こういうのを「揚げ足取り」というのだろうナア、とは思う。とはいえ、ネットに「公開」設定で投稿するというのは、世間で自由な論評の対象にしてくださいという意味でもある。で、遠慮なしに述べるのだが:
昨日までの正解が明日以降も通用する時代なら、経験豊かな年長者に従うのが合理的ですね。右肩上がりの昭和の時代ならそれでよかったのかもしれません。
URL:https://blogos.com/article/515444/?p=2
こんな言い回しは、最近になって、非常に頻繁に使われている。
それにしても「右肩上がりの昭和時代」ねえ・・・と、小生などは絶句する。
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昭和時代ほど、波乱に満ち、ジェットコースターのように上がり、下がりを繰り返した時代はレアなのではないだろうか?
結果として実質GDP(当時はGNPが主であったが)成長率が高かったのは敗戦国で遅れていたことと、外地から内地に戻った人たちによって国内人口が急増したからだ。最近の中国と同じ"The Advantage of Late-comers"が高度成長の背景で、昭和終盤には「海図なき航海」の時代に入っていた。
多分、引用した箇所の著者は、昭和と言っても「いや、もちろん、戦後のことですヨ」と言いたいのだろうが、戦後といっても色々ある。「イヤイヤ、独立後の時代です」と言うかもしれないが、安保騒動、ベトナム戦争、狂乱物価、ニクソンショック、石油危機、こんな事は一切、ひょっとしてご存じない? 結構、大騒動だったんだけどなあ・・・。新型コロナなんて、正直、大した脅威じゃあありません。
小生には、「右肩上がりの昭和の時代なら、経験豊かな年長者に従うのが合理的だった」 というよりも、事実は反対で「混乱に際して周章狼狽することなく理にかなった行動をした経験豊かな人たちがいたので、昭和戦後という時代は右肩上がりの時代となった」ように見える。
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昭和戦前期は、日露戦後から大正デモクラシー、第一次世界大戦後の国際協調時代を支えた経験豊かな人々を排除して、「革新」を目指す「新官僚」と自称するような「元気のいい若手・中堅」が、議論ではなく力によって強引に組織内改革を断行して、自我を通そうとしたところに、その後の「意図せざる対米戦争」に至る迷走の主因があった。
小生は歴史の専門家ではないが、そう見えるし、実際、そんな事実の集積が日本の失敗、というより崩壊そのものであったと思っている。
ま、昭和戦後の復興と成長は、幸運と合理的行動が重なった奇跡と見るべきで、確かに「右肩上がりの時代」に見えることは見えるが、それは「成績」なのであって、「右肩上がりのあの時代なら何とか、かんとか」などという甘いものじゃあなかったと、決して現役として中核を構成した世代ではないが、小生はそんな記憶をもっている。
これだけ書けば、覚え書きとしては十分だ。
若手は、風などは読まず、KYに徹しつつ、自分の計画を提案して、組織に、社会に、世間に遠慮なく訴えていけば、それで十分だ。現代日本には検閲もなく、発禁処分もない。十分ではないか。理にかなったことを提案すれば通るだろうし、無理な事を主張すれば通らないだろう。やっぱり「なせばなる なさねばならぬ」が現実だと思うのだ、な。年長者のせいではなく、行動できないのは、自分にその気がないからだ、と。そうとしか思えないのだが、違うのだろうか?
ただ、小泉時代に群がるように登場したベンチャー起業家が、民主党政権から安倍政権にかけての10年間でまったく後を絶つように貧寒たる状態に落ちてしまったのは、やはり政治が為してきたことだと思う。この点ばかりは、臆病で愚かな年長者に「責任の一端」がある ― 全責任ではない、念のため。が、この話題はまた別の機会に回したい。
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