2020年1月1日水曜日

「ゴーン裁判」という予行演習はなくなる見通しとなったが・・・

年も改まろうとする年の瀬、日産元会長・カルロス=ゴーン氏が日本から脱出してレバノンに入国したとの情報に日本のみならず世界が驚愕した。

それもそうだろうと思う。大体、パスポートも持っていないはずの大の男が(大の女もいるにはいるが)一人、出国審査で引っかかることもなく秘密裏に出国できるなどは技術的に不可能である、ということは考えてみればすぐに分かることだ。つまり、協力者がいる、荷物検査を免れる外交上の配慮がどこかで加えられた等々、正に小生の好きなサマセット・モームの小説を地で行くような展開があったのだろう。

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ま、ゴーン裁判は前に投稿したように、この種の国際的事案に関する日本政府の予行演習であったと小生は思っている。

その予行演習が始まらないうちに、まんまと逃亡されてしまったわけである。

これまた法務省、裁判所、弁護士、etc.にとっては「勉強」であったろう。予定していた「予行演習」は報道で伝えられているレバノン政府の姿勢をみれば、多分、無期延期になるだろうが、これもまた「勉強」であったことは間違いない。

失敗は成功の母である。

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そもそも全ての国において同じ司法制度があり、同じ裁判制度があるのであれば、特定の国の司法を選好したり忌避したりする理由はないわけだ。わざわざ危険を犯して日本を脱出し、レバノンに向かおうと決断したのは、危険を犯すだけのメリットがあったとゴーン氏側が考えたからである。

そのメリットとは何か?

ゴーン氏にはゴーン氏の正義がある。日本の司法には日本の司法の正義がある。どちらの正義が正しいか決着をつけることは論理的には不可能である。

法は、ソーシャル・マネジメントのツールであり、その法が「正しい」ということを意味しない。日本では日本の法律がローカル・ルールであり、外国には別のルールがある。

それ以上でも以下でもない。法律もルールもない、正義や善や真理もない、自然のむき出しの現実の世界がそこにあるだけだ。

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多分、泥仕合になるのだろう。

が、世界という舞台で法の正義を主張しあうのは日本にとっては最悪の展開であるかもしれない。こんな風になる予定も想定もなかったからだ。

求めて「予行演習」とするにはカルロス・ゴーンという人物は難物であり過ぎたかもしれない。関係国がフランス、レバノン、ブラジルで丁度手ごろ。演習には最適。舞台効果もあって華やかだ。検察側に名誉欲が出たかもしれない。ではあるが、もしゴーン氏がコスモポリタンではなく生粋のアメリカ人でフォードの前副社長、アイビーリーグ出身の超エリートであったならば、日本の検察は米国人の感情を忖度して、別の手法を選んで慎重に詰めていたのではないだろうか。日産内部の日本人取締役たちの扱い方とバランスをとったに違いないと、そう小生には思われるのだ、な。

油断したのはゴーン氏であったのは外観であり、実は日本政府の方だったのだろう。

韓国の徴用工裁判もそうだが、「ゴーン被告逃亡」をどう解決するかという問題は、日本‐レバノン、及び日本‐フランスの関係においても出口のない難問になるかもしれない。彼が地中海沿岸の「自宅」で天寿を全うするまで日本は耐え抜くしかないのだろうか。

この問題を解決できる人物は極めて頭のよい人である。

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