2020年1月20日月曜日

一言メモ: 「競技」と「装備」について

ビジネスの発展と成長に技術革新は不可欠である。技術革新は「創造的破壊」と言われるように、古いやり方を陳腐化してしまう。古いものが消え去り、新しいものが世界に広まっていくことができるのは、技術進歩の成果を認めているからだ。

ところが、

陸上競技界ではいわゆる「厚底シューズ」を禁止するか容認するかで紛糾しているようである。

厚底シューズがなぜ厚底になるかかと言えば、ソールの部分に「カーボンプレート」を挿入しているからである。そのプレートには弾性があるので、走行中に撓むことによって、走者に推進力をサポートする機能をもつ。最近のマラソンや日本国内の駅伝で記録更新が相次いでいるが、その背景には厚底シューズの普及がある。そこで、不公平ではないか、陸上競技の本旨・ルールから逸脱している、と。そんな理由で世界陸連は専門家に調査を依頼したというのである。

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棒高跳びではそれまでの竹を素材としたポールからグラスファイバー製のポールに切り替わったが、あれからもう何年たっただろうか。やはり一騒動あったことを記憶している。

競泳でも英国企業・Speedo製の水着を着用可とするか禁止するかで議論が紛糾した。競泳では新記録を出しやすい同社の水着は使用禁止とした。

陸上競技のマラソンでは厚底シューズをどうするのだろうか?

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日本国内では「使用を認めるべきだ」という意見が多いようだ。そもそも厚底シューズは米企業・Nike社の商品だが、3万円程度で誰もが購入できるもので、別に不公平な状況になっているわけではない、走者の足を保護する機能もある、そもそも技術進歩の成果を取り入れていくことのどこが問題なのか、等々。まあ、色々な角度から容認論が展開されている。

小生も厚底シューズを認めていいのではないかと考える。理由の一つとして、現時点で使用禁止にすると、マラソンの代表選手選考の過程で意図せぬ不公平が生じるという点もある。

棒高跳びの例もそうだが、あらゆる技術進歩と陸上競技とを切り離そうとすれば、そもそもトラック競技の全種目で選手はハダシで走るほうが原則に適う理屈になる。スパイクの付いたシューズ自体、走者に推進力を与えているではないかという指摘がある。

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ただ、技術進歩の成果である新商品を認めていくと、選手の実力で勝ったのか、装備の力で勝ったのかが、段々と不分明になるのも事実だろう。

既に厚底シューズでは、日本のアシックスとミズノからプレートを挿入した競合商品が開発され、これから試用を開始すると報道されている。

プレートを挿入するという発想は日本人技術者は出来なかったかもしれないが、方向が定まってからの改善となると日本企業は得意である。

これからは、シューズのソール部分にどんなプレートを埋め込むか。その技術開発競争が選手の勝敗に決定的な影響を与えることになるだろう。現在は「カーボン・プレート」だが、それが最適の素材なのかどうか、開発陣は徹底的に検証するであろう。

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更に、予想されるのは、マラソンで「推進補助プレート」が実質的に認められるのであれば、他にも例えば「走り幅跳び」や「走り高跳び」、「三段跳び」など跳躍系の競技においても補助プレートを認めるべきであるという議論が始まるのではないだろうか。

一部の競技で補助プレートを容認すれば、他分野の競技で禁止する論拠がなくなってしまう。おそらく容認せざるをえなくなる。そして、走り幅跳びはヒョッとすると「9メートル」の時代が遠からずやってくる。走高跳でも「2メートル50センチ」を跳ばないと優勝できない。そんな時代がやってきそうである。

確かに夢があって小生も興奮するが、しかし、所詮はシューズの製造技術が可能にする記録であって、選手の実力ではない。選手の実力はハダシで走ったり、ハダシで跳んでもらえば一目瞭然だ。

結局、私たちが観たいのは、装備の力を借りてもいいから人がどこまで記録を伸ばせられるのか、それとも装備抜きの正真正銘の選手の力を私たちは測りたいのか、どちらなのか?この二つの選択に帰するのである。

どちらでも別に世界が変わるわけではない。

が、視聴率が上がるのは多分前者のほう。つまり装備の力を借りてもいいから、人間はどこまで記録を伸ばせるのか。中継放送を視る側にとっても、流す側にとっても、需要があるのはこちらのほうではないかと、小生には思われるのだ、な。

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