前回選挙で憲法改正勢力の優勢は維持された。岸田政権も憲法改正には積極的である様子である。
しかし思うに日本で憲法改正が実際に実行されることはないと(小生は)予想している。
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理由の一つは以前の投稿の標題でもあったが、時機を逸した、というものだ。もはやどの条文を改正すればよいのか、論点が拡散しすぎて最優先事項を絞りこむことも不可能になったとみている。つまり改正案を提示することが困難ではないかと言うのが第1点。
第二に、現行憲法はもう実質的には守られていない。これが事実だと思う。例えば、第9条を読んでみるがいい。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「戦力不保持」と「自衛隊」と。この二つが両立するかどうかは、戦後日本を通して重すぎる問題であり続けた。 憲法学者はもう何十年も考察を加え自衛隊合憲の論理構成に努力してきたが、普通に文章を読めば、
戦争を永久に放棄するが故に戦力は保持しない
こう書いているのは明らかだ。にも拘わらず「自衛隊」という戦力は保持できるのだという議論は、
実際に必要な事は憲法解釈でロジックを構成すればよい
という手法を選択したということだ。試しに、これまでの憲法解釈を英訳して、海外の法学者に読んでもらえばよい。
航空自衛隊は"Japan Air Self-Defense Force"だが、憲法英訳版では
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
第9条をこう書いてある。"Air Self-Defense Force"は"Air Force"の部分集合だと小生には思われるし、普通の人もそう考えるのではないだろうか。
ごく最近では、「(先制的)敵基地攻撃」の必要性すら国会議員の間で議論されている。それも憲法改正を前提とせずにである。これも合憲と考えるわけだ。
つまり、解釈によってここまで実際的な憲法運用が出来るのであれば、もはや形式的憲法改正は必要ない。現実に即応した必要な立法は憲法再解釈で可能であるというのが第2点。
最後に、日本は明治維新以来、一度も憲法改正をしていないという点もある。よく戦後の日本国憲法は一度も改正されていないという点が引き合いに出されるが、戦前の大日本帝国憲法も一度も改正されたことがない。近代的立憲国家で憲法改正を実行したことがないのは、(おそらく)日本のみである。
敗戦後に明治憲法から現行憲法に置き換わる過程では確かに明治憲法の規定に従って改憲手続きが採られた。しかし、だからと言って、昭和21年11月に公布された日本国憲法を制定した憲法制定権力が日本人にあったと思う日本人は少ないだろう。ひょっとすると一人もいないかもしれない。なので、このときの憲法改正手続きを改憲経験に含めるべきではないだろう。
日本国民が自ら権力を行使して制定した憲法でなかったとすれば、それが決して悪くはない憲法なら、それを神聖に感じ、自らの手によっては変更するまいと考えてもむしろ自然な事だろう。敗戦直後の占領下においてのみ日本は現行憲法を公布できた。平時、戦時を含め、外国の軍隊によって占領されていない時期に、日本人は憲法を改正することをしていない。100年を超える長きにわたって国民が選択してこなかったことは、今後も選択はしないだろうというのが、小生の推測だ。
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こんな投稿がネットにあった:
憲法論議と言ったら「改憲」VS「護憲」、あるいは「保守」VS「革新」が対立軸のような気がしていたが、それよりもずっと手前の段階に本質的な問題が横たわっていると言うのは、政治学者の境家史郎・東京大教授(43)だ。「ルール無視の現況が続けば、下手をすると憲法の死文化を招く危うさがあるのです」
URL: https://mainichi.jp/articles/20220214/dde/012/010/010000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220214
Source:毎日新聞、2022年2月14日(月)
何世代かが経過する中で人は現実を合理化しようとするものだ。まさに
合理的なものは現実的なものであり、現実的なものは合理的である。
ヘーゲルの名言が実証されることだろう。
自然科学者は「自然現象は因果律に従う合理的なものだ」と考える。社会科学者は社会もまたそうだと考える。それだけではなく、合理的な根拠があるが故に、76年前の憲法が死文化する現実がもたらされたと、やがて考えることだろう。
人は、どれほど過酷な環境であっても、やがて順応するものだ。
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