2020年7月24日金曜日

一言メモ: ひょっとすると「政策立案システム」が壊れてしまったのか?

新型コロナ関連:

発症した患者の診療行為に付随するPCR検査は、「病気治療」であるので保険を適用し、原則民間検査機関が対応する。検査能力に量的不足が発生すれば、財政面で支援し新規参入を促したり、効率化のための設備投資や機器交換を支援するといった措置も要るだろう。

病気治療ではなく、本人の希望で行われるPCR検査は、これも一般病院で受け付けることを原則とする。が、「任意検査」は「人間ドック」と同じく健康意識に立つものなので「治療」にはあたらず、100パーセント自己負担とする — 但し、勤務先あるいは共済組合等が一部を負担しても可であるし、「安心感」を広く醸成するため時限的に財政が負担することもアリだろう。

ここまでは民間の医療サービス業の問題だ。可能な限り、業態も設備投資も自由化する方が需要供給調整にはよい。規制や慣行墨守は不均衡を長期化させる。

他方、クラスター追跡、集団検査は、病気治療とは別に感染予防・公衆衛生上の観点から実施される行政行為であり、保健所が専担する公務となる筋合いである。当然、公務執行妨害は処罰対象になる理屈だ。

必要となる法改正があれば粛々と改正をするという手順になる。

(小生の)古ぼけた常識では、当然、こんな理屈、こんな仕分けになるのではないかと思われるのだが、いっかな日本の行政機構は中央、地方が入り乱れて、ゴチャゴチャ状態で、問題解決に向けての前進速度が「圧倒的に」不足している印象だ。

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バブル崩壊後の金融パニック発生時に、緊迫する政府部内で政策の設計図を起草したのは担当課の課長補佐だった(と聞いている)。日本の中央官庁では担当課長補佐が原案を書くのが慣行になってきた。省内でその原案を揉んで練りこみ、関係省庁との調整作業も行うことで、政策立案は完全な内容になる。

政治家は政治に責任をもち、官僚組織は行政執行に責任を負わなければ結果が出る理屈がない。ま、言葉の定義通りの事だから、当たり前のことか・・・

そもそも「選挙」を怖れ、有権者の顔色を常にうががう政治家に、自由な立場で政策立案ができるはずがない。選挙とは無縁の官僚の提案に『そんなことが出来るわけがない』と、穏便にことを進めようとするのもまた政治家なのである ― もちろん「一般的に」、だ。

政治家は出るべき出番で政治判断を下す。民主的統制はこれで十分だ。制度、法律を改めて行政方針を根本的に変更する仕事は政治の仕事である。だからこそ、議院内閣制の下で立法府が行政府を監督しているのであり、選挙を通して有権者が国会を評価しているのである。

今はどうなっているのだろう。

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安倍現政権は、選挙には強く連戦連勝し、史上最長の長い政権になった。が、これといったレガシー(=政治的遺産)がない。なぜ強力な長期政権が歴史に残る政治的遺産を築けていないのだろうか。

大きな政治課題が日本にないわけでは決してない。ないどころか、今回のコロナ禍で多くの課題が露わになった。

戦後日本で定着してきた慣行的な政策立案システムを根元から壊してしまったのではないかという印象が伝わってくる。

ここまで書けば後は再現可能。敢えてメモしておく必要もないので、ここまで。


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