できるほどの勢力しかもっていない。その意味で、市場経済は性善説の仮定に立っている。

たとえば包丁を販売している店は、客がその包丁で人を殺傷する意志はもっていないと最初から前提してかまわない。ゴルフクラブを買う客も、金槌を買う客も、同様である。包丁を買おうとする客が悪意ある意図を持っていないかどうか、売る店の経営者が確認をする責任はない。希望をすれば誰にでも「性善説」の仮定に立って、包丁やゴルフクラブや金槌を売るのが「市場経済」である。

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その市場経済の大前提が21世紀には当てはまらなくなりつつある……、そんな事実認識が形成され始めているのかもしれない。

まず自由貿易への疑念が表面化し、次には市場経済への疑念が高まるのではないか ― いや、もう既に市場経済には疑問を呈する人々が増えつつあるのが現実ではないだろうか。

テロ組織の国内浸透、スリーパー・エージェントの増殖は確かに21世紀型の戦争形態であるようにも見れる。極めて非対称であり、敵対集団の輪郭も位置も姿も不分明であるのだが、核兵器保有に支えられた超大国に戦いを挑み自分たちの政治的意思を実現するには、こうした戦略が最も合理的なのである、と。そんな議論もありうるのが21世紀の特徴かもしれない。そして、この戦略を技術的に可能にしているのが、インターネットと情報通信技術の進歩であるのはもはや説明を要しない。通信技術に加えて、匿名性の高いデジタル通貨が浸透すれば、上にいう様な戦闘集団が伝統的国家に勝利する可能性は一層高まるのではないか。そう思ったりもする。

このように潮流が変わりつつある中で、「市場経済」や「自由貿易」の理念がこれからも「グローバル・スタンダード」であると言えるのかどうか?

微妙な時期に差し掛かっている。確かにそんな一面が現在の世界にはある。冷戦が終わり、アメリカ一強の時代となり、新自由主義と自由貿易への讃歌が高らかにうたわれた時代は確かにもう過ぎ去った過去である。

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自由資本主義が発展しつくしたあと欧米列強が帝国主義に移行した19世紀末から第一次世界大戦までの世相に今は似通っているかもしれない ― 利害と価値を共有できる国家群がブロック経済を形成して分立するのは第一次大戦後のことではあったが。

性善説を前提とするのは市場経済だけではない。現代のインターネットの基盤技術であるTCP/IP。これもまた見直されて一昔前の「専用回線」ではないが、国籍、氏名、履歴、現職などが確認され承認されたユーザーのみで運営されるネットワーク網が「21世紀の自由主義国家群」に再構築される・・・そんなこともありうるのか、と。ま、小生が生きてそんな事態を見ることはないと思うが、絶対にないとは言えない。そう観ているところだ。

一度統合された世界が次第に解体され、地方ごとに分立していく現象は歴史上何度も発生している。「ローマによる平和(Pax Romana)」もそうであったし、世界帝国・唐王朝もつまらない理由で自然崩壊したのである。”Pax Britannica"から"Pax Americana"と続いているメイン・ストリームも次第に多くの細流に枝分かれするかもしれない。その真っ最中に生きている世代は歴史の証人になるだけで誰にも止められはしない。

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