2022年2月17日木曜日

ホンノ一言: コロナ対応の「強者の論理」は絶対にないか?

今日の投稿もホンノ個人的な覚え書き。

いつかは何かに使う時もあるのだろうか・・・。

さて、

いわゆるメディア各社による「△△支持率」と政策の良否に関するロジックとが矛盾する場合は結構あると思うが、現在ほどこの二つが乖離しているケースは珍しいのではないだろうか?

こんな記事がYahooにあった:

“鎖国状態”とも言われる日本の厳しい水際対策。これまで、岸田首相が制限を緩めなかった理由について、自民党幹部は「支持率が持ちこたえてる理由が最初の水際強化。緩めた印象になるのがイヤみたいだな」と話します。

しかし、経済界のみならず、与野党からも批判が相次ぎ、政府は水際対策を緩和する方針を固めました。

16日現在、外国人の新規入国は原則停止です。しかし来月からは、一定の条件を満たせば、観光目的ではない外国人の新規入国が認められる方針で、一日あたりの入国者数の上限は3500人から5000人に引き上げられる方向で調整しています。

さらに、原則7日の待機期間を、例外的に3日に短縮することも認める方向で調整を進めています。

岸田首相は17日、水際対策の緩和について、会見で発表する方針です。

Source: “鎖国状態”水際対策緩和へ 経済界・与野党から批判相次ぎ(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース、2/17(木) 0:51配信


ちょうどこんな感じか:

お母さん: ネエ、コロナの感染が心配だし、うちに持って帰られても困るから、会社休んでくれない。

お父さん: そりゃ、無理だよ。俺が休んだら仕事が回らなくなるしナア・・・

お母さん: うちには子供がいるのよ、ただでさえ学校でうつされるんじゃないかって心配だし・・・

お父さん: 子供はうつっても軽く済むから大丈夫だろ。

お父さん: それに来週、お義母さんがうちに見えるって言ってるでしょ。お義母さん、もうお年だし、うちで感染して、重症になったらどうするの?3回目のワクチンだってまだうってないのヨ。

お父さん: そんなに言われてもなあ、だからって仕事を休んでサ、それで契約をとれなかったらどうするんだ?会社が困れば、ボーナスだって減る、ローン返済だってある。あとで困るんだぞ。

お母さん: あ~あ、もうみんな一斉に会社を休むようにって国が言ってくれないかしら・・・

お父さん: 無茶をいうなよ。外に出るなって言うなら、お袋に今は来るなっていう方が手っ取り早いサ。よし、今から電話しよう。

お母さん: そうね。まずは、それからネ。

確かにコロナに感染するのは困る。しかし、仕事を停めるわけにはいかない。停めれば《メシの食い上げ》だ。「貯金を取り崩せばいいだろう」と言う人もいるが、ローン返済によって純資産が増える以上、返済は立派な貯蓄である。貯金は増えていないが、借金返済という形で貯金をしているのだ。その上さらに貯金を引き出せというのは、敗戦直後の日本人が送っていた「竹の子生活」と同じである。

21世紀のこの日本で「竹の子生活」をすればイイとのたまう人物がいるのは、小生、不可思議に感じている。

お父さん: 大企業で口先仕事をしていりゃ同じ給料を稼げる人間と俺たちとは違うんだよ。

お父さんのこの言葉がいまの現実を説明しているのではないか。

感染抑制を名目に国と社会が経済活動を抑制してもあまり困らない人たちがいる。反面、国の政策で暮らしが脅かされる人たちがいる ― 営業抑制の補償をするにしても限定的であるし、全額補償をするにも社会的反発が強かろう。

コロナはリスクの顕在化である。地震や火山の噴火、水害に似ている。顕在化したリスクの損失は誰かが負担しなければならない理屈だ。被る損失の強度はその人がつくため息の回数に比例するだろう。ため息をつきながら自宅に閉じこもり人との交わりを絶って命を守る高齢者の毎日も負担の一つのあり方だ。感染して重体になる高齢者もその一つ、若くして命を落とす不憫な青年もその一つである。客が減り、売り上げが減り、店を閉じて今後の行く末に迷う現役世代も一つのあり方だ。他にも無数にある。損失の強度、負担の形態は実に多様である。

しかし要点が一つある。発生した損失を社会の中で事後的にどう負担するかはゼロサムゲームになるということだ。損失をより多く負担する階層があれば、その分だけ損失を回避できる階層がある。コロナ負担は決して平等ではない。これがポイントだ。いわゆる《世論調査》にはどの階層の意見が強く反映されているかをみる必要がある。少なくとも回答者の年齢分布、男女別分布、居住地分布が日本人全体を代表しているのかどうかをみる必要がある。家でテレワークが出来る人、対人接触をせずに済ませられる人、それに年金、配当などで暮らしているランティエ( rentier)階層など、コロナ禍の損失をほとんど負担していない人たちは、いまの暮らしの安定よりは感染抑制を強く望むのではないか。

小生にはこれが《強者の論理》に思われる時がある。損失はなにも引き受けようとしない強い立場の人がいるように感じる。

【2月19日加筆】コロナ感染は大都市圏、地方中核都市など人口密集地域に偏重して脅威となるリスクである。実際に発生した「コロナ災害」による損失を日本国内ではどのように負担したのか、というのは面白い問題だと思う。「災害発生と復旧の経済学」というのはどの程度進んでいるのだろうか。これまで興味は持っていなかった。ちょっと勉強してみようかしら。そのうち何かを思いついたらメモすることにしよう。

強者と弱者のバランスをとるためには、コロナ感染抑制を目指す行動規制による損失を平等に負担するため、緊急事態宣言を発すると同時に(例えば)

  • 金利・配当・賃貸料などの財産所得に対する分離課税率を20%から40%に(時限的)に引き上げる ― 損害補償の財源にあてるため。
  • 特に緊急事態宣言下にある地域においては、不動産賃貸料支払いの減免、また固定資産税、都市計画税の支払い猶予を行う。
  • 営業自粛対象外の企業に対して(特に従業員千人以上の大企業に対しては)臨時法人特別税を課する。また賞与支払い額を前年の(例えば)5割以下にとどめるよう要請する — これも補償の財源に充当するため。

リスクの顕在化によって社会的損失が既に確定していた以上、損失を被る人たちがもう少し広く、数多く発生していて初めて自然であった理屈だろう。

実際、小生が保有していたREIT(=不動産投資ファンド)の中にはホテル中心に資産を運用していた銘柄が含まれていたのだが、コロナ禍の中でホテル経営を支えるためホテル側が支払う固定賃料を減免したことから投資家への分配金が90パーセント以上減額された。つまり、コロナによる損失を投資家が負担したのである。

これは某投資ファンドの一例で、分配金減額90パーセント超というのは極端であるが、このような負担平等化のための方策が広く社会的に必要であったかもしれない。もし、こうした負担平等化政策が実行されていれば、強い立場にある人々がそれでも「思い切った経済活動自粛」を求めたかどうか、小生は非常に疑問に思っている。

確かに公衆衛生も《公益》には違いないが、公益は公衆衛生のみで成り立っているわけではない。

いかに感染症蔓延の最中にあるとはいえ、仕事をしていない人も多くいる日本社会で、職業活動の自由を制限することによって感染者数を抑えるとしても、社会の一部ではマイナス、一部ではプラスの作用となって帰着し、その配分が不平等である。なので、立場によって判断が分かれるはずで、実は確たることは言えないのである ― しかし、この立場の違いに配慮するワイドショーは(小生がこれまで視ている限り)皆無である。

他方、ワクチンの提供、経口治療薬の提供、検査機会の拡大、医療サービス機会の拡大は、人々の選択範囲を拡大させるのでプラスの社会的価値をもたらす理屈だ。

社会全体の価値の増進になるのかどうか不明瞭な政策ではなく、プラスであることが明らかな政策に最大限の努力を傾けるべきだという単純明快な指針がここにある ― 実は普通の日本人なら誰でもそう考えているのではないかと思う。

《強者の論理》ではなく《当たり前の常識》に沿って政策を実行すれば、当たり前のことであるが故に理解もされやすいはずだ。これが理想的な《コミュニケーション》というものではないか。

コミュニケーションが下手なのは、そもそも分かり難い事をやろうとしているからだと言える。

専門家が主役である精密複雑な政策ではなく、素人っぽくて野暮ではあるが人情をわきまえ分かりやすい政策を志向する点にこそ、議会中心の良きアマチュアリズムがあると言われる。ところが、日本は議院内閣制であるのにそんな風ではない。どこかがおかしいのだろう。



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