2019年4月6日土曜日

一言メモ: 「世論調査」は改称するほうがよいのではないか

マスメディア各社が実施するいわゆる(自称?)「世論調査」。その不思議で、理解困難な点は小生の仕事柄もあって、これまでにも何度か本ブログに投稿してきた。左上の入力欄に「世論調査」を入れて検索をかけるだけで、結構な数の投稿をしてきたことに改めて気がつく。いやあ、「世論調査」というのは色々と考えさせられてきたのだネエと、驚くくらいだ。

滋賀大学にデータサイエンス学部が創設されたときは、当該分野の専門家にも評判になったが、今度は成城大学にも類似の機関ができたとのことだ。

成城大学は、2019年4月、データサイエンス教育研究センターを開設した。データに関心を持ちデータに基づき考え行動する学生を育て、人文・社会科学の分野におけるデータサイエンスの応用の開拓を目指す。

(出所)『大学ジャーナルONLINE』、2019年4月6日


メディアの報道記事を読んでいると、あまりにデータに対する「無感覚」― これを"IT Illiteracy"ならぬ"Data Illiteracy"というのだろうが ― が記事執筆者から伝わってきて、そのたびごとに文系学部の理数教育軽視の弊害、というより、それ以前に何かというと「理系」、「文系」というタテの壁が学問世界に歴然としてあると思い込んでいる日本の非常識に呆れてきたのだ。

外国の専門家の略歴をみていると、「歴史」から「物理」に移籍したり、「数学」から「哲学」に移ったり、「文学」から「化学」へ移ったりしてきたケースがままにある。

そもそも欧米の"Under Graduate"の教育開始時において、「理系」、「文系」の2分野に分けるという系統的区分はなく、まして進学指導においてこんな言葉が使われていることはないはずである。日本においては、単に「数式」や「ロジック」が嫌か、嫌でないかで生徒をフィルタリングしているだけであって、学問の発展には極めて問題が多い……、というのはずっと以前から指摘されているが、報道界で注目されることはない。

というより「不正統計」などといって、統計業務の細かい点に食らいつく割には、学問の事柄にはとんと関心を示さないという傾向にも、小生は理解の困難を感じている。

上のように、データサイエンス関係の教育機関が増えていけば、少しは数字に明るい報道記者が記事を書くようになるのだろうか。そう期待してやまない。18歳以降の学部教育の段階から知識全体を「理系」と「文系」に分けて語るのは、日本経済の足を引っ張る原因にすらなっていると思われる。


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それはさておき、いや、それにしても、メディア各社の「世論調査」。令和の新元号発表の前後で安倍内閣支持率が10パーセントも急上昇したそうだ。

次回の「世論調査」では、その「一時的要因」が剥げ落ち、しかも新しく出来した国交省副大臣による「忖度発言」が影響して支持率は10パーセント以上落ちるのではないかと、業界ではいまから「予想」しているそうなのだ、な。

これはもう「世論調査」というべきではない。「印象調査」と呼ぶ方が適切だ。もし、こんな不安定に揺らぎ動く数字が本質的・実質的に「世論」をとらえているのだとすれば、小生は「民主主義」には反対せざるを得ない。英国のEU離脱騒動を観ているだけでも、その理由は明らかだろう。

数字に表れているのは世間の総意としてマクロ的に実存している「世論」ではなく、『今の内閣、感じ悪いヨネ』、『結構、好いノリしてるヨネ』という類の現時点の社会心理状態だろうと思われる。英名をつけるとすれば"Public Opinion"ではなくて、"Contemporary Social Sentiment"を使うべきである。

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