痛ましい虐待事件に関連してこんな投稿がある ― まったく新聞・TVメディアだけではなく、最近はネット媒体からも格好な批評素材をとってこれる。頭のトレーニング、老化防止には最適である。
URL: https://blogos.com/article/356575/?p=2
行政は何事もなく、無事にいくことを望む。前例を踏襲する。それが「事なかれ主義」だ。仕事が減点主義で評価されるからで、その結果、消極的になってしまう。それが行政側の不適切な対応の原因である。
最後に毎日社説は「子供の命を預かる学校など最前線の意識が乏しければ、痛ましい事件はまた繰り返される」と訴える。かつて聖職といわれた教育者にも、その原点に返ってほしい。
述べられていることは、「基本的に」その通りである。内容を否定するべき理由は何もない。
しかしながら、小生は極度のへそ曲がりである。だから述べておきたくなった。
この種の「問題解決」を目的とした提案には共通のウィークポイントがある。それは、この世界にオールマイティの方法なり、「正しいに決まっている」やり方は一つもない、ということである。つまり、何かを提案する場合、期待されるプラスの効果と起こりうるマイナスの作用の両方を明記しておかなければ提案には値しないということである。
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オールマイティな方法など一つもないというのは、実は小生の専門分野である統計分析にもあり、俗に"No Free-Lunch Theorem"(タダ飯は決してない、という定理)と呼ばれている。具体的には、どんな問題にでも適用可能なベストの分析法は一つもない。与えられた問題の内容をよく理解し、 問題発生の背景・経緯を十分に把握したうえで、もっとも適切な分析メニューを選びなさいというのが結論である。
上の提案では「行政の(=公務員)の事なかれ主義を排せ」と提案している。が、提案するからには「公務員の事なかれ主義・前例主義を排する」という提案のプラスの面とマイナスの面の両方を正しく認識し、この問題にはプラスの効果がマイナスの効果を上回るという根拠を述べなければならない。
いま言った<事なかれ主義・前例主義>の対極にある姿勢を一言でいうなら<積極主義・成果主義>ということになるだろう。ズバリいえば、「功を立てれば評価する」という発想に近い。
この考え方は一般に受け入れられやすい人事戦略なのだと思う。しかし、現実にはそうなっていないとすれば、それには理由があると考えるべきだろう。
本当に官僚集団が成果を追い求め、前例のない試みであっても積極的に挑戦することをためらわない方が良いのだろうか?そうなれば、いわゆる<国民>は利益を享受できるのだろうか?
もし1931年当時、関東軍司令部に石原莞爾がおらず、陸軍全体が前例踏襲と事なかれ主義に徹していれば、満州事変は起こらず、その後の日中戦争も起こらず、したがって太平洋戦争も起こらなかったに違いない ― もちろん別の問題が発生しただろうが。
権力を有する公務員は前例踏襲・事なかれ主義でよいと小生は思う。公務員の前例踏襲と事なかれ主義を背中からプッシュし、問題解決へと叱咤激励しなければならないのは、国民の側の責任である。もし国民の側が何かを要求し始めた時に、前例との不整合や負の波及効果を心配してブレーキをかけようとする公務員がいるとしても、そのこと自体は決して問題ではない。そのほうが望ましい。そんな風に思われるのだ、な。
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