2021年10月3日日曜日

断想: 中国の話しをしてから日本共産党をどうみるかを記す

やや以前になるが、著名な投資家・ソロス氏が近年の中国についてWall Street Journalに寄稿しているのでポイントをメモしておきたい。順に要所を引用していくと:

習(近平)氏は世界の開かれた社会にとって最も危険な敵だと、私は考えている。

習氏は、鄧(小平)氏がどのように成功したのかを理解していなかった。

習氏は、鄧氏が中国の発展に与えた影響を打ち消すことに身をささげた。

習氏は極めて国家主義的であり、・・・また、中国共産党は、政治力と軍事力を駆使して党の意志を強いることもいとわないレーニン主義的な政党でなければならないと確信しており、・・・習氏は、自らが人生の使命とみなすことを達成するには、揺るぎない統治者であり続ける必要があると悟った。(中略)そのための最初の任務が、独立した権力を行使できるほど裕福な人たちを服従させることだった。

習氏は、富を築いた人たちを排除または無力化する組織的なキャンペーンに勤しんでいる。

習体制には抑制と均衡が入り込む余地はほとんどない。習氏は脅しで統治しているため、現実の変化に合わせて政策を調整するのが難しくなるだろう。彼の部下たちは、怒りを買うことを恐れ、現実の変化を伝えることができないからだ。このような力関係は、中国の一党制の将来を危うくする。

要するに、ソロス氏は

習氏は、毛沢東が優れた組織形態を発明し、それを自分が継承していると考えている。その形態とは、個人が一党制に従属する全体主義的な閉ざされた社会だ。それが優れていると考える理由は、より規律があり、強力なため、必ず競争に勝てるとの見方にある。

Source: Wall Street Journal,  2021 年 8 月 23 日 15:54 JST

言いたいことはこの点に尽きている、と思われる。

習近平のことは、小生は《現代に現れた王安石》だと観ていて、それは以前の投稿で記したことがある。

ある政体が成功を収め、社会が富裕になることによって、その政体の理念が毀損され、これを防ぐために有能な宰相が原点回帰を旨とする政策を強力に推し進める。しかし、それは既に形成されている既得権益層の資産を強奪する政治になるので、必然的に激しい派閥抗争を招く。

中国は、権力の高位にある階層が、(何故だか分からないが)日本の公家や武士とは正反対で、社会の富を独占する歴史的傾向がある。富も名誉も独占してしまう傾向があるのだ。但し、上層階級の全員ではない。そこには競争がある。そこで、富が蓄積・集中する過程の中で、格差が拡大し、当初は濃厚にあった一体感が失われてしまう。

それにしても、

その形態とは、個人が一党制に従属する全体主義的な閉ざされた社会だ。それが優れていると考える理由は、より規律があり、強力なため、必ず競争に勝てる

というこの部分だが、規律があり、統制のとれた社会が、開放的で民主主義的な社会を相手に、競争に(そして戦争にも)負けるはずがないというこの勘違いは、日本人も抱きがちな錯覚なのだ。戦前期・日本の帝国陸軍もそうだった。「個人主義的で自由を愛し享楽的なあのアメリカ人を相手に日本がまさか負けるはずはない。一撃して勝利しアメリカが戦意を失ったところで和平にもちこめばよい」という勘違いは、実際にアメリカを相手に戦った中で間違いだったと分かったはずだが、分かった所で後戻りはもう出来なかった。この種の勘違いは権威主義国家なら必ずもつに至る必然的な錯覚であるかもしれず、ずっと遡れば古代ギリシアの歴史家・ツキディデスが主著『戦史』の中で、スパルタに対するアテネの優位性を説いているのも、同じ主旨である。 確かに古代ギリシアの世界大戦であったペロポネソス戦争では、作戦ミスもあってアテネはスパルタ陣営に降伏したが、都市国家として最後まで生き残ったのはアテネであって、スパルタは覇権を握るやいなや退廃が始まり、有為転変の果てに消滅してしまった。

さて、現代の日本に戻ろう。

先日、自民党総裁の選挙期間中に某民放TVが野党に忖度したのだろうか、出席者を募って政談を行っていたが、共産党委員長・志位和夫氏が

共産主義社会を目指すことには変わりありません。(というより)今の資本主義社会が本当に理想的な社会だと皆さんは思っているのでしょうか?

このような意味のコメントを述べていた。

ヤッパリなあと、小生は了解したのだ、な。

確かに資本主義社会は理想の社会とは言えない所がある。しかし、「故に、共産主義社会を目指す」という結論にはならない。それは単にマルクスが19世紀のイギリス社会を観察しながら経済学を勉強して、そう考えただけである。資本主義社会が別タイプの社会に移行するとして、それがどんな社会になるかは、誰にも分からない。未来の科学技術など誰にも予想できないのと同様、社会のあり方もそうなってみなければ分かるはずがない。

そもそも《歴史の発展法則》という仮説そのものが、古臭い思想で、優生学思想や社会進化論が古臭いと同じ意味で、今では化石化した考え方である。

既に、社会主義の実験は中国ではなくロシアが理論的に忠実に実施済みであり、予想通りの経済的停滞に陥って破綻している。中国は、共産主義の前段階である社会主義の観点からみても、資本主義をミックスした非常に不真面目な社会主義国である。不真面目な社会主義を真面目な社会主義に戻そうと努力しているのが習近平である。しかし、真面目に社会主義を実現しようとすれば、ロシア(=ソ連)と同じ結果に至るであろうということは、ほぼ確実に予想できることだ。

価格メカニズムを停止させれば資源配分は非効率となり経済成長が毀損される。公平ではあるが、軍事的対立には耐えられない理屈である。必ず自壊する。

資本主義が理想であるとは思えない。この点には小生も共産党委員長に賛成だ。しかし、「だから共産主義社会を目指す」という結論には反対だ。共産主義社会は資本主義社会よりもっと悪い、権力的かつ硬直的な社会となる。

そろそろ100年以上も前のマルクスの経済発展理論から卒業しなければなるまい。現代経済学は、アダム・スミスはもちろんマルクスが手本としたリカードからも、その後に登場したケインズからも、そのケインズを批判したフリードマンからも、卒業している。

「共産主義」という言葉と理想が現代でも陳腐化せずに残っているのは、それが正しいからではなく、浄土思想の「南無阿弥陀仏」という言葉が、今でも苦悩する人々をひき付けるが故に、まだなお死語とはなっていないことと非常に似ている。

共産主義社会を目指すことに執着する共産党は、伝統を尊重する老舗のようなもので、知的成長を放棄している。進歩を諦めた伝統産業ならそれでもよいが、政党には常に現代性がなければなるまい。


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