2021年10月25日月曜日

「日本病」の克服は処方箋はあるが実行が極めて難しい

本ブログでは経済学に関連した投稿が結構ある。中でも<労働生産性>は最初に最も関心のあった経済成長論の肝でもあるので何度かその時点で思いついたことを書いている。

いま<労働生産性>をキーワードにしてブログ内検索をかけてみると、こんなに何度も書いているのか、こんなことも考えたことがあるのか、とあきれてしまう。何度も投稿している割には、断片的でどこか核心に的中していない ― そこがマア、ブログというメモツールの特性なのかもしれないが。

たとえば『覚え書: 高齢化の中では、実質賃金が伸び悩み、労働分配率が低下するのがロジカルだ』の中では、

もし全員が現役世代であれば、実質賃金の上昇は人の暮らしが向上することと裏腹の関係になる。

が、高齢化が進むと言うことは、働かずして所得を得る人の割合が増えるということだ。高齢者全体が得る所得はその社会の労働所得ではない。

なんてことを書いている。更に、

 介護施設で働く人の数を増やさない一方で、一人一人にパワースーツ"HAL"を支給し、労働生産性、持続可能性を確保しようとするのは具体的な一例だ。パワースーツの装着可能性向上などR&D投資が増えるということは、典型的な資本深化の一例だ。もし人ではなく、全面的に介護ロボットにシフトするなら、もっと資本集約化が進むことになる。

これらの一連の事柄は、施設運営者の利益拡大 ― ヒトは高く(なければならない)、ロボットは安い ― の努力として進むはずだが、結果として現場で働く人、介護をされる人の満足度向上にプラスの寄与をすることを理解できないはずがない。

高齢化が進む中で賃金の規制や介護方法の規制など規制を全面的に撤廃すれば、機を見るに敏な経営者が勝ち組となる可能性が高い。しかし、社会的には望ましい状態を作ってくれる可能性が高い。

それは社会の進化というものではないか。

ここまで書いている。確かに、その国の労働生産性は平均的な資本集約度($K/L$)が高いか低いかで決まるものである。成長論の基本中の基本に忠実に考えていたことが伝わって来る。が、以下のように考えているのは、やや極端、というか現実無視であったかもしれない。

機械への代替が進む中で賃金上昇は緩和される。人は減るので労働所得の増加も抑えられる。他方、資本集約化されることで生産活動は全体として減ることはないので、利益が拡大する。労働分配率は低下する。

「悪い低下」ではないだろう。

ロボットの持ち主が得る報酬は賃金ではなくレンタル利益、つまり利潤である。

自動化とロボット化を進めることで、高齢化社会の生産活動が維持可能となる。この方向を促進することは高齢者の生活水準向上、格差拡大を縮小するという政策目的にも寄与するはずだ。

さすがにこれは「違うでしょう!」と言われるに違いない。現在の経済問題は、実質賃金の上昇がもたらす「労働から資本へ」という流れではなく、ただ単に、労働生産性がある分野で上昇することもなく、ただただ日本国内の実質賃金が全体として低下してきていることにある。高い実質賃金を支払える効率的な企業が日本国内から出てこない。かつてのリーディング産業は海外との国際競争に敗れ去って国内から消滅したか、でなければ海外に流出してしまった。流出する片側で新たなリーディング産業が育ってくるはずが、それがない。あっても成長できずにいる。そこが大問題なのである。

今朝もカミさんが好きな「羽鳥慎一モーニングショー」につきあって視ていたのだが、総選挙を控えているためか、現在の経済問題と今後の経済政策の方向がテーマであった。近年の実質賃金の低下トレンドが「大問題」であることは、民間TVも勉強しているのか、問題意識としてはもっているようだった。コメンテーターの指摘をよく聞いていると、いま日本に求められているのは

保護したり、規制を強めることではなく、弱い企業組織を淘汰し、リーディング産業に人が流れていくように道を開くことにある

ちゃんとこれを明言している。

しかし、

新自由主義によって日本社会は悪化しているので、これを(逆に)改革して、弱者に寄り添う政策が実行されなければならない

と。やはりこんな意見が多数(反論と意識しているわけではないのだろうが)出て来てしまっている。日本で「廃業」や「解雇」につながる話しは、タブーとも言えるほどに社会的な拒絶感が強い言葉である。そのため、話全体としては

カネを持っている階層に増税で負担してもらう(しかないナア・・・)

と、こんな誰もが賛成しやすい、追い詰められた末の議論が、記憶に残ることになる。実は、ここにこそ日本人の生活習慣病にも似た「日本病」という経済状況の背後で働く社会心理的原因がある。


番組の中でも提案があったが、企業の内部留保や有資産階層が保有する金融資産に資本課税するとする。それを財源に年金、定額給付、児童手当などの社会保障拡大を進めるとする。もし万が一、こんな方針で進むとすれば、もはや再び日本経済が20世紀の輝きを取り戻すことは不可能になるであろう。祖父が創り上げた財産を子、孫の世代になって消費に食いつぶす行為とどこが違うだろうか?「資産」というものは、「生活」に使ってしまえば、なくなるのであって、もう戻ることはない。100年の苦心を3年で散財するのは、よくある話だが、これと同じ主旨の「提案」を「名案」だというトーンで堂々と語る風景を画面を通してみていると、悲劇であるのか、喜劇であるのか、小生にはもう分かりませヌ。


民間企業も富裕階層もそうだが、余った金はただ余っているわけではない。資産は運用しているわけである。例えば、日本には一つもない利回り8パーセントで配当を払ってくれるアメリカの投資ファンド「エイリス・キャピタル(ARCC)」や同じたばこ企業でも日本のJTより高配当が期待できる"British American Tobacco(BTI)"で運用したりする人は多いだろう。日本国内で、資本課税を強化し、資金を回収するように誘導して、政府がその資金を税として吸収して、それをカネの足りない階層への社会的給付に充てて分配するというのは、「福祉国家」といえば耳に心地よいが、所詮は《花咲じじいのばらまき》である。ばらまいた分、日本人の財産はなくなる。何度かばらまきを繰り返せば、あとは海外からカネを借りてばらまくしかない。海外からカネを借りれば返済地獄が待っている。これでは国家経済戦略もなにもないのだな。余ったカネはカネを生み続けるように投資するのが肝心で、いかに散財するかを考えるのは経済政策になっていない。

ホント、「ワイドショーのプロデューサー、このこと分かってます?」と思いながら、カミさんにつきあって、最後まで視た朝であった。

余剰資金をもった家計、企業なり国内の経済主体が、日本国内で運用する投資先が見当たらない。だから、アメリカや中国、インドその他海外の企業や投資ファンドの株式、債券を購入する。国際収支統計でいえば、資本収支にみられるこの赤字傾向が、日本の経常収支の黒字傾向と表裏一体の関係にある。日本は「貯蓄超過病」、「過少投資病」にかかっている。これが問題の本質である。「貯蓄超過国」は本来なら需要不足で国内生産そのものが低下しなければならないが、日本は政府が超過貯蓄を国債で借り受け、政府支出を高い水準に固定しながら、それで国内生産を維持している。なので、民間は黒字、政府は赤字である。その国債を日銀が買ってくれるのが今の日本である。民間はできたカネを海外に投資する。なるほど「カネは天下の回りもの」だが、根っこには日本の中には投資したいものがないという根因がある。だからカネは海外へ流れ出て、海外の事業家が助かり、ますます日本国内は非効率となり、賃金も低迷する結果になる。


要するに、日本国内で積極的なビジネス展開が出来ていない、これが根本的原因であって、まさに民間にこそ《低迷日本》の主因があるのだが、その主因を解決できないでいる日本政府にも大いに責任がある。


故に、為すべきことは


  1. 新たな成長産業にカネが流れる環境をつくる。<国内投資優遇税制>は寧ろ必要な政策である。これが第一歩だ。先日の投稿でも触れたが、安倍一強と称された政権であっても、この課題を日本はなおクリアできていない。その分、解決が難しくなっている。とはいえ、流れるべきカネをもっている家計、企業はまだ国内に多く存在する。それは救いであって、まだ日本は土俵を割ってはいない。
  2. カネの流れ先を海外から国内に変えるためには、海外投資と同じ程度の収益が期待できる投資先を日本国内に創らなければならない。《ビジネス創出》である。これもまだ日本はクリアできていない。インキュベーション段階から株式新規公開(IPO)に至るまでの《創業支援システム》になるが、これは日本の金融業の経営ミスとばかりは言えない。新規産業の立ち上げが厳しすぎるのだ。つまりはビジネスに優しいオープンな環境にしなければならない。特に、医療、教育、データ通信、情報、農林水産業は岩盤のような規制で守られている保護産業であるが、ビジネスチャンスの宝庫でもある。門戸を開くことが最重要の課題だ。そうすれば日本のカネは再び日本国内で運用され、投資へと向かい、海外からもカネが入るようになるはずだ。
  3. 1と2をクリアできるとする。そのあと、カネだけでは駄目だというステージになる。カネだけではなくヒトが流れなければ新たな産業は成長できない。つまり、労働市場の流動化こそ問題解決のもう一つの核心である。労働市場が柔軟化されれば国内の衰退産業から成長産業へと解雇・離職・転職が進むばかりではなく、有能なヒトが海外からも入ってくる。そうなって初めて成長するべき産業が日本で十分に開花する。この点はほぼ全ての経済学者が(ホンネでは)最も強調したい点であるはずだ ― 提言しないのは社会的反発を怖れているからだろうと推測している。

つまり、日本が富裕国から並みの国、並みの国から貧困国へと地盤沈下したくないのであれば、いま行うべきことはもはや決まっている。決まっているし、それは経済学畑の専門家であれば概ね誰もが既に分かっていることだ。ただ、ものを言いにくい社会的雰囲気がある。これが最も大きな問題なのである。

やれ「〇〇主義は間違っている」とか、「△△主義をもう一度見直すべきである」とか、そんな「主義」の問題ではないし、そんな神学論争がこの期に及んで大事であると考えるとすればアホの証拠である。そのくらい、日本が取り組むべき課題はもう分かりきっている。一流の外国人政策顧問を招いても、世界的に評価されている真っ当な日本人専門家に問いただしても、まず同じことを提案するはずである。ところがこんな提案をすると日本人の神経を逆なでする。政治家は国民におもねるばかりで、なお悪いことにそんな姿勢を「国民に寄り添う」と美化している。「日本病」の核心がここにあるのは間違いない。

コロナ対策でも、「先ずやるべきこと」についてはもう「定石」が定まりつつある。検査拡大、医療基盤強化、ワクチン・治療薬開発の三つを徹底することだ。同じように、経済成長軌道への復帰のための方策も、世界的にはもう「定石」が固まりつつある。あとは、その定石を実行する《ヒト(と組織)の問題》である。


19世紀終盤から第一次世界大戦にかけてイギリス経済は斜陽化が懸念された。資金を海外へと投資する富裕階層の行動には批判が集まった。しかしながら、イギリスから海外への投資が投資を受けた国々にとっては支援の手となったのも事実だ。こうして完成された「大英帝国」は第二次大戦後に解体への道を歩んだ。それでもイギリスは慣行的な政策思想にこだわり、ついに1980年代に「サッチャー改革」という荒療治を余儀なくされることになった。イギリスの場合は「失われた100年」と言うべきで、さすが「大英帝国」と称された分、その衰退劇と復活劇にも大きなスケールを感じる。

イギリスの例は巨大だが、実は日本にとってもっと身近な参考例もある。それはドイツである。

「いまは昔」というべきかもしれないが、東西ドイツ統一後のドイツ経済は極めて不振であり、21世紀になる頃には「ヨーロッパの病人・ドイツ」と揶揄されていたものだ。この「ドイツ病」を解決したのは労働階層を支持基盤とする社会民主党・シュレーダー政権であり、とりわけ労働市場改革が今日のドイツ繁栄に寄与してきたことは、今ではほぼ全ての専門家が合意している ― 日本国内の政治家、マスメディアは耳が痛いのか、あまり真面目にとりあげてはいないが。

このように日本の《成長戦略》は、戦略としてあるといえばあるのだが、実行には困難が伴うのも事実だ。何よりメディアの無理解があるし、いま必要なことは日本人の拒絶感に触れるものばかりだ。自己利益のために意図的に謬見を公表する人物も多いし、その種の煽りに「煽られやすい」という日本の大衆の軽薄さも必要な政策を断固実行することの困難を増している。それに、日本の政党には有能なブレーンが乏しい。

戦略策定には、これも「今は昔」の「臨調」、「臨教審」なみの臨時的大組織を期間限定で設け、産官学労の人材を網羅するような大風呂敷を広げなければ社会的合意が得られず、実行にはつながらないだろう。しかし、これも旗をふる人がいれば、の話しである。

理屈はこうなるはずなのだが・・・・

太平洋戦争を避けるためには「なすべき事」は分かっていた。それが出来なかったのである。分かってはいたが、実行できる人がいなかった。今も似たような状況かもしれない。今後、10年程度をかけて、再び全面的敗北への道を歩むのではないかとも予想される。



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