2024年8月15日木曜日

断想: 迷子になった夢をみるわけは?

よく見る夢に旅行の夢がある。と言っても、ギリシアや南太平洋で遊んでいる夢ではない。日本国内の大都市圏を走っている近郊電車に乗っているのだが、乗り換えを間違えるか、行き先を間違えるかで、どうすればいいのだろうと車内の路線案内図をみて思案にくれている、と。そんな「プロット」の夢が非常に多い。今日みた夢もどこかのターミナル発の快速電車を乗り間違えた夢だった。目が覚めてから、失望ではなく安心するのは、幸いなことだ。


20代半ばでまだ大学院にいた時、父が癌を患った。それからの家族は、迷子になったと同じような気持ちだった。

ゆき暮れて 木のした陰を 宿とせば

   花やこよいの あるじならまし

自分が直面した課題が大きすぎて、自分が何をすればよいのかを真剣に考えようと思いつきもしない小生は、こんな和歌を口ずさんでは、苦悩から逃避していた。母は情けなかっただろう。役に立たない息子の典型である。

恩師のふとした助言で、いまはない某官庁の小役人になった。父が亡くなったとき、職に就いていたのは、収入的にも、分析技術を磨くうえでも、幸運なことであった。

ただ役人稼業には適していないという自意識から逃れることができない。何だか「お客様」のような感覚しか感じられないながら毎日深夜の帰宅が続いた。無味乾燥な仕事に疲弊する感覚が高まり逃げたいという思いが募った。父を亡くし淋しさにしおれる母と話す時間がほとんどとれない毎日が続いた。たまの出張で土地の土産を買って帰っては母に見せるのがつかの間の時であった。その頃の母が小生をどう思っていたのかもう聞けないのが残念だ。

淋しがる母を住み慣れない取手市の公団住宅に置いて、岡山県庁に行けと命じられて赴任したが、それも独りになりたかったからである。両親を失っていたカミさんを知ったのはその頃である。

カミさんと一緒に東京に戻ってしばらく柏市の官舎に住んでいた。近くに住む母の家に幼い愚息を連れてもっと遊びに行けばよかったと、いま後悔してみても、どうしようもないことだ。

関西にある大学に出向した3年目に役所を辞めて北海道の小さな大学に移ることを決めた。その前に母は癌で亡くなった。だから、小生たちが北海道で暮らした歳月のことは母は知らない。


いまになってこう振り返ると、文字通りに

〽道に迷オって~ いるばかりイ~

結局、こういうことだったのか、と。ホント、歌の文句のとおりだった、と。バカで愚かで役立たずだったネエ、と。

今までは 孝行息子と 思いしが

    不孝のみえぬ 馬鹿でありけり

数日前に岬を回って近くのショッピングセンターまで歩いた。

ほの涼し 山あぢさゐを うゑし庭

浜風の ふく道のべの 白芙蓉

この町に暮らして32年がたった。もう道に迷っているとは言えない。しかし、主観的にはまだ、何かを探している気持ちに近いのかもしれない。 夢はそのせいだろう。


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