2019年2月10日日曜日

一言メモ: 「独立した第三者委員会」の役割とウソ

最近、何かと言えば「独立した第三者委員会」を設けて云々、「身内による調査」は信用できない云々、不祥事を社内で調査するのはダメ云々、第三者なら客観的調査ができる云々・・・と、要するに部内者はダメで、部外者ならOKという世間の流れが明瞭に見て取れるようになった。

小生が某官庁で雑用をしていた時代の常識とは、まあ言ってみれば「真逆」である。その頃、強調されていたことは「自浄作用」という言葉であった。

そういえば「自浄作用」というキーワードは聞かなくなったネエ・・・もう「自浄」など期待しなくなったか、それで「部外者の目」ということになっているのか?

「第三者委員会」になぜこれ程期待するのか、その本質的理由は小生はまだ理解できない。単なる流行かと感じたりもしている。

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こんな記事が日経にある:

賃金構造基本統計の不適切調査を巡り、政府が6日、原因究明を総務省行政評価局に担当させることを決めたのは、同統計を所管する厚生労働省の内部調査に委ねたままでは中立性への疑念が解けないためだ。ただ同じ政府内の「身内」が調査することに変わりはなく、独立した第三者による調査ではない。

(出所)日本経済新聞、2019年2月7日

厚労省の行政手続き(統計調査上の手抜きは明らかに手続き的な問題だ)を、総務省の担当部局が検証することまで「身内」と言い始めるなら、どんな調査なら望ましいのか?

仮に「第三者委員会」というものが設立されたとしよう。そこには政府関係者は入らず、したがって役人OBも入らず、純粋の民間人のみで委員会は構成されるとしよう。これならまったくの「第三者」である。

しかし、こんな「第三者」が関係者に事実関係を聴取するとして、関係者は自分に都合の悪いことを正直に話すだろうか?まったく信用できないと小生は思うが、世間は信用するのだろうか?自分に都合の悪いことを話さないだけではない、所属する組織に都合の悪いことも話さないのは確実である。ひょっとすると、都合の悪い点については嘘を述べるかもしれない。

もし第三者委員会に正しい証言を引き出させようと思うなら、その委員会に監察権限を法的に与えなければならないのは当たり前である。しかし、法律で監察権限を与えるのであれば、その段階で第三者委員会は政府機関になり、第三者委員会の活動が人権侵害とはならないよう行政府か、立法府か、司法府かいずれかによる監督が必要である。でなければ、権限を有する第三者委員会の暴走を抑えられないだろう。

この議論をもっと続けることもできるが、議論の発展は概ね予測できるだろう。

要するに、政府とはまったく関係のない「第三者委員会」などは役には立たないし、役に立てようとすれば何らかの意味で公権力の監督下におかなければならない。日本は(今のところ)「日本国」であり、憲法も一つ、権源も一つ、法制度も一つ、つまり調査権限・監察権限・捜査権限いずれでもよいが、法的権限を有するなら全て身内になってしまうというロジックになる。

航空機事故では監督権限をもつ国土交通省に事故調査委員会が設けられる。統計調査を全般的に審査する権限は総務省、つまり中央省庁再編以前の行政管理庁にある。たとえ政府部内の厚労省であっても、まずは権限に基づいて総務省が監察を行うのは当たり前の理屈だ ― 「監察」というほどの力を法的に与えられていない点が問題の核心だが。

もし補強の余地があるとすれば、総務省担当部局の下に調査(=監察)委員会を設け、統計専門家を委員に任命するというやり方がある。そうなれば各種の事故調査委員会と同じしつらえとなる。これをしも「身内」と言い出せば、もはやお手上げであり、日本国は統治困難状態になりつつあると判定されても仕方がない。激しい反動が心配になる。

それでは、もしも同じ総務省の統計局が所管する「国勢調査」で手抜きがあればどうするか?その場合、現業官庁の内部に行政監察を担当する部局が同居していることの矛盾が露呈するだろう。即ち、2001年1月の中央省庁再編成には多分に「いそぎ働き」の側面があるのであって、大問題が発生しないうちに適切な組織再編を行っておかなければならないという結論になる。現在のまま、総務省内で行政トラブルがあるとすれば、たとえば立法府内に「監察委員会」を設けざるを得ない。が、国会の「国政調査権」という概念範囲に入るのか、疑問なしとしない。また、それが今回のように技術的背景を伴うトラブルであるなら、国会を舞台に延々と迷走を続け、国益を大いに毀損するという事態が予想される。

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