ある年の夏休みであったが、風邪ではなく腹痛がおさまらず熱も下がらなかったときがあった。間もなく始業式だという頃になって、住んでいた社宅で親しくしていた「お婆ちゃん」がある神社の御札と怪しげな朱色の丸薬を持ってきて飲んでみなさい、と。お札は枕の下に置きなさい、と。母はウロン気であったが不思議なことにそれを境に熱が下がり、腹痛もおさまったのである。ま、治るタイミングでもあったかもしれない。何とも言えない。お婆ちゃんには母が懇ろに御礼をいったと後できいた。
病気はかかったら治す。病気にならないようにするという予防はもちろん大事だが、かかったらあらゆる手段を講じて治す。治すためにはそれなりの日数と体力、免疫力が要る。健康的な生活が大事だ。
いつの時代でもこれが大原則だと思っている。
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今回の「新型コロナウイルス」も、小生の子供時代であれば、新型コロナか旧型コロナか、そんな区別も出来るはずがなく、せいぜいが『今冬の風邪はタチが悪く、特にお年寄りは感染しないように気を付けてください』と、NHKのニュース辺りで注意を喚起するくらいの対応であったと想像する。まして、毎年の風邪流行で経済活動を自粛するなどは議論されようもなく、実際小生の記憶には残っていない。
現時点のイベント自粛、卒業式自粛、スポーツの無観客開催、等々は、ウイルスの遺伝子情報までもがグローバルに公開される時代になってこその現代特有の事象である、と。そう思いながらTVのワイドショーを観ているから小生もあまり良い性格ではない。
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日本政府が設けた「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」もすっかり有名になったが、その初回会合のあと、専門家のこんな予想もあるという記事をネットで見かけたのは数日前である。
専門家会議は患者が急速に増加する「国内感染期」との判断を示さなかったが、世界全体の新型コロナウイルスの感染者数は7万人を超え、終息の兆しはまったく見えていない。(出所)Business Journal , 2020-02-17配信、藤和彦『日本と世界の先を読む』
世界保健機関(WHO)の非常勤顧問を務める感染症の権威であるアイラ・ロンジーニ氏は、「新型コロナウイルスの最終的な感染者数は数十億人に達する可能性がある」という驚くべき試算を明らかにした(2月13日付ZeroHedge)。現在米フロリダ大学で感染症を統計的手法に基づき定量的に分析する研究所の共同所長を務めるロンジーニ氏は、「中国の大規模な隔離措置が世界での感染拡大を半分に抑えたとしても、世界の約3分の1が感染することになる」と警告を発している。
爆発的な流行の可能性を警告するのは、ロンジーニ氏だけではない。香港大学のガブリエル・レオン教授(公衆衛生学が専門)も「このまま放置すれば世界の3分の2近くが新型コロナウイルスに感染する恐れがある」との見解を示している(2月14日付ブルームバーグ)。
今回の新型コロナウイルスは、比較的軽症で治るケースが多いようだが、無症状者から感染する場合もあれば、一度回復し陰性になったあとで再び発症して陽転するケースもあるという。こういう特性をもっているのであれば、最終的には人類全体の3分の1乃至3分の2が罹患するという上の記事をみても、小生はそれほどの衝撃は受けない。
先日のTVで、「今日の感染者数増加は〇〇十人、先生、この先いかにしてこの増加を抑えていくかですよね」と、まあこんな趣旨の質問をMCが医師であるコメンテーターにしたところ、「いや、こんな数字ではおさまらないと思います」と応えていたが、その通りだと思う。日本国内のワイドショーは、要するにプロデューサーの発想とMCの進行振りで内容はあらかじめ決まっているはずなのだが、放送局側の意識が現実に追い付いていないのではないかと。観ていてそう思うことが増えてきた。
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風邪は引き始めが肝心である 。インフルエンザもそうである。『風邪は万病のもと』という格言は生きている。
重くなってから病院に来てください、と。
それじゃあ、助かる人も助からないんじゃないですか?
政府の方針を聞いている人のほとんどは素朴な疑問を抱いているだろう。常識とは真逆であるからだ。
ただ……
いかなる戦略も目的に従うものである。政府のいまの戦略は
重症患者を救う。死者の数を可能な限り抑える政府の方針は公表された通りだが、風邪って重くなってからだと治りにくいのじゃないですか。この疑問をなぜ記者さんたちは方針発表時にぶつけなかったのだろうと不思議で仕方がない。やり方など、このネット時代である。中国ではこの機を活用して大学のネット授業、遠隔授業を本式に立ち上げようと新たな行動段階に入っている。この分野が活性化している。
『いまは止めておこう」と、それだけじゃあ、ダメだよ。それじゃあマイナスの影響が出るだけだヨ。
いくらでも新規作戦は立案できるじゃあないか。そう感じた次第。
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前回投稿での下り。
そもそも公衆衛生行政は「政治主導」で進めるべき事とも小生には思えない。
この点を補足しておきたい。
公衆衛生と経済運営と、方向が異なる二つの目的の一側面であっても 有識者をまじえた政治の場で「目標」が明確に設定されたことは、それはそれなりに評価に値すると思う。
ただ、この目的設定は太平洋戦争開戦時に「米国の海軍勢力をたたいて短期間の戦力的優位を築く」という目的を戦略だと思って設定してしまった史実を思い出す。これは「当面の戦術」であって、戦争を始めるための基本戦略ではない。
その意味で、政府が公表した上の戦略には欠けている部分が多々あると思う。政府の発表は、戦略ではなく、戦術であって、せいぜいが「当面のアクション・プログラム」である。
中央政府の政策は、目的を設定して基本戦略を策定し、同時並行的に複数の戦術を重層的に進めなければならない。そうなっていない。つまり、政府が打ち出している対処方針は<体系的>でなく、総合戦略になっていない。
体系的でないのは、作戦の立案調整を担当する司令塔がいないからである。総理大臣は司令塔ではない。文字通りのトップは司令塔ではない。こんな当たり前のことは民間企業の社内でも同じである。組織のトップがやるべき事は最も基本的な目的を明示することである。そして、その目的を全員で共有させることが最大の責任である。目的を達成するために時間コスト、経済コストを最小化する戦略を策定するのが司令塔である。軍事組織では参謀本部になる。即ち、官僚・専門家で構成される職業的な人材集団が戦略立案に参画し、その長は司令塔となって調整するのである。そんな参謀本部という存在が今回のウイルス禍で伝わってこない。発表される内容はどれも断片的であり、かつ(逆説的だが)スピード感に欠け、事態の変化を後追いしている。後手をふんでいる。そんな感覚はそれこそ広く国民に共有されつつあるのではないか。
その意味で、安倍内閣の国内行政能力の限界を(もともと国内行政についてはそれほど高いレベルの内閣ではなかったと小生は観ているが)いまヒシヒシと感じる。
更に、実働部隊の戦術能力についても疑問を感じる。上で述べたように設定された目標を達成するための戦術に話を限定するとしても、戦術が最善であるかどうかについては、やはり疑問を感じる。いま展開されている政府の行動プランには、まだ改善の余地が幾つかあるのではないか。
普段の<PDCAサイクル>の忠実な実行が何より大事だ。特に「問題発見」と「解決案の実行」までの時間的ラグを短縮化する努力が最もカギになるだろう。
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