2020年7月17日金曜日

永井荷風の文明批評と夜の店、GOTOキャンペーン

ずっと自分は親にとって「よい子」であったと思い込んでいたところが、齢をとって時間が出来てきて、また自分の子供が成長して親の心持がわかるようになってから、実は自分がいかに「悪い子」であり、親を失望させてきたかという剥き出しの事実が、一つまた一つと、ページをめくるように思い出されてくるのは、若い時分には考えてもいなかった心理的な重荷になるものである。

齢をとると悪い夢をみることが増えるのは主にそのためだと憶測している。

まさに
樹静かならむと欲すれども風やまず、子孝ならむと欲すれども親またず
というのは、普遍的な真理である。

長命する親の晩年、大変な介護を何年も続けようとする心理的動機は、ちょうどその頃になって胸を苛むようになる「自分は決してよい子ではなかった」という罪悪感に基づくものであるに違いない。生物の仕組みは実に巧みにできているものである。

こんな偏屈な心境に陥っている時、何度読み返しても鼻につかない小説は永井荷風の作品である。この数年間、毎年夏が来ると、『濹東綺譚』を読み直すのが習慣になってしまった。この夏もちょうど読み終えたところだ。

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実は、この作品の興味深い所は、単に本編だけにあるのではなく、末尾に付されている『作後贅言』が、これまた夏目漱石の『私の個人主義』を超えるほどの文明批評になっている点にもある。荷風の文明批評は、文芸春秋社をあれほど嫌悪しているにもかかわらず、荷風自身が天性のジャーナリストである一面をもっていて、叙述が極めて具体的である。

以下の下りなどは、最近のコロナ禍に悩む現代日本社会でも参考になるだろう。

わたくし(=荷風)は東京の人が夜半過ぎまで飲み歩くようになった其状況を眺める時、この新しい風習がいつ頃から起こったかを考えなければならない。 
吉原遊郭の近くを除いて、震災前(=大正大震災)東京の町中で夜半過ぎて灯を消さない飲食店は、蕎麦屋より外にはなかった。 
(神代) 帚葉 そうよう 翁はわたくしの質問に答えて、現代人が深夜飲食の楽しみを覚えたのは、省線電車(=JR線)が運転時間を暁1時過ぎまで延長したことと、市内1円の札を掲げた辻自動車(=タクシー)が50銭から30銭まで値下げをした事とに基づくのだと言って、いつものように眼鏡を取って、その細い眼を瞬きながら、「この有様をみたら、一部の道徳家は大いに慨嘆するでしょうな。わたくしは酒を飲まないし、腥臭い(=生臭い)ものが嫌いですから、どうでも構いませんが、もし現代の風俗を矯正しようと思うなら、交通を不便にして明治時代のようにすればいいのだと思います。そうでなければ、夜半過ぎてから円タクの賃銭をグット高くすればいいでしょう。ところが、夜おそくなればなるほど、円タクは昼間の半分よりも安くなるのですからね。」
(出所)荷風全集第9巻(昭和39年版)、202~203頁

JR山手線の終電時刻は、荷風が上に記したころと同じ、午前1時のままである。

小生が暮らす北海道の港町に隣のS市から電車で帰宅しようとすれば、夜飲みに行っても、店を10時半には出ないといけない。駅についてバスに乗ろうと思えば、もっと早く帰っていなければ駅から拙宅までタクシーで何千円かを払うことになる。そもそも小生の地元の町の商店街は、夜8時になれば大半が店を閉めてしまう。それでも一部の縄のれんは開いているが、交通はすべて止まるので、どこか寝る所を確保する必要がある。地方はどこでも、マア、こんなものである。

東京から遠方への旅行を抑制しようとすれば、距離ごとの運賃上昇率を加速度的に上げればよい — この点は以前に一度投稿した。

最近の東京で「夜の店」がエラク話題に、というか批判の的になっていたが、要するに首都圏の交通事情が夜遊びをしやすいダイヤ編成になっている。運賃体系になっている。そんなに難しい問題ではないはずだ。

行政が命令する権限がない、域外を超えて移動するのを抑えるのが困難だと、愚痴をこぼす暇があるなら、これまでとは異なる方法をチャンと検討して、実行しなければダメに決まっている。責任は現場の担当者でなく為政者が負えばよい。選挙はそのために行うものだ。

同じことを続ければ、今までと同じ結果になる。

この位の理屈は小学生でもわかるはずである。






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