メディアでは、何かと言えば<コミュニケーション>の重要性を強調しているが、そもそも人間が二人いて、その二人が話をしているとして、その二人は互いに分かりあっていると言えるのだろうか? まして1億人もの人間が暮らしている日本社会を相手にして、たとえば総理大臣という一人の人間が、あるいは〇〇大臣が、「記者会見」なる場を通して、日本社会とコミュニケーションが出来るものなのか?
そもそも、人間というのは、互いに相手のことが分かりあえないのだ、と。小生はそう思っている。カミさんの心の中を本当に小生は分かっているのかと問われれば、一日中話すことがあるにもかかわらず、それでも本当には分かっていないのだと、告白せざるを得ない。
今から千年も昔に書かれた『源氏物語』が、すでに人間存在の本質を正直に描いている、というのは本ブログにも投稿している。「恥ずかしながら」、というか「小生も」というべきか、それは専攻分野によって違いがあると思うのだが、実を言うと日本文学の古典中の古典といわれる『源氏物語』を完読したのは、ごく最近の事なのだ。但し、(これは本当に恥ずかしいのだが)谷崎潤一郎と瀬戸内寂聴の両方の現代語訳を読み合わせながらである ― 一長一短なのだ。
上にリンクを付けた投稿ではこんなことを書いている:
少し前にも書いたが、『源氏物語』は全体としては恋愛物語であるが、肝心の主人公は5分の4の辺りで死んでしまい、後は孫の世代が活動する『宇治十帖』で、これは典型的な三角関係の悲恋の話しであり、主役の人物たちの無責任さが際立つ筋立てだ。
が、平安盛期の当時、男性達は漢詩・漢文・歴史の勉学に明け暮れ、同時代の藤原公任は『和漢朗詠集』を編纂している。そんな中、女流作家の日記文学が現れていたものの、『源氏物語』が描いている情景描写はいま読んでも露骨で他の作品とは異質であると感じる。異なる人物の心理は人物ごとの意識から描かれていて、登場する人物の数だけの世界があるので、互いに分かりあえることはない。家族には支えられているが本質的に孤独である。
互いに分かりあえない人間どうしは、互いに(相手の主観からは)勝手気ままに行動するものだ、というのは時代と国を超えて普遍的な真実だろう。
この真理を正直に小説世界として構築したのは、大したものだと。平安時代の京都というのは、それほど都会化され文明化されていて個人主義的な世界だったのですか、と質問したくもなるものだ。
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では、なぜ人間は分かりあえないのだろう?
近代では夏目漱石がこのテーマに真剣に取り組んだ作家だと(個人的には)思っている。
人間というのは、本質的に利己主義的で、自分勝手なのだ、という回答は凡人なら誰もが思いつく凡案である。
それほど簡単な問題ではない。
漱石の『三四郎』は、司馬遼太郎の『街道をゆく』第37巻の『本郷界隈』でも引用されていて、次の下りを読むと、ああ、やっぱり同じ読み方をするのかなあと、感じたところだ。司馬はこう書いている:
与次郎は無邪気なほどに進歩の礼賛者なのである。
かつ東京者であることを誇りとし、また”明治15年生まれ”という若さに胸を張っている。おそらく広田先生は幕末の生まれなのにちがいない。与次郎は生年のちがいで広田先生を”古い”とし、一方、三四郎に対しては”田舎者”ということで斬りすて、辛うじて自分の”新しさ”を保っている。
司馬が上の下りを書いた原文というのは、おそらく以下の箇所であろう:
丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、
「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎は簡単に、
「ぼくは二十三だ」と答えた。
「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、
「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。
「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから、明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」
三四郎も広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。
「アナクロニズム(=時代錯誤)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。
Source::青空文庫『三四郎』
URL: https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/794_14946.html
もちろん、本来の江戸っ子である漱石は、与次郎という軽薄な東京者の青年を戯画化し、本人ばかりが大真面目な阿保らしさをピエロにして揶揄っているのである ― 漱石はユーモアが豊かで滑稽小説の才能があるが、そんな人に限って、根の性格は真面目かつ冷淡であったりする。
上で引用した司馬遼太郎の下りで、”明治15年生まれ”を”21世紀生まれ”に、広田先生を“〇〇部長”、”幕末”を”昭和”と言い換えれば、現代日本社会の世相を風刺する文章としても十分通用するはずだ ― 現代日本には進歩という内実が伴っていない分、与次郎の役回りの若者は一層のこと滑稽なピエロになるが、そこまで若年世代は愚かではないはずだ。
この「十分通用するはずだ」という点にこそ、変わらない日本社会、いつまでも周回遅れで世界についていく日本という一面が集約されている。そう思うのだ、な。
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「分かりあえない」というのは、多分、個人主義が基盤にある欧米社会にも言えることなのだろうと思う ― 身体に染み込んだ体感としては共有できないが。
しかし、分かりあえないとはいえ、宇宙人と地球人とが分かりあえないレベルでもあるまい。例えば、同じキリスト教徒であり、同じ教会に行き、同じミサに参加するなら、その一点で互いに共有できる何かがあると知れるのだ。
分かりあえないとする理由には多くの点が挙げられる。
そもそも男と女は分かりあえない所が最後まで残るに違いない。身体的構造が異なり、異なった人生経験をくぐる以上、相手の身になって考えるのも自然と限界はある。男は女の気持ちが本当の意味では分からないし、女も男の心が本当の意味では分からないのである。
若者と老人が分かりあえないことも事実である。老人は、自分が若い時分の考え方を思い出すことが出来るので、若者が老人の心の中を本当の意味で理解できていないことを知っている。他方、若者は若者が憶測できる範囲で老人の心の中を理解していると思うかもしれない。しかし、そう思うか、思わないかにかかわらず、自分がまだ経験してもいない人生の段階で人は何を思うかを理解できるはずはないのだ。「話を聴く」と「分かる」とは天地の違いがある。
富裕層に育った子弟と貧困家庭で成長した子弟も、やはり本当の意味では、世界との向き合い方が違うはずであり、互いに分かりあえない所が残るだろう。
イスラム教の寺院であるモスクが今後日本でも増えていくだろうが、仏教徒とイスラム教徒は互いに分かりあえるだろうか?小生はこの点についても悲観的である。
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つまり、人は互いに分かりあえないものである、と。この認識を大前提にしながら、社会は運営される必要がある。
子の心の中を幾ら理解しようと努力しても、親は子の心の中を本当には分かっていない。この事実に驚くことも、親は自らの人生の中で経験することである。そして、この経験を通して、親は自らが親に対してしてきたことを悟るのである。
親と子ですら、分かりあえることはない。まして国民と政治家においてヲヤ、ではないか。
だから、
社会は虚構である。
繰り返し、こう書いている間は、こう考えている、ということだ。
実在するのは、個人と家族。こう書くと、例によってサッチャー元・英首相の受け売りになる。が、更に「個人と個人をつなぐ人間関係だけである、存在するのは」と、こう言えば、包括的になる。法律が定める制度は実在する人間関係を入れる透明な器のようなもので、中身ではない。
家族は互いに理解しあっているわけではない。しかし、互いを愛し、助け合っている。
これで十分だと思う。
知りもしない他人を、ただ日本人だからといって、国籍が同じだからと言って、それだけで互いに愛し、助けたいと思うかどうかなど、ハナから無理な話であろう。
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