2024年2月14日水曜日

断想: 「源氏物語」には日本社会の変わらぬ特質が描写されている

今年の大河ドラマの影響もあって『源氏物語』が(改めて?)注目されているようだ。実は、小生も現代語訳ではあるが、昨年夏から秋にかけて初めて全体を通読した。その時の感想は既に投稿している。

千年も前の作品でありながら、現代日本社会にも当てはまりそうな描写を読むのは、一つの驚きであったが、前半の山場(の一つ)が『須磨』、『明石』であるのは、多数が認めているところだろう。源氏の君が不用意にも犯したちょっとしたスキャンダルが、その時たまたま政権の座についた敵対勢力によって利用され、それが帝への叛意へとフレームアップされ、ついには厳しい流刑に処せられる可能性まで高まってきたことから、自発的に官職を辞して、都を離れ、摂津の国・須磨へ、そこから更に播磨の国・明石へと落ちのび、孤独な隠遁生活へ入る話しである。明石でおくる隠遁の暗闇の中で新しい生命を授かるのは、"Such is life"、人生の一面を伝えるエピソードである。紫式部の文章が生き生きと活気を帯びるのは、源氏物語の中で何か所かがあるが、須磨、明石の帖はその一つである。「須磨」の中に次のような一節がある。

原文でもよいが、ここでは読みやすい瀬戸内寂聴訳を引用しておく。

昔の人は実際に罪を犯した場合でさえ、こんな厳しい罰は受けなかったものでした。やはり前世からの宿業で、よその国でもこうした冤罪の例が少なくはありませんでした。しかしそれは、そんなふうに言い立てるだけの仔細があってこそ、そうした冤罪事件も起こったものです。この度のあなたさまのお身の上に起こったことは、どう考えても、納得のゆかぬことでございます。・・・

配流の地に、愛する人を連れてゆくのは前例のないことだし、世の中がただもう一途に狂ったようになり、道理の通らぬこの頃の在り様では、そんなことをすれば今よりもっとひどい災厄が、ふりかかってくるかもしれないのですよ。

千年という時の流れを間にはさんで、なお平安時代の日本社会と現代日本社会と、なぜこんなに似ているのか、と。これ自体が、時代を超えて日本社会の特質をなす本質を示唆している面白い問題ではないだろうか?そう考えた次第。


優れた文学作品は、たとえフィクションであれ、その国の社会の本質をそこに描写しているが故に、長い期間にわたって共感をよび、読み継がれるものであろう。頭で理屈を構築した「社会科学的分析」よりは、優れた文学作品の方にこそ、その社会の真実がより多く含まれているのかもしれない。優れた文化的遺作は生き残り、凡庸なものは消え去って忘れられる。忘れられるのは記憶に値しないからである。残るのは残そうとする人々の努力があったから、残らないのは残す必要がないと人々が思うからである。文化的伝統にもやはり適者生存の原理が働いているのは明らかだ。

歴史を振り返ると、大化の改新から奈良・天平時代を経て、平安京遷都、空海、最澄が活躍した桓武・嵯峨天皇の時代までの約200年間、日本社会は隋唐の中国文化の影響を強く受けていた。その時代にあっては、命をかけて文字通り「生きるか死ぬか」の権力闘争が日本で幾回も発生した。邪魔な政敵に自害を強要して排除するかと思えば、暗殺、合戦も何度か発生した。それが、菅原道真による遣唐使廃止提議を受けた以後、中国風の思考から次第に日本人古来の国風の考え方へと変容していったのだろう、(遠い地方で起きた反乱の首謀者はべつとして)刑罰から死刑が消え、権力闘争のあり方も陽性の武力行使から陰性の讒言、陰謀へと移っていった ― 上役への讒言は今でいう週刊誌へのタレコミに相当するのだろう。そうなって行った時の日本社会の在り方を考えるとき、平安期の国風文化と武断主義を捨てたあとの戦後日本社会の風潮と、何かが共通して観られるとしても不思議ではない。こういうことかもしれない。

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