2021年10月21日木曜日

ホンノ一言: 久しぶりに「団塊の世代」の足跡をみたような気がして

今年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人が2位と4位を獲得したというニュースが飛び込んできた。同コンクールと言えば、中村紘子さんを自動的に連想するので、改めてWikepediaではどう紹介されているのだろうかと思った。

その最後にこんな下りがあった。

1999年頃、母校である慶應義塾中等部から招かれてリサイタルを行った際、演奏をはじめてもいっこうにおしゃべりを止めない生徒たちのあまりの態度の悪さに演奏を中断し、静かにしなさい、と叱責した。しかし生徒の方はそれで静かになったものの、保護者のおしゃべりはやまなかったという。また演奏終了後、楽屋に挨拶に来た校長から「よくぞ言ってくださいました」と声をかけられ、本来おしゃべりをやめさせるのは校長先生の仕事だろうに、世も末だ、と慨嘆したという。

Source: Wikepedia

1999年に中学生の児童をもつ保護者ということは、小生よりはやや年上の世代、つまり有名な《団塊の世代》に該当するわけで、

なるほど・・・このお人たちは、こんなところでもこんな風であったのだネエ

と納得したのだ。

もちろんこう書いたからと言って悪口ではない。戦争直後にまだ小学生であったいわゆる《焼け跡派》の無軌道振りともどこか違っていたあの先輩たちは、それでもすし詰めの学級編成、受験競争、学園闘争を潜り抜け、社会に入ってからは戦後日本のポスト高度成長、とりわけ「バブル景気」を土台で支え、そして「バブル崩壊」から「不良債権処理」までの泥沼の中で中核部隊として戦い抜いた歴戦の勇士なのである。

前にも投稿したことがあるが、小生は「団塊の世代」と呼ばれる先輩たちに、尊敬と郷愁をもっている ― 確かに騒々しくて閉口するような鬱陶しさを感じる時はあるのだが。

江戸幕府も三代将軍・家光になった時代、かつて戦いに明け暮れ、いまは老人になっていた戦国武将の粗暴な感覚と言動に、殿中の礼儀をわきまえた若い世代は眉をひそめたと伝えられている。

「世も末だ」と慨嘆されたその不作法ぶりが、いかにも「あの人たち」という感じがして、懐かしく思い出した次第だ。

小生も、高校生だった時分、学校に招聘された評論家・江藤淳氏の講演を聴いていたとき、居眠り位ならよかったのだろうが、退屈になった多数の生徒が私語・おしゃべりをするに及び、壇上の江藤氏から叱責されたことがある。その江藤氏も故人となり、小生も齢をとった。叱責されたことも、多少の縁であって、懐かしい思い出になった。

最近も「松坂世代」という言葉を耳にしたが、「△△世代」という言葉に社会レベルの内実が伴っているのは、やはり「団塊の世代」をおいてはなく、今後、多分野の社会科学的な研究対象にするとしても、十分意義があると思っているのだ。


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