もう歴史の中の風景になったが、昭和30年から45年までの《高度成長》の間は、農村から都市への巨大な人口移動が何年も続いたものである。日本の産業構造は、農林水産業から工業へ、次いで商業、サービス業へとウェイトが移っていった。
その記憶が日本人の心の中に残っているためか、最近になっても、「地方経済の疲弊と東京への一極集中」という言葉をよく耳にする。何だか、頑張る大都市圏とバテバテの地方圏。そんな対比がイメージとしては伝わってくる。
しかし、高度成長時代ではあるまいし、今でも昔のような見方が正しいのだろうか?
ちょっとそれは可笑しいですゼ……昔そうだったから今でもそうだとは言えますマイ。
そう考える次第。
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今日は、極めて概括的な仮説しか書かないが、
グロースセンターとしての大都市圏 vs 停滞している地方圏、というとらえ方はおかしい。理屈として通らない。
そう思う。
大雑把なロジックを言うと、もし東京圏の主たる経済活動である中枢管理機能や高度サービス業の生産性が高く(だからこそ、時間当たり賃金も高いわけで認識としては正しいが)、かつそれら業種の生産性向上率も今なお高いのであれば、地方圏の就業者が減少し、大都市圏の就業者が増えるとき、日本経済全体の成長力は低下しないはずだ。少なくとも何年も賃金が増えないという状況にはならないはずである。
なぜなら、大都市圏、特に東京圏への一極集中は、停滞地域から成長地域への人口移動になるはずだからだ。
しかし、事実はこれに反している。
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単純に考えて、経済活動の地域間分布がそのままで、人口だけが地方から大都市へ移動すれば、人口が減る地方の労働生産性は上がり、人口が増える都市の労働生産性は落ちる理屈だ。大都市と地方の賃金格差を縮小させる要因として働く。
実際にはそうならなかった。それは地方の産業生産額そのものが減少したためだ。これは(特に製造業の)生産拠点が海外に移転したことによる。
しかし、だからこそ地方の住民は大都市へ移動して就業機会を求めた。地方から優良な就業機会が失われたが、そこで決して滞留したわけではない。もし滞留していれば、地方圏の生活が破綻し暴動が起きていただろう。移動の自由が保障されているからこそ、問題は自動的に解決されたわけだ。
地方から大都市への移動は、大都市における財貨サービス需要を増やす。その一方で、直接効果としては、大都市内の(特に流通、サービス業の)労働生産性がマージナルな意味で(短期的には)低下する(限界生産性逓減の法則!)。故に、市場価格が形成される食料品など全国商品は別としてサービス価格は大都市で割高になる理屈だ。
そのサービス部門でイノヴァティブな生産性向上努力が進めば、サービス価格上昇は抑えられる ― オフィスビルやマンションの高層化は生産性向上の努力の一環である。しかし、最近10数年間の小売価格動向をみると、大都市における生産性向上は期待したほどにはなっていない。中枢管理機能の生産性は計測が難しいが、官公庁、大企業の本社機能を含め、時間当たりサービス効率が上昇しているとは到底思えないであろう。
それは大都市圏において成長をもたらすイノベーションがそれほど進んでおらず、寧ろ停滞気味であるからだと思う。
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地方圏はどうだろう。簡単に、地方圏≒農村地域だと考えよう。
最近、顕著に報道されるのは、「高付加価値農産物」の成長である。
《高付加価値化》は、同じ販売数量から得られる賃金+利益の原資を増やすので、生産性向上と同じである。
実際、日本の農業は、15年前の《2009年農地法改正》以降、実質的に農業経営が自由化され、競争力が強化されつつある。国内の農業法人のうち「株式会社形態」をとる法人数も足元で急増している(たとえばこれを参照)。
経営形態の合理化は、イノベーションの表現形態の一つである。
いま足元では、人口が減少、もしくは停滞している地方圏で、生産性が向上している。小生はこんな憶測をしている。
一方で、大都市圏の経済活動の柱である流通、サービス業、中枢管理機能(=公的機関?)は、決して生産性が向上しているとは言えない。そんな価格構造になっている。
故に、
グロースセンターとしての大都市圏 vs 停滞している地方圏、というとらえ方はおかしい。理屈として通らない。
足元の認識としては、これが正しいと思うのだ、な。
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この10年ないし20年間で進行してきたのは、かつてリーディング産業の生産拠点であった事業場が流出し、就業機会を失った地方圏から大都市への人口移動だった。地方の生産現場はシュリンクし、大都市のサービス経済はボリュームとして拡大した。
しかし、そこで規模の経済が働いたり、新サービスが創出されたり、デジタル化による合理化などから大都市経済の生産性が特に高まったわけではない ― タワマンなど一部にそれらしいものが認められるが限定的だ。
故に、日本全体としての経済成長は停滞した。
いま足元では農村地域の生産性が高まってきているが、雇用は派生需要であり、国内農産物への国内外の需要が拡大しなければ、地方における労働需要は増えない。つまり、地方の労働需要が、大都市への人口移動を止める、さらには大都市からの逆移動を引き起こすほどには、まだ拡大していない。
都市と地方を対比するとき、産業部門ごとのコスト優位性、顧客満足度の違いは本来マチマチで、それぞれの地域で比較優位産業は必ず存在する。
いま必要なのは、かつては作成されていた《全国総合開発計画》のようなプランニングであろう。
こういうとらえ方になるのではないか。
ま、概括的だがデータ分析抜きの「仮説」である。
今となっては遅すぎるが、
2000年代初め、過剰設備、過剰雇用に苦しむ国内製造業が生産拠点を海外に移転する動きが盛んであったのと並行して、2009年の農地法改正をもっと前倒しして、地方経済再生にもっとリソースを投入しておけば、いま日本全体として直面している色々な問題(少子化、食料自給率、過疎化、etc.)も、今ほどには重症なものにならなかったかもしれない、と。そんな風にも思ったりするのだ。
こんな視点もありうると思うので、分析課題の候補として、一応メモしておく次第 ― 精緻な検証は、億劫なので、他人任せになるだろうが。
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