岸田首相が同性婚を認めるかどうかについて『社会を大きく変えることになる』と話したところ、それをフォローしようとしたのかどうか、経産省出身の総理秘書官が『(ぼく自身?)見るのは嫌だし、隣に住んでいるのもちょっと嫌だ』と話したよし。それで、オフレコであったにも関わらず、この発言がリークされてしまって更迭必至であるとのこと。
やれやれ又か・・・というのは発言自体もさることながら、オフレコの約束を破って報道しているメディア側の行為である。オフレコの約束は信用できないにも関わらず、内心のホンネを ― 言葉というのは単なる冗句かもしれずホンネと断定することは出来ないものであるが、とにかく言葉を口先で ― なぜ不用意に語ってしまうのか、アカンなあ、というのが小生の感想である。
ま、それはともかく、
LGBTQに寛容な社会を造ろうと言うのは、一時代昔の言葉で言えば《グローバル・スタンダード》つまり「世界標準」になってきている。日本もそれにならって行こうとマスメディアが力説するのは小生もよく理解できる。この点でマスメディアは正しい。
しかし、《グローバル・スタンダード》に従って行こうと旗を振るなら、LGBTQの言葉狩りをする前に《死刑廃止》が世界の潮流であることもリスペクトするべきだ。それを日常的に報道し、死刑廃止が「世界標準」であることも力説するべきである。でなければ、姿勢が一貫しないとの批判を免れない。
人の命にもかかわる事であり、こちらの方が緊急性の高いメディアの使命であると思うが、いかに?
世論が怖いのか?
それならば、日本の世論が《グローバル・スタンダード》から外れているわけだから、それを指摘し、問題提起するのもメディアの使命ではないか。
それとも本件は、単に先日の三浦さん摘発に対する意趣返しなのだろうか?黒幕がいるのか?オフレコを破った記者は誰かが放った刺客であったのか?
どうも、権力闘争のきな臭い薫りが紛々として来ますナア・・・
テレビ画面でみるワイドショーの反応は、例によって、機械的、単純かつ幼稚な物言いで引用する程の価値はなし・・・この位なら、猿よりはマシなAIに言葉をしゃべらせておけば、AIにとっても良いトレーニングになるのではないだろうか?
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