2020年1月18日土曜日

一言メモ:昔の「男尊女卑」の意識に関連して

少し前の投稿のテーマは「『いまは女性が生きづらい』という表現に関連して」というものだった。

そこで次の下りを書いた:

しかし、母は戦時中や戦争直後の時代は辛かったとはあまり話しをすることなく、それよりは「女は三界に家無しなのヨ」とよく小生には話していた。
息子に何度も話すのだから、よほど情けない思いをしていたのだと推測される。「三界」とは、人生を幼い時代、壮年時代、老年時代の三つに切り分けた三つの時代という意味であったようであり、女性は幼いときは親に、大人になれば夫に従い、老いては子に従う。それが定めである、と。要するに、女性は自分では生きてはいけない、と。そういうことであったらしい。
これだけを聞くと酷いネエと思う。
小生とカミさんが生きた時代では上のような妻のイメージ、夫婦のイメージは過去のものだった。

小生はさる専門職大学院で非常勤の授業を担当しているが、夜間にある授業が終わってバスで帰宅するとカミさんが車で迎えに来ている ― というより、小生がカミさんに迎えを頼むのである。LINEで。

バスを降りて車に乗って最初に言う言葉は、当然のこと「ありがとネ」である。しかし、記憶している父と母であれば、父は母に礼などはしなかったと、やはり想像してしまう。「待ったか?」、「ううん」といったやり取りは交わされるだろうが、何かを頼んで「ありがとう」という雰囲気ではなかった記憶がある。

これが「妻は夫に従うものである」という習慣であると言うなら、そうだったのだろうなあ、と今でも思う。子供心にも父に横暴を感じたことは一度や二度ではない。家族で遊園地などに遊びに出かけても、父は一人で先に行ってしまう。迷った父と再会すると、父の方が逆に「勝手にうろつくんじゃない!」と怒ったりする。まるで落語のようであるが、どこの家庭でも父親というのは、大なり小なり、そんな人間像であったのではないかと思う。もちろん都会風、田舎風など、地域差、学歴差、家庭差はあったのだろうが。

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昔風の父親が家庭の中でとった横暴な態度は、しかし日本古来の習慣でもなかったような気が最近はするのだ。

明治以降の戦前期日本では、全ての男子に対して兵役の義務が課されていたことが、やはり日本人すべての意識下にあったのではないかと今は思っている。

リアルタイムで実感することは出来ようはずもないが、現実に何度も戦争を繰り返し、実際に青年たちが召集され、その何パーセントかは戦死をして戻っては来ないという社会の現実を目で見れば、『男は外で仕事をして、女は家を守る』という日常感覚が心身に染みついてもそれは当たり前の事であったろうと想像する。「仕事」の中には兵役も含まれていたのである。男には国のために命をかける義務があるが、女には義務はない。そういう国の現実があるのであれば、平時においても男性は女性に対してモラル的優越感を持ったであろう。故に、戦前期の旧い日本社会では、たとえ母のいうとおり『女、三界に家無し』と世間では言っていても、「女は生きづらい」とは思わなかった。こんな事情があったのではないかと想像している。

ま、想像するだけであるが・・・。

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何事によらず、ある人間集団が他の集団に対して優越感を抱くとすれば、その土台にはモラル上の優越意識がなければならず、モラル上の優越意識をもてるのは双方がその関係を理解するような現実があるが故である。上に書いたことも、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という一般的な原理が働いていた一つの例であったかもしれない。

もちろん戦後日本では状況がまったく変化してしまった。

男性が女性に優越感を抱くとして、その根拠を小生は思いつかない。あるとすれば、個々の家庭の事情のためだろう。根拠がない以上、今から30年もたてば「男尊女卑」などという意識も感覚も日本社会からは雲散霧消しているだろうと予想する —— いや、今とは逆に『男は国のために何もしないのに、女は未来のために子供を産めと言われる』という潜在的怒りが噴出して、女性の方がモラル的優越感を持つに至るかもしれない。「女尊男卑」である。

というより、そもそも他者に対して「優越感」を抱くことのできる人間集団は現代日本にはいない。いわゆる「セレブ」は、「成功した人々」であって、「より多くの義務を"Our Duty"として引き受ける人々」ではない。

貴賤の違い、尊卑の差などというものは、それ自体がタブーとなり、意識されることもなくなった。利益よりは徳目を重視する社会階層は消失したし、求められてもいない。いたとしても鬱陶しがられて「何様!」と罵られるだけであろう。現代社会では。

成功した民主主義社会がいまここにある、ということか。

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