それは
- 減点主義
- 加点主義
- 総合主義
この三つである。
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前の投稿でも「減点主義」というキーワードを使ったが、これは誰もが知っている方式である。
日本の名門企業、例えば都市銀行などでは採られていた方法で、要するに採用時には横一線である初期値からスタートして、何か失敗するたびに減点していく評価法である。失敗をすれば減点されるので、取締役になれるかどうかは「傷が少ない方が勝つ」。つまり減点主義となる。
引退した「団塊の世代」が送ってきた人生は、この「減点主義」が常識であった時代ではなかったろうか。減点主義に慣れている人は、「習イ、性ニナッテイル」のか人の失敗に対して大変厳しい。一度失敗すると、実績によるその後のプラスはないので「あの人はもう終わったネ」などと感想を述べたりするものだ。
減点主義の下で次期社長に選ばれる人は、失敗をしていない人、誰も文句を言わない人、履歴に傷がない人。どれほど実績があってもヴァルネラブルな人はトップになれない。そんな人選になるのは必然である。
「加点主義」というのは、多くの人にとって馴染みがないと思うが、減点主義とは正反対である。
起業家は、何度失敗しても最後に勝てば成功するのだから、文字通りの加点主義で経営者評価がされている。
そのほかにも例えば、筆記試験は「加点主義」である。
初期値をゼロ点として、設問に正解すればプラスの配点が与えられる。出来て当たり前の基礎的質問にどれほど頓珍漢な誤答をしても、マイナス評価されることはない。実績を出すごとにプラスに加点されて、最終結果が決まる。だから加点主義になる。
筆記試験はシンプルな加点主義であるが、実は小生、担当していた「統計学」の期末試験で『今回の試験では単純な加点主義はとりません。たとえばデータの散布度を伝える特性値は何かという問題で、三つの選択肢が「平均値」、「分散」、「中央値」であったとして、「中央値」を選ぶ人は単なるゼロ点にはしません。マイナス5点の減点にします』、そんな話をしたことがある。とんでもない間違いをして大幅減点をされてしまうと、どこかで難問を解いても(そもそも基本が理解できていない人が難問に正解するということはないのだが)、プラスマイナス0点にしかならない。
普通の試験なら、正解ならプラス、間違いならそれがどれほどバカな間違いでもゼロ点である。総合主義評価法では、許容できない理解不足を評価ゼロで据え置くのではなく、減点する。その意味で、小生は「今度の試験では加点主義ではなく、総合主義で評価します」、そう話したわけである。
・・・結局、聴いていた学生達があまりに情けなさそうな表情を浮かべたので、総合主義で成績評価することは中止した。
しかし、正解ならプラス、白紙なら何も書いていない状態なのでゼロ点、滅茶苦茶な内容の解答を書けばマイナス。小生は、評価である以上、総合主義が本道であると、今でも確信している。
来年度の共通入試から思考力に重点を置いた問題になるそうだが、論理に重きを置くのであれば、総合主義で評価しなければ評価にならないだろう。あるキーワードが入っていればプラス、理解不能な奇妙な論述があっても減点なしというのでは、実質的には空欄穴埋め式と違いがないということになる。
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