2024年7月18日木曜日

ホンノ一言: 現代日本の「言論の不自由」を想う

言論プラットフォーム"Agora"は、(全部とは言わないまでも)筋を通したシッカリした投稿が多く寄稿されているので、小生も頻繁にみているサイトである。無料でも大半の記事は閲覧できる。

今日も中々シッカリとした考えを書きこんだ投稿があったのでメモしておきたい。主題は、ロシア=ウクライナ戦争の<早期停戦論>を堂々と主張できるか否かという点だ。これが出来ている論者が、今回、共和党大統領候補に選ばれたトランプ氏によって副大統領候補として指名されたヴァンス氏である所に、かなりの話題性があるようだ。

……しかし重要なのは、リベラルメディアのNYTに事実上の「早期停戦論」を寄稿する人物が、米国では堂々と副大統領候補の指名を獲得することの意味である。なぜなら2022年の開戦以来、日本ではそうした議論はプーチンを利するものとして、「専門家」によってタブー視されてきたからだ。 

(中略)

ウクライナの戦争も、またアメリカの大統領選も、いくら日本で口角泡を飛ばしたところで、現実への影響力はないに等しい。むしろ私たちが今年の残りで重視すべきは、この国のメディアで「誰が真摯に発言するのか」を、見極めてゆくことだと思う。 

秋にトランプーヴァンスが当選したとき、両名のウクライナ戦争の捉え方は「まちがっている」と、米国に対しても物申せるのか。もしくは逆に「いやいや。ウクライナ人も疲弊したタイミングだったので、さすがアメリカの政策は現実的です」と手のひらを返すのか。 

「ウクライナ有事は日本有事」であればこそ、誰もがこれからメディアを監視し、そうした評定を厳しく行うべきだろう。なぜなら後者の姿勢をとる無責任な専門家に、未来の日本有事を扱わせてはならないからである。 

Source: Agora

Date:  2024.07.18 06:50

Author: 與那覇潤

URL: https://agora-web.jp/archives/240717085204.html

ある社会的問題(日中外交、軍事費倍増、増減税、年金支給年齢引き上げ等々)で世論が沸騰するとき、それも賛否が分かれて対立が先鋭化する時に、双方の立場の見解を伝えるのが「報道機関」に与えられた役割である。米紙"The New York Times"も、そもそもがリベラル派に近い新聞であるが、報道機関が果たすべきこの役割を果たしているわけで、これ自体は当然と言えば当然の事である。

しかし、この当たり前のことが、日本のマスメディアは出来ているのだろうか?こんな疑問は本ブログでも投稿したことがある。

アメリカのように自国がウクライナを軍事支援している中で、「これでイイのか?」と声を公然と発することが<言論の自由>、<表現の自由>の勘所であって、ある立場の意見を没にして出さないという感性こそ<言論抑圧>の勘所である。

してみれば、

現代日本社会には言論の自由は極めて限られた度合いでしか認められていない。というより、実践されていない。

これが現実であるに違いない。

日本の民主主義に未熟なところが濃厚にあるのは、ここから発しているのに違いない。

そもそも、どんな問題についてであれ、その問題解決に正しくアプローチできる道筋があるとすれば、それは極めて少数の意見において提案されるものである。この辺の事は以前にも投稿したことがある。少数意見を尊重するべき理由はここにある。国会、地方議会、社内会議、町内会、マンションの管理組合総会、等々、会議の数は多いが、この辺りの事情は誰でも知っている周知の事実だろうと小生は思うのだが、いかに?


以下の2節は少し矛盾しているかもしれない。が、ともかく覚え書きに書いておこう。

大学教育の場では、学生による授業評価がトックに導入されている。教える教員側による自己評価レポートも(学内では)公開されている。世論の形成に貢献すると自称する以上は、メディア各社が毎年度「報道自己評価結果」を公表してもよいし、市民団体による「メディア各社の報道評価結果」を受ける側に立っても、道理には反しないだろう。評価結果が他メディアに比べて低かった社は、次年度に向けて努力すればよいわけである。

言論の自主規制をして、言論の同調圧力に従っていれば、市場のマスには受け入れられて、読者数、視聴率は維持できるが、長期的にはメディア企業として社会の信頼を失い、何を伝えても訴えても顧みられなくなるという結末があるだけだ。「言論ビジネス」は「顧客志向」というビジネスの原則に絶対に従ってはならない例外的産業である。それでも娯楽専一のエンターテインメント企業として生き残ればイイわけだが、アメリカで可能なメディア・ビジネスが日本では出来ないというのも悲しすぎるではないか。




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