社会がどう変わっていくかは、数名の政治家やエリートが何をするかではなく、国民全体の経済状況や科学技術の活用、さらには国民意識や価値観が決めていくものであるし、現にそうであるというのが、いわゆる民主主義的な世界観、社会観、歴史観だと括っても間違いではないはずだ。例えば、トルストイの『戦争と平和』は、こんな世界観で展開されている(と言われている)。小生は、いわゆる「ドストエフスキー派」で、トルストイの作品にはどうにも没入できないので、真面目な読者ではないが、伝えられるこの社会観にはまったく同感なのだ。
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ところで今読んでいるのは実に旧い本で、江藤淳の『海は甦える』、その第2巻なのだが、裏表紙を開いた余白には亡くなった父が「52年11月6日 了」と書き込んでいる。もちろん昭和である。父が亡くなったのは比較的若い年齢であったから、もう44年も昔の書き込みだ。
実は、その中にこんな下りがある。日清戦争後に露仏独が日本に加えた<三国干渉>を当時まだ存命中だった勝海舟が批評した言葉で、引用しているのは筆者の江藤淳だが、小生もずっと以前に『海舟座談』で読んだ記憶がある。少し長いが覚え書きまでに引用しておこう:
今の大臣で
候 なぞ言うて、太平無事の時は空威張りに威張り散らして、少し外交のことがゴタリとすれば、身振るいしてじきに縮み込む先生ばかりだから実に困るのだよ。見なさい、遼東半島還付のあのざまはどうだね。そのくせ伊藤さん(=伊藤博文)や陸奥などが、生意気なことをしゃべくるのが片腹痛くてたまらないのよ。・・・講和談判のときかエ、あのときはおれの塾にいた陸奥宗光が外務大臣として衝に当たっておった関係もあり、かたがた当局へ一書を呈して注意したわけサ。おれの意見は日本は朝鮮の独立保護のために戦ったのだから、土地は寸尺も取るべからず。そのかわり沢山に償金をとることが肝要だ。もっともその償金の使途は支那の鉄道を敷設するに限る。ツマリ支那から取った償金で、支那の交通の便をはかってやる。支那はかならず喜んでこれに応ずるサ。今日にしてこの敷設をなさざれば、他日1マイルの鉄道を布くこともかならず欧米の干渉を受くることとなるよ。この何億という償金が日本に来たときは、軽薄な日本人のこと、かならずや有頂天になっていたずらに奢侈に耽り、国が弱くなるばかりだよ。ところがこのことも、お天狗の連中から一笑に付せられて、ご採用がかなわったわけサ。戦争に勝っても、国内の驕りが今日のごとくでは、輸入超過で2,3年のうちには元の木阿弥さ。それで国人は驕り、外国からは嫉まれ、経済戦では敗北し、八方ふさがりだよ。
日清戦争(それと日露戦争)の当時は、幸にして莫大な償金を原資にして日本は(金銀複本位ではなく本格的な)金本位制度を採用し、グローバルな国際金融ネットワークに入る途を選んだ。また、勝海舟が批判するほどに当時の政治指導者は浮かれていたわけでもなく、概して明治から大正期にかけて、日本の国際外交は独善を排する協調的な傾向を一貫させていた(とまとめてもよいだろう)。
むしろ海舟の批判は、大正3年(1914年)から7年(1918年)まで続いた第一次世界大戦による空前のバブル景気と、国際収支黒字基調の定着、戦後の国際連盟設立で「世界の5大国」に認知される中で、日本国内に浸透した「日本型の大衆民主主義」が醸し出す国民意識に対して、より適切に当てはまったのではないかと、感じる。
ラッキーなことに日清戦争当時は、日本国内の庶民がいくら浮かれても、その集団が国を動かす政治的影響力を発揮するまでには至っていない。戦前期・日本では議院内閣制が採られず、国会は多数派政党が支配するものの、行政府のトップである総理大臣は天皇の大権によって指名されていた。まだまだ非民主主義的なお国柄であったから、日本は国を誤ることがなかったと、そうも言えるかもしれない。戦後日本の民主主義を理想とする人たちは飛び上がって怒るかもしれないが・・・
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このように考えると、ごく数名の指導者の責任観と洞察力で国全体が間違った方向へと進まない、浮かれ騒ぐ一般庶民に対する防波堤になることで歴史が形成されることもある、そんな歴史観もやはり成立する余地がある。引用した下りを読むと、こんな感想ももってしまうわけだ。
実際に、日本で(男性のみであるが)普通選挙が導入されたのは大正から昭和へと移る境目である大正14年(1925年)のことだ。その後の日本の政治史が惨憺たるものであったことは周知のことで、昭和7年(1932年)に犬養首相が海軍青年将校たちに狙撃・暗殺されたときも、一般庶民は腐敗した(と煽られて信じた)政治家の暗殺を評価し、犯人の助命を嘆願する署名が当局に殺到し、新聞にはそんな世論を支持する記事で溢れかえった。
これが《ポピュリズム》なのだが、こうした事例をみるにつけ、「堕落した民主主義」よりも「理想の君主主義」のほうが善い社会であると(小生には)思われる。もちろん「堕落した君主主義」よりは「理想の民主主義」の方がよいことは当然だ。意見が分かれるのは、「理想の民主主義」と「理想の君主主義」と、このどちらが善いかだろうが、多分これには正解がない。これはもう、その人その人の好きズキなのだと考えているが、著名な政治学者・丸山真男が言った(と記憶している)『民主主義に期待できない美点は優雅というものだろう』というのはその通りかもしれないし、そもそも日本人が誇りとする<サムライ>や<武士道>も、非民主主義であった旧い日本社会を前提にして日本人が磨き上げてきた日本人のロールモデル、いや日本人の理念型なのであり、行動倫理である。戦後の民主主義・日本がこのさき成熟して行くうえで、生きたサムライが求められているのかどうか、非常に疑わしいと思う。
しかし・・・どんな生き様が美しいと感じるか?これは理屈ではなく感性の問題であって、多くの日本人が共有している感性は、やはり長い歳月を通して何世代も伝えられ、受け継いできたものである。「サムライなんてもう古臭い」と言う人がいても、多くの人が古くてもいいと思うなら、社会の感性は変わらないのである。この変わらないものが《伝統》であり、《文化》だろうと思うのだ、な。確かに「ガラパゴス化?そんなものはクソくらえだ」と見栄を切るのはそれ自体が「間違っている」とは言えない。《美意識》がかかっているからである。
本当に日本人は民主主義という理念に美意識という点からも共感しているのだろうか?民主主義の社会は、損得勘定と一体となって運営されるものであるし、常に政党・結社があり、互いに抗争し、政略をめぐらし、権力闘争をするかと思えば、妥協をする社会なのである。こんな社会が清らかな社会であるはずはない。「君主」がいないというこの一点が本質である。民主主義・日本の基盤となる日本人像を日本人はまだ見いだせていないのではないだろうか?見いだせていないからこそ、「日本国と日本国民統合の象徴」をわざわざ憲法に明記する必要性があるのではないか?だとすれば、日本人の心理の根っこは、明治維新で憲法に明記された天皇制の頃と、あまり大きく変化はしていないことが分かる。
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