2024年8月19日月曜日

ホンノ一言: 「10年に1人の天才!」・・・あかんナア、という感想

先日、スポーツ分野では若き天才が続出しているのに、なぜ学術分野ではそんな天才が現れてこないのだろうと、不思議な気がすると投稿で書いた。

そうしたら、今朝のこと、Yahoo!ニュースのヘッドラインに

灘高でも10年に1人の天才

こんな文字が躍っていたので、面白いと思って読んでみた。

一部分を(名前だけをイニシャルに変えた上で)抜粋させてもらうと、まず以下のような感じだ。

  京都大医学部にもっとも多く合格者を出したのは、87年の灘32人である。東京大とのダブル合格が可能だった年だ。(中略)

 「この年、灘は例年以上に優秀な生徒が多かったようです。理3合格者はほぼ全員、京大医に受かっています。このなかには、伝説的な秀才・・・O君、(中略)O君は、駿台予備学校の東大実戦模試を中学3年で受けて理3合格A判定、高校1年で総合2位、2年で総合1位をとった。

 灘の教員がこう語っている。

 「教員生活40年になりますが、彼のような生徒に出会ったのは初めて。灘高でも10年に1人の逸材です。・・・」(「週刊サンケイ」1986年11月20日号)。

URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/b89067733638f55edbea0c6ab7ea1494d4ef707c?page=2

な~るほどネエ、「天才」ではなくて、「逸材」ですかという印象なのだが、大体、こんな事が「天才」に関する記事になるのだろうか?

あかんナア

という感覚を覚えるのみ。 

ニュートンやアインシュタイン、エジソンもそうだと伝わっているが、極めて「脱俗的」で「昼行燈」のような子であったらしいが、そもそも学校の筆記試験の達人に「天才」は(ほとんど)いないはずである。

秀才が勤勉に勉強すれば解けるはずの問題が出題されるのが試験である。そこでミスもなく満点をとったからと言って、その生徒が天才であるという証拠にはならない ― 早熟であるのは確かだが。

これが普通のロジックだと思うが、いかに。

モーツアルトが音楽の天才であったのは事実だと思うが、「天才」という点ではメンデルスゾーンの方が一枚上だったそうだ。「万能の天才」だった(とも言われている)。長寿に恵まれなかった点もモーツアルトと共通している。しかし残された作品群を聴く限り、メンデルスゾーンがモーツアルトを上回る超天才だと感じる人は(音楽家、音楽愛好家を含めて)意外と(?)少ないのではないだろうか?

まして、知識・技量を吸収している弟子である時分に「彼は天才だヨ」と師をうならせる人物が、ホントに天才であると後に判明するケースは、レアケースだと思っている。天才を天才だと見抜く師の力量もまた天才的でなければなるまい。勤勉で早熟な秀才はすぐに分かるが、つぼみの頃の天才を見抜く眼力をもっている人は少ない。

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