自然にMacintoshを日常的には愛用することになり、日本語原稿もMacのMicrosoft Word・Sweet Jamという組み合わせで編集するのが常態となった。単純な計算作業では、所内のFACOMと併せてMS-DOSで動く統計ソフトSASやLotus1-2-3を使わざるを得なかったが、使って楽しいのはMacのHypercardであるという時代は、その後どれほど続いただろうか。少なくとも小生が北海道の田舎にある大学に移ってくるときには、Se/30を手放さずに持ってきたから、Mac離れをしたのはWindows98が出てから後の事だったろう。
世紀の変わり目の頃は、大型計算機センターのMVSでJCLを編集して動かし、新規に調達したSun、それからLinuxにWindowsと、あらゆるOSとマシンが混在して、本当に使い分け、使い込みに迷ったものだ。使わずじまいだったのはDECのVAXくらいなものだ。それがいつの間にか、現在のWindowsへと手元のPCは一元化された。それに最も与って主たる要因になったのは、言うまでもなくGoogleやMicrosoftの(更にはAWSもそうだ)クラウド・サービスである。一回りして元に戻った感じだが、まあ一口に言えば、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼへと至る弁証法的発展過程そのものであるのがコンピューター・システムの発展史なのだろう。
Macから離れようと思ったとき、手元のMacはQuadra840 AVに置き換わっていた。その頃になると、流石にWindows+Intelマシンの相対的優位性が否定できなくなった。Visual StudioやVisual Basic、.NETとWEBアプリ作成、本ブログの副タイトルにもなっているEラーニング教材作りを進めるのはWindows機の方が楽しくできた。更には、Excel VBAや"R"との相性などなど、変わるWindows、変わらないMacintoshという感覚があった。
しかし、こんな感覚はすべて仕事との関係から感じたことである。
仕事というのは、仕事に没頭している時は「仕事こそ自分の分身でこれほど自分にとって大事な事はない」と感じるが、仕事にいったんキリをつけると、実はさほど大切な事柄ではなかったという剥き出しの事実に気がついてしまう。なるほど「自分の家は自分の城」である。が、本当は生活が楽しくなければ家があっても仕方がない。食事はなるほど大事だ。グルメにもなる。が、食の役割は栄養であり、病気にならないことが大事である。衣食住と仕事の意義は実は裏腹の関係にある。いったんキリをつければ、執着を離れ、自由が戻る。仕事とは執着であったと感じたのは最近の事である。
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大阪では、MacのQuick Basicで音符を並べ、Bachのカンタータをハイパーカード上で鳴らすようにしてみたりした。Macというパソコンは確かにビジネスツールというより、消費財であった、な。その研究所の電算機準備室にいたM氏は、小生が電算機管理の責任者(?)を任されていたこともあって、一日に何度も話をする情況であったが、Macから流れるバッハを聴いて『これ先生の仕事となにか関係してるんですか?』と。
仕事一途にはなりきれなかった点こそ、小生の最大のウィークポイントであった。
研究上の成果を出したいのであれば余計なことに興味をもって遊んではダメだ。かといって、狭い範囲に関心を限定してしまっては視野が狭くなる。この辺は本当にバランスをとるのが難しい。
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そのM氏も随分前に亡くなってしまった。結局、世話を掛けたり、呑みに連れて行ってくれたりして、せんじ詰めれば、やってもらった事ばかりである。
多忙でストレスに満ちた日々もいつしか終わり、非常勤の仕事をノンビリ担当するだけとなり、いま心理的には《Long Vacation》だ。
業績は仕事から生まれる。が、記憶に残るのは遊びの方である。これは実に不思議だ。その遊びをともにした人と、Long Vacationをともに送れないことは、人の世の縁とはいえ『思い悄然』という白居易の詩句こそふさわしい。
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