2024年2月11日日曜日

ホンノ一言: アメリカが「世界の警察官」をやめたとしても・・・

 今秋のアメリカ大統領選挙で共和党候補がトランプ・前大統領になるという見通しになって《もしトラ》、《ほぼトラ》が流行語になってきた。それに対して、安倍・元首相を失った日本がどう国益を守れるかというので、これまた何とはなくの不安が醸し出されている模様。

確かに、もし1921年(大正10年)に原敬首相が暗殺されていなければ、加藤高明首相がもう少し長生きしてくれていれば、桂太郎も長寿ではなかった、山本権兵衛内閣をあそこまで露骨に潰すことはなかったろうとか、有能な政治家を失ったことが、戦前期・日本のその後の迷走、陸軍主導政治への変容の背景になってしまったことは事実だろう。しかし、これらも全て、その当時の大正日本社会が未成熟であったことの表れである。そう理解するしかない。そして同じロジックは現代日本社会にも当てはまるわけである。


たとえば、MAGA(=Make America Great Again)を唱えるト氏が米大統領に返り咲いたとして、こんな不安を伝えるヤフコメがあったりする:

今まで以上にアメリカは世界の警察官ではなくなる。日本も自国防衛をアメリカ任せにせずに考える必要がでてくる。

日本人はト氏のMAGAを嫌がっているが、そもそも足元の日本でもドル換算のGDPがドイツに抜かれて第4位に後退したというので

よみがえれ日本 

などと叫んでいる。これは昔の"Japan As Number One"を懐かしむ、日本版の"Make Japan Great Again"と言えるようなメンタリティである。つまりは、日本もMJGAをやっている。 実はト氏を理解できるのは今の日本人である。そう言ってもよい理屈だ。

再び「そもそも」と書くが、日米安保を締結して、アメリカが日本を防衛しているのは、アメリカが世界の警察官だからではない。アメリカの国益のためである。故に、アメリカの国益に反することは、同盟国日本の希望であっても自由には選択させてもらっていないのは、細々と具体例をここで書かなくとも、もはや多くの人は知っているはずである。

アメリカが悪いわけではない。アメリカがアメリカの国益を追求するのは当たり前のことだ。そのアメリカの国益追求と、日本の国益追求が両立するところに、現時点の同盟関係がある。そして、それを大半の日本人は、心の中では理解し、受け入れているわけだ。

何も理解が難しい事ではない。


フィリピンは、米軍に出て行ってくれと言い、本当にアメリカが出て行ったこともある。1990年代のことである。しかし、足元ではアメリカ・フィリピン間で「防衛協力強化協定」が発効している。

フィリピンからは一時撤退したアメリカだが、それは日本に基地があるからである。

日本列島をアメリカの「属領」であるかのように位置付けている状態に、中国、ロシア、その他主要国が異議を表立ってとなえないのは、アメリカが単独で太平洋戦争に勝利したからで、米国民の血で獲得した権益をアメリカが手放すことは、まず考えられないのだ、な。ちょうど、満州の特殊権益に国運をかける程に執着した戦前期・日本と同じ理屈である。

であるので、有事の時に、たとえ日本人と日本政府が「敗者の平和」を望むとしても、アメリカはその時の日本政府を傀儡政権にとりかえてでも、敵対勢力との戦いを選ぶはずである。その努力を、イギリス、EU、豪州なども支持するはずである。

そんな風に観ているのだ、な。


だから、「アメリカは守ってくれるか?」と心配する必要はないとみる。むしろ、「日本人は自ら戦う覚悟があるのだろうか」と、そちらの方をアメリカが心配している。そうなんじゃないの?、・・・と。実はそう思っているわけだ。

もし日本人が自ら戦わないなら、もう仕方がない。「米自治領」という位置づけにするしかないか、と。アメリカはそんな考えに飛躍することさえありうる。仮にそんな流れになったとして、「自治」ならいいか、天皇制も守れるし。憲法は基本法とでも名前を変えて大半は残せそうだ。そもそも憲法、アメリカ製だしネ。これでアメリカは本当に守ってくれそうだ・・・と。安心だ、と。日本国民は案外そんな展開を受け入れてもいい、ヒョッとするとそう思うんじゃないの?・・・と。国の独立のため非命に斃れた数多のご先祖の方々、誠に申し訳ござらぬ、私どもは何よりも平和の下で穏やかな暮らしをしたい、それだけで御座る、家庭をもち子を育て子々孫々まで続いてほしい、それだけでござる。衆議を重ね、これぞ合理的選択と一決した次第、他に委細はござりませぬ。ここに国を亡くしたこと、衷心よりお詫び申し上げる、国を保つことは私たちには重荷でござった、不肖のだん何卒ご勘弁下されい、・・・と。領土を丸ごと差し出せば我らを守ってもくれようぞ、と。「有事の場合」への危機感なら寧ろこちらの方になる可能性を心配するべきだと、小生には思えます。

ただこの点については、以前にこんな投稿をしている。

極めて大雑把にまとめてしまうと、大体3分の1程度の日本人は、国が危機に陥れば戦うという意志を曲がりなりにも持っている、そう思ってよいのではないだろうか?そして、それで十分な割合ではないかと思う。

「お武家」が日本社会を支配していた時代から、実はあまり日本社会は本質的に変わっていないのじゃないか、と。

そんな風にも感じているのだ。 

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