最近は、『ゴーン流の成功は幻想』などと現社長は語っているよし:
日本経済新聞の取材に応じた日産自動車の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)は、元会長のカルロス・ゴーン被告個人に依存しすぎたガバナンス(企業統治)に問題があったと認めた。自ら社長を続投し仏ルノーとの関係を改善させることに意欲を見せ、ゴーン元会長時代の数値目標を重視する「数字ありきの経営」を転換する考えも示した。
(中略)
基本的にそれぞれのセクションだけで仕事をして、経営的に困ったら元会長1人という状態だった。市場の好況が続かねば回る訳がない。また、海外の事業運営を完全に別物として扱っていた。(ゴーン元会長が率いた)当時うまくいっていたとの見方は幻想だ(出所)日本経済財新聞、2019年2月28日
遠い昔ではないが、それなりに長い時間でもあった。その間、ITバブル崩壊も起きた。債務・設備・雇用の三つの過剰に苦闘したこともあった。1999年3月にフランスのルノーが日産に救済の手をさしのべなければ日産は倒産していたはずである ― マア、ルノーが日産救済を決断しなければ、次はドイツのダイムラーベンツ辺りが最終候補として登場し、完全子会社になって存属していたとは思うが、日本企業・日産という企業はその時に消え去っていただろう。
以来20年弱。近年の日産の経営状況は周知のとおりだ。
「現実」は正直である。「歴史認識」などと難しい言葉を振り回す必要はない。
1999年以降に日産がたどった歩みをただ「幻想」などと称しているような御仁は、知性がよほど粗雑に出来ているに違いない。
フランス人はナポレオンによる戦争と暴政を「幻想であった」などとは言っていない。日本の明治政府も旧幕時代を「永い幻想であった」などとは言わなかった。その理由は、前時代から継承された多くの資産が恩恵となって新時代の発展の基礎になったことを理解できたからである。
理解力=知性、だ。表面だけを見て、本質に無頓着な人は、知性をもっていない。マ、知性がなくとも仕事は出来る。凡人にとって知性はそれほど重要ではないのかもしれないが。
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