2024年2月3日土曜日

断想: 次叔父が亡くなった後に想う

父の次弟であった叔父が亡くなったので愛媛・松山であった通夜、告別式に出てきた。92歳であった。父は53歳で他界したので、父よりは随分長い寿命に恵まれた。亡くなった叔父の顔をみると、何だか長い道を歩き終わったあとの安堵感が窺われて、澄み切った平穏を感じた。

北海道に戻ってカミさんとこんな話をした。

小生: すごく穏やかな顔をしてたよ。最後はそういう心境に達したってことかなあ・・・

カミさん: いろいろ思い悩むことも多かったんじゃない?

小生: そうさナア、まあ、男子二人と女子一人に恵まれた長男がいて、かたや子供に恵まれない次男がいる、と。それで本宅を継いだのは次男夫婦の方だった。これだけ聞くと、長男とその父上とは余程折り合いが悪かったんだろうネエってさ、そう思うだろうな。

カミさん: お母さんのおなかに赤ちゃんがいるのに、長男のお父さん夫婦が同居していた家を出て独立するなんて、やっぱりスッタモンダしたと思うよ。

小生: 独立するまでは親父も電車で通勤していたんだし、それが大変だから勤務先に近い狭い家を借りて引っ越すのも、どことなく不自然な話だからな。でも、その前後の事情はほとんど聞いたことがないんだよね。

カミさん: そんなこと、話さないよ。でも、そのとき出て行かれた方は、やっぱり「兄さんたちは出て行ったんだ」って、そう感じたかもしれないね。

小生: 女性には、母としての役割、妻としての役割、嫁としての役割があるって、昔から言われてるけど、母としてお袋を思い出すとき、何の不満も不平も感じないんだよ。母としては百点満点だったと思っている。でも、妻としてはどうだったんだろう?これは親父に聞いてみるしかないけど、うちって結構、夫婦喧嘩が多かったほうかもしれないんだ。

カミさん: そうなの?お母さん、思ったことを言う方だったの?

小生: うん・・・大きな声で言いあってたな。それで、嫁として観るとね、お袋は大家族の中で、テキパキと切り回すなんてこと、苦手だったに決まってるよ。それをするなら、やっぱり◎◎叔母さんの方がずっと上手だったね。マア、独立した経緯は知らないけど、嫁として観るとお袋は合格じゃあなかったのかもしれないなあ・・・

カミさん: 何となく他人のように冷淡にされたのはそれでなの?

小生: 全部憶測で、実際にはどうだったか分からないけどね。

カミさん: それですぐ下の叔父さんがお父さんの代わりに家を守ったとすると、叔父さんたちにとっても迷惑な話だったろうね。

小生: 長い道を歩き終わった後の穏やかさを感じたのは、そんなことかなあ・・・

いざこうして覚え書きにすると、実に昭和的、というより前時代的である。とはいえ、伝統的な日本社会はこんな風であった、ついこの間まで日本社会のリアリティそのものであったのだ、ということも事実なのだ。事実の前では謙虚であるべきだというのが個人的価値観である。マ、「謙虚」と「ビナイン・ネグレクト(=優雅な無視)」が混在している所が現代日本の世相ではあるが。


亡くなった叔父は、戦前の生まれで陸軍幼年学校を卒業している。年齢的には、今の中学校2年生から中3、高1にあたる3年間で、少年の人間形成において最も基礎となる価値観ないし理念を吸収する頃である。老齢の叔母と共に喪主になった養女の△△さんが最後の挨拶で

自分に厳しく、人にも厳しい人でしたけれど、ユーモアがあり、お洒落で、趣味を楽しむお父様が私は大好きでした・・・

小生も、世話になった感謝と母には冷淡な姿勢を貫いた叔父への反感とが混ざりあった感情を持ち続けてきたが、公平に顧みると、上のような表現がトータルとしての叔父の本質を言い当てているように思われた。要するに、軍人気質を色濃くもち親族全体に対する責任観の強すぎる人物であったのだ。であるが故に、しばしば圧伏的な態度、物言いをして、悪感情を持たれること数多に及んだのは、必ずしも叔父が歩もうと予期した人生ではなかったような気もする。長い道と書いたのは、そうした道のことであった。

南無阿弥陀仏。以て瞑すべし。

昨晩、叔母から電話があった。

遠い所から帰ってくれて有難う。これほど嬉しい事は叔父さんにはなかったと思うよ。

電話の向こうで話していた。

何もアメリカら帰ったわけじゃあないよ。当たり前だよ。

小生は人から有難うと言われると、ずっと昔から何だかコソバユイような感じがして堪らない。偏屈なへそ曲がりである証拠である。

実をいうと、いま奇妙なほどに非常に晴々とした気分なのだ。


【加筆2024-02-04】

上で「女性の役割」と表現した部分で「女性の社会的役割」、具体的には「仕事」がない点について疑問が出るかもしれない。本ブログは、あとで愚息やその家族が読めばよいというのがレゾンデートゥルなのだが、「社会的役割は?」と。ゼミならそう質問されそうだ。

もちろん男性も同じである。その頃の男性には、「父」としての役割、「夫」としての役割、「一家の主人」としての役割があった。

だから「社会的役割は?」という質問だが、これは男性に対するにせよ、女性に対するにせよ、非常に愚かな質問である。

そもそも現に生きて生活をしている以上、生産活動に従事している理屈である。故に、生きているということが社会の中で役割を分担していることを含意している。

金銭による報酬を受け取らないからと言って、家事に専業する女性が生産に参加していないことにはならない。家族は助け合いである。当然、全ての人は社会の中で何かの役割を自動的に果たしている。それをイチイチ問わないだけである。現行のGDPに(例えば)主婦労働が計上されていないのは、GDP概念が不備だからであって、かつて日本の内閣府も主婦労働を帰属評価の上、追加計上した「拡大GDP」を推計公表している。非常に重要な数字だ。

金銭を伴う仕事に就くかどうかは、あくまで《余暇と所得(=自由と労働)の消費者選択》という問題で、更にいえば《職業選択》に属する事柄である。つまりは自由意志によることだ。

なので、男女を問わず、その人の「社会的役割」を問うなど、小生は一切しない。というより、その人の社会的役割を問うという意識は、個人や家族の以前に社会を設定する「社会主義思想」そのものではないか。

社会主義は、(時に)平等を実現するかもしれないが、しばしば自由は抑圧され、人権が侵害される結果に終わることは歴史が証明している。更に、社会主義が前提する「社会」は、自国民という正規成員から構成され、排他性を有しがちである。国際化が進み国境が緩やかになりつつある現代において、社会主義は社会の正規成員ではない外国人労働者を不当に処遇する確率が高い。つまり意図せざる差別が社会の中で発生しがちであると思うのだ。

0 件のコメント: