2020年7月2日木曜日

フェースブックも中国内の日本企業も民主主義の敵ですか?

香港をめぐって中国政府が「 香港国家安全維持法」を可決成立させた。今後、香港という都市の位置づけや機能は本質的に変容するだろう。新型コロナの行動変容と同じく永続的な変化になる可能性が高い。

ま、もともと香港島はアヘン戦争後の南京条約で英国に永久割譲された土地である。1898年には九龍以北、深圳河以南の新界地域の租借にも成功した。それが1997年の租借期限到来に併せ香港島もまた中国に主権移譲されることになった。確かに「一国二制度」という「約束」があったにせよ、香港がその他中国と次第に融合していく流れを止めうる法理が確固としてあるのかどうか。小生は疑問なしとしない。

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以下のような主旨の言論(?)がネットには多々出ているようだ:
いくら(私が?)警告しても中国市場で利益を追い求める日本企業がある。「あなたたちは、なぜ人権弾圧に加担するのか」と言いたい。
 チベット、ウイグル、香港……等々、北京政府は人権抑圧政策を続けている。南シナ海・東シナ海で「力による現状変更」を目指している。そんな中国共産党の政策に貢献する日本企業は、要するに、自社利益のためには「どれほど人々が弾圧されていても自分とは関係がない」と。そう思っているものと解釈できる。
考えてみれば、戦前期の特に1930年代以降の日本を世界がみていた視線と、いま世界が中国共産党をみる視線とは、どこか相通じるのではないかと想像される。

行動が似ているなら、動機も似ているかもしれない。とすれば、いま「北京政府」を動かしている国家的動機は、一つには「危機感」であろうし、一つには「自存自衛」を目指す「国防意識」でもあろう。現象面における「侵略」は、主観的には「国防」を実践しているだけであるという見方もありうる。戦前期の日本は国防のために満州全域に「進出」したが、今の中国が守ろうとしているのは元々中国の領土であった。

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中国市場で日本企業が行っているビジネスだが、売買取引は全て日本企業と中国内の顧客、双方の自由意志によって行われる。法的に強制されて為されるものではない。自由意志によって行われる以上、日中双方の当事者にベネフィットをもたらしていることは明白である。政治は支配であるが、経済というのはそういうものだ。生産活動とは価値を創り出す行為であることを見落としてはならない。故に、日本企業が中国人を抑圧しているという見方は誤りだ。

むしろ、上のような主旨の文章を書き、投稿するという行為は、その行為それ自体として誰にどのようなベネフィットをもたらしうるのか。残念ながら明白ではない。ひょっとすると、価値を提供する行為ではなく、本人が満足する消費という行為であるのかもしれず、時間の無駄になっている可能性すらある。

ま、何らかの政治的影響を与えようという善意が幾分かは込められているのではあろう。が、この程度の日本人の善意に喜びを感じる中国本土、香港の人がどれほどいるだろうか。

確かに共産党が支配する中国で日本企業が事業展開することは、結果として北京政府を利する結果になっているのかもしれない。それに「腹が立つ」日本人もいるかもしれない。しかし、その事業は商品を求める中国内の顧客に商品を提供しようとするものだ。その事業で多くの人が喜ぶのであれば、たとえ北京政府が喜ぶとしても、正当かどうか分からない政治的イデオロギーから、一方的な非難を加えるのは「無粋」で「粗野」というものだろう。

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このところ、米国では自由な投稿を許しているというのでフェースブックが「民主主義の敵」であると指弾されている。数年前に「アラブの春」を支えた折には随分と持ち上げておいて、今度は自分たちの気に入らないというので「民主主義の敵」だと叫んでいる。実に勝手なものである。非民主主義国・中国で利益を得ている日本企業もまた民主主義の敵である、と。「民主主義の味方」はいつの間にこんなに「粗野」になってしまったのだろう。民主主義も腐敗することを忘れるべきではない。

高貴な君主制と腐敗した民主制と、プラトンは大著『国家』の中で前者に共感をもっているのではないかという叙述をしている。小生も同感だ。しかし、高貴な君主制と高貴な民主制といずれが勝るかは予断を許さない。現代世界の常識では、君主制は腐敗しやすいのでダメだという考え方をとるが、時代と技術は変化している。未来永劫に民主制が最高の政体であるという命題はまだ証明されていないのではないか。モラルや価値観ではなく、実証科学として考えるべき問題だと思う。



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