俳句は「芸能化」に成功して句作に励む人も増えているようだが、詩を読んだり、まして自分の心情を詩で表現して、発表したりする人がどのくらいいるのだろうか。現代社会では発表の機会には事欠かなくなった。にも拘わらず、いまネットで自作の詩を発表している人を小生はほとんど見たことがない。
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学生であった時分、
春の岬 旅のをはりの鷗 どり浮きつつ遠く なりにけるかも
詩集『測量船』の冒頭にあるこの短歌に心を魅かれた。
修士課程にいたころに父の病気が分かったときは
海の遠くに島が…、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。約束はみんな壊れたね。海には雲が、ね、雲には地球が、映っているね。空には階段があるね。今日記憶の旗が落ちて、大きな川のように、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が…、ああ哀れな私よ。
この下りを何度も読み返し、その前後を暗唱できるようになった。
その後、小役人の道を選び、父を亡くし、カミさんと結婚をして、母を亡くし、子供を育てることで20年間余りを北海道の港町で過ごしてきた。
役所を辞める頃、
こころざしおとろへし日はいかにせましな冬の日の黄なるやちまたつつましく人住む小路 ゆきゆきてふと海を見つ波のこへひびかふ卓に甘からぬ酒をふふみつかかる日の日のくるるまで
『一点鐘』にある作品「志おとろへし日は」を何度読んだことだろう。
最近、目をひくようになったのは『艸千里拾遺』の中の「秋日口占」冒頭から続く以下の何連かである:
われながく憂ひに栖 みてはやく身は老いんとすらんふたつなきいのちをかくて愚かにもうしなひつるよ秋の日の高きにたちてこしかたをおもへばかなし
あとにも続くこの詩的表現にこの歳になってはじめて共感を感じられるようになった。
凡人は、やはりその年齢になるまで、その年齢になってからどんなことを想うか、感じるか、想像もできないし、したがって真に理解することも出来ないものだ。年若のうちに「何歳になったら」と考えることも数えきれないほどの回数あるにはあったが、それは想像であって、現実にどうなるかということとは全然違うものである。
若いころの心情は記憶しているからよく分かる。しかし、齢をとったら何を考えるかは分からないのが人生である。人生は真の意味で「一方通行」であり、後ろは覚えているが、前はよく分からないし、それでも進むしかないのだ。
結局は、人と別れ、伴侶をみつけて子を育て、その間は仕事を出来るだけ長く続けて、カネを稼いで食って、寝る。これ以上のことで、人と人とが真の意味で共感できることは、驚くほどに少ない。
にも拘わらず、心にしみとおる詩を表現できる詩人がいるということは、ある意味で驚異であって、これほど有難いものはないと思っている。
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息子というのは何歳になっても自分の父親と時々は会いたくなるものである。だから親は長生きできるなら、親としては用済みだと思えても、いてあげる方がよい。
今日は小生の父の命日になる。
それにしても、三好達治は相当のナルシストである。いま読むとそう思う。大正に青春時代を過ごし、昭和前期に壮年を迎えた世代は、大なり小なりそうであると思う。一つの世代にはその世代の共通語、共通感覚があるものだ。
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