2020年7月21日火曜日

ほんの一言: 「腐敗」はどのような状況で起こるのか?

新型コロナウイルス感染拡大で安倍現政権は大いに評価が下がりつつある。以前の「安倍一強」とは様変わりになってきた。

「一強」が終わるのは善いことだ。

ズバリ言えば、政権内部は奢りと油断とで実力が空洞化していたのである。というか、空洞化を超えて「腐敗」していたという方が適切な表現かもしれない。

もちろん、一部「発展途上国」の独裁政権に見られる絶対的な意味での「腐敗」とは腐敗様が異なるが、何年か前の緊張感に満ちた政治のあり様に比べれば、相対的な意味で腐敗現象が進んでいた。この位は、誰もがそう感じているのではないだろうか?


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「腐敗」は、権力の奢りと油断から進む徴候であるのは、時代と国を越えて共通している。

その「権力」とは、真の権力を有している集団をさす。一党独裁政権であれば、その一党が「権力」である。聖職者が真の権力を握っているなら聖職者集団が権力にあたる。そして、民主主義社会であれば真の権力者は有権者になる理屈だ。

奢りとは、真の権力者が自分たちの権力を自覚するときに生まれる。形式的な権限を有する階層ではなく、真の権力者が自らの権力を意識して、オールマイティの感覚、正義の感覚、正統である感覚、優越する感覚をもつとき、これは全て奢りの症状であり、腐敗に至る前段階にあたる。

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安倍一強と呼ばれるようになった時点以降、安倍政権は腐敗の兆候を示した。

しかし、国民主権下の日本社会において、そもそも内閣の一強時代が永続するはずもないのだ。総理大臣に真の権力があるわけでもない。政府の腐敗はタカが知れたものだろう。しかし、民主主義社会において「大衆」が自らの権力を自覚するとき、抑制力のない奢りに陥るかもしれない。民主主義社会は絶対的に腐敗するだろう。

腐敗した民主主義社会においては、国民は決して間違うことがなく、世論は常に正しく、であるが故に世論は決して誤りを認めず、反省することがなく、あらゆる学問的・専門的知識は世論によって指導されるだろう。世論に反する政策は全て有害なことであり、世論に沿うものは全て正しい政策になる。

「無知の自覚」が真の知恵であることは、ソクラテスの昔から変わっていない。

古代ギリシア社会の世界大戦であったペロポネソス戦争でアテネは敗戦国となったが、そのアテネにプラトンが絶望した所以は非本質的な議論ばかりを続けてやまないアテネ市民の堕落にあった。

非本質的な議論をやめることなく続けるのは、『自分が正しいことは自分が知っている』と信じて疑わない「偽りの知恵者」が社会に蔓延しているからである。『真の知識を自分は知らない。故に、他者を疑うなら自分自身をも疑うべきだ』だという「無知の自覚」に立てば、空っぽの議論が事実「空っぽ」であることに気がつき、真っ当な議論を始めることが出来る。真っ当に議論をすれば結論も、マアマア真っ当になるだろう ― 科学技術の進歩いかんだが、思い込みが思い込みであることには気がつくだろう。

ま、現在の日本社会は上に述べたような惨状にはない。以前は強力だった現政権の腐敗、弱体化が進行しているとみるのが適切なのだろう。

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