小役人だった頃、課題が決まっていれば、あとの進行とレポーティングは自分流にやらせてほしい。同僚と歩調を合わせることの意味はよく分からないという「変な奴」であった小生にとって、テレワーク解禁は文字通りの「福音」であったに違いない。
とにかく、早起きして、朝の満員電車、深夜の帰宅という、修行僧さながらの難行苦行から解放されるのである。これが嬉しくなければ人間ではないと思う。それが小生の本音だった。
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テレワーク時代にインテンシブな仕事を求められるのは管理職の方だろう。
小生が勤務してきたビジネススクールでは、新型コロナ感染前から"e-Learning"を主たる柱にしてきた。
高頻度であれば毎週、標準方式では隔週に1回という対面授業の間の時間は、自学・自習を進めるのが原則で、したがって担当教員は事前課題と事後課題の出題を工夫する、学生はそれぞれの課題へのレポーティングとアップロードまでの時間を頑張る。担当教員は授業当日の出勤もさることながら、それよりはアップされたレポートへの採点・添削にずっと長い時間を割く。学生の立場からみれば、ビジネススクールでの「勉強時間」の大半は、当日の授業よりは授業の合間のレポーティング作業に費やされる(はずだ)。
テレワーク下の「勤務」も似たような方式になるだろう。
もしそうなら、トップダウンではなく、ボトムアップを主としてきた日本的組織文化を革命的に変えてしまう導火線になるのではないだろうか。
個人ごとに提出する年間目標、月間目標、週間スケジュールを丁寧に把握し、あとは上司が指示する毎日の進行課題に対して社員がアップする「業務ログ」を精査、評価と添削(=コメント)を記載してフィードバック。上司はこの作業を「かける人数分」毎日繰り返す。
今日の作業課題を社にアップすればその日はオフ。どれ、夕食までの時間帯、近くのカフェで一服してくるか。いいなあ・・・極楽、極楽というところだ。有能な人はサッサと課題を終えて上司を楽にする。仕事の出来ない人は時間ばかりをかけてサッパリ品質が上がらない。上司を苛立たせる。優等生を相手にする担任教師さながら、有能な部下をもつ上司は楽ができる。戦略的検討に時間を割ける。全てが好循環になる。
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個人ごとに提出する年間目標、月間目標、週間スケジュールを丁寧に把握し、あとは上司が指示する毎日の進行課題に対して社員がアップする「業務ログ」を精査、評価と添削(=コメント)を記載してフィードバック。上司はこの作業を「かける人数分」毎日繰り返す。
今日の作業課題を社にアップすればその日はオフ。どれ、夕食までの時間帯、近くのカフェで一服してくるか。いいなあ・・・極楽、極楽というところだ。有能な人はサッサと課題を終えて上司を楽にする。仕事の出来ない人は時間ばかりをかけてサッパリ品質が上がらない。上司を苛立たせる。優等生を相手にする担任教師さながら、有能な部下をもつ上司は楽ができる。戦略的検討に時間を割ける。全てが好循環になる。
部下はアップして終わりだが上司はそれからが大変だ。フィードバック作業は言うに易く行うのは難しい。残業を強いられるのは上司の方だ ― 日課をこなせずアップアップする能力不足の部下はどこにでもいる。そのような人物にどんな指示をすればよいのか。頭を悩ませるのは上司である。必要ならWEBミーティングを開催して、コミュニケーションをはかる。
学校教師の悩みを企業の中間管理職も共感できるようになるだろう。ただ、学校は「出来ない学生」をどんどん退学させることはない。「退学規制が緩和」される日が来るとも思われない。学校は何と言っても教育機関なのである。他方、会社は利益と成長を目的とする組織であり、教育自体を目的にしてはいない。「解雇規制が緩和」されれば、能力不足の社員は解雇されるだろう。
テレワークは個々の職務範囲を明確にするモメンタムになる。個人個人の能力の違いを明確にする作用がある。上司は上司、部下は部下。今月は何が目標か、今週は何が課題か、今日はどこまでやるか。上司はモニターし、部下は頑張る。企業活動のリアリティが「視える化」され、「分析」されてしまうだろう。正規社員と非正規社員の境界線も限りなく透明に近くなり、非可視化されるに違いない。
テレワーク時代の到来は、企業文化がグローバル的に収束する契機になるかもしれない。
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教師も大変なら管理職も大変だ。小生は、経済学科からビジネススクールへ学内移籍してからは、純粋研究がまったく出来なくなった。教育労働者という人もいるが、教育サービス業の中間管理職といえば実態に近い。象牙の塔の研究をする時間はなくなったが、まあ、授業設計や教材開発はそれなりに面白い仕事であった。後悔はしていない。が、利益が結果として現れるビジネス現場であのような仕事をするとすれば、これはもう大変で疲労困憊するかもしれない。大学教員はどんな実験的なことをしても、それが順調にいくにせよ、失敗に終わるにせよ、支給される給与に変動はない。だからリスクをとれる。会社の課長や部長はそうはいかない。
新しい勤務形態の下で、新しい管理システムを開発し定着させるには、個々の管理職に実験的なリスクをとれるような配慮が上層部には求められる。そうでなければ、現場で戦っている当事者は「前例墨守」、「出る杭にはならず」を行動原則とするに違いない。変わらない企業は、変わるテレワーク環境で競争劣位に陥るだろう。
競争圧力はいつの時代でも種の交代を迫るものなのだ。
テレワークは職位の上下を問わず個人ごとの能力差を「視える化」する。毎日出社はせずともよいという開放感があると同時に、能力アップへのプレッシャが高まる。
二つを合計すると、喜んでばかりもいられないかもしれない。
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