2024年2月29日木曜日

ホンノ一言: トップにいかなる人物を求めるか、という話しでは?

一週前の投稿のタイトルは「断想: 昔のチカン、いまハラスなのか?」というものであった。そうしたところ、今朝のTVで、岐阜県岐南町の町長が99件の「セクハラ」を理由に辞職するとのこと。

情けないネエ

という地元町民の声が伝えられているが、中には

これがセクハラとは思えないけど、人によってはそう感じるかも

そんな声もあるようだ。

ホームページをみると住民が25,726人。岐阜市の南隣に位置し、町政がさほどに難しいとは思えない。ひょっとすると、もっと上品な紳士が町長であってほしいと願う感性が地元にはあるのかもしれない。

一般に、昔の(という程の昔を知っているわけではないが)職場では、無遠慮に弱みを指摘されたり、強圧的に業務を指示されたり、厳しく叱責されたりする情景が日常茶飯事であったのは事実だ。肩をたたかれたり、机をたたかれたり、拳を突き出されたり、マア、色々な情景が職場にはあった — 現在の若者世代が感じる程に地獄だと思いはしなかったが。小生自身が怒鳴られることはなかったが、ドア越しに『何をやっとるんじゃ』くらいの声が漏れ聞こえてくるのは、さほど珍しい事ではなく、そんな時は

いま叱られているのは誰?

などと、近くの女子職員―なぜだかそんな時は女子職員を相手に話すのだが―とヒソヒソと確かめ合ったりしたものだ。

こんなことも、「今は昔」の語り草となってしまったのかもしれない。

その頃は、

雑草は踏まれるほどに強くなり

あるいは又

艱難汝を玉にす(かんなん なんじを玉にす)

苦労や困難を乗り越えることによって、人は鍛えられ、大成するものだ 

こういうことが、共有されていたモラルで、叱られたくらいでヘコたれるなら、早く辞めて別の仕事を探した方がいい・・・まあ、大体はこんな感覚でした。

要するに

温室育ちは、いざという時、役立たず

こういうモラル観が、概ね日本人で共有されていたように覚えているのだ、な。

となれば、そもそも21世紀になって流行し始めた《△△ハラスメント》という言語表現が、その当時の職場に広がるはずはなかったわけである。大前提となるモラル感覚が別であったのだから ― もちろん、その当時のモラル観も戦前期・日本の感覚と比べれば、別世界のようであったはずだ。

歳月怱々。時代は変わった。まるで、関ヶ原、大坂の陣に参陣した古武士が世を去っていきつつあった1650年前後、四代将軍・徳川家綱の時代もかくやと思わせる変りぶりである。

一つ思い出すのは、その頃の企業のトップは、どこも割と上品な白髪の紳士で、どこに出しても恥ずかしくないような品格のありそうな、穏やかで円満な人物が多かった。おそらく、中を切り回していたのは副社長とか専務といった辺りで、この辺の人物は剛腕と形容される人柄で、部下からは強面のやり手として認識されていた。そして、家老のような専務の下には鬼軍曹のような中間管理職がいて、会社は発展を続けていた。これが極めて昭和的な社内風景、省内風景であった。こんな風な印象が残っているのだ。

実は、上品な白髪の紳士はトップとしては恥ずかしくないのだが、将来予測が困難な乱世にあっては、無能で指導力不足を露呈することが多いのも事実だったと思う ― もちろん全てのケースがそうだとは言わないが。

この事が、ごく最近の日本企業で頻発する《△△ハラスメント事件》の根本的な背景にあるのだと、勝手に解釈している。

要するに、

上品な紳士はしばしば無能であり、人柄でトップを選任するような会社は発展しない。だから、最初からヤリ手に経営を任せたい。ところが・・・

結局、足元の日本社会は、この辺りで理想と現実の歪み。いわば《社会的適応不全》を生じさせているのではないかと、勝手に解釈しているのだ。

弱肉強食の戦国時代が到来するまでは、日本社会には京の都という中心があって、そこには伝統的な朝廷と公家、更に室町幕府という武家の中心が一体となって、存在していた。上に立つ人は、誰もが室町風の礼式を身につけ、最高の品格を醸し出していた。

しかしながら、

品格は統治能力とは比例せず

この厳然たる真実が、応仁の乱のあと、露呈した。国ごとに実力者が台頭し、中央政府の権威は崩壊し、戦国時代へと移っていった。強者となりうる人物が有するべきは、礼式と品格ではなく、統治能力と軍事能力、つまり実力のみになった。アクの強い強者に支配されるのがイヤなら、暇をもらって、別の場所、別の土地に移ればよい、というわけだ。

別に戦国時代に限らず、

あらゆる批判に対してトップは結果(のみ)をもって対抗するのだ

と。この覚悟がトップに座る人物にあればそれで十分だ、こんなモラルが支配的な時代もあったはずである。品格から選ばれた上品な紳士にこの覚悟を求めても難しい(のではないか)。

人物評価基準は、時代背景の変化に伴って変わるし、また変わるべきものである。

クリントン大統領がセクハラ行為に関わらず評価された背景にはアメリカ経済の復活という結果があった。日本の池田勇人首相が『貧乏人は麦飯を食えばよい』という暴言歴があったにもかかわらず日本人に歓迎されたのは所得倍増計画の成功という結果があったからである。


人間関係には《相性》という要素もある。

アップル社創業者のSteve Jobsは、時代を変える新製品を次々に発案する天才であったが、彼に着いて行ける部下も誰でもよいというわけではなかった。着いて行けない部下がいるからと言って、それはトップの責任ではない。日本のホンダ創業者・本田宗一郎、最近ではソフトバンクの孫正義も同様のことが言えるだろう。


いま日本は平時ではなく、乱世にある。この意識があるかないかで、人物評価基準が分かれてくるのは、やむを得ないことである。TVが、特定の一つの人物評価基準を選んで人を批評するのも、小生は嫌いだが、マア、やむを得ない。


なお、くだんの岐南町の町長だが、行政能力はどう評価されていたのか。寡聞にして知らない。念のために追記しておきたい。



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