最近、司馬遼太郎の『街道をゆく』を何度も引き合いに出している。
ずっと昔の若い時分に(全巻とまでは行かないが)相当割合を読んだのだが、奈良旅行が契機になって第24巻『近江散歩・奈良散歩』を読み直し、その後芋づる式にもう10冊以上を読み直した、という情況に至っている。
全部で43巻ある。各巻の概要はAmazonでも分かるがホームサイトが便利だ。筆者の司馬氏が挿絵画家の須田剋太氏と一緒に旅行をした時期は、1971年から1996年までの25年間に及んでいる。紀行文を書く時代背景もシリーズが続く間に大きく変わった。その変わりゆく時代の中で、筆者が述べる社会観の変化や、ずっと変わらぬ人間観を読み取るのがこれまた面白いのだ。一口に言えば、司馬氏は作家というより文字通りの意味でジャーナリストであった、いま読み直してつくづくそう思っているところだ。
いま第4巻を読んでいて、ちょうど京都の鞍馬街道を北上して花背に来たところなのだが、鞍馬というと高野聖ならぬ願人坊主が有名だ。ここでは「スタスタ坊主」という呼び名もあったことを紹介している。筆者たちが旅行したのは1972年の9月であるから52年前になる。ちなみに小生は実際に見たことはない。
その中に、(例によって)奇妙に現代性を帯びた下りがあったので、引用させてもらう。
伊勢の御師、空也念仏、高野の聖、それに馬聖――虚無僧のこと――などが室町期から戦国を経て江戸期までさかんに活躍する。かれらはなにがしかの宗教的行為をすることによって銭や食物を得るのだが、これらのほかに江戸中期になってスタスタ坊主というのが世の中に群がり出てきた。願人坊主ともよばれた。
(中略)
六、七人が、群れをなして歩いてゆく。それもスタスタ歩いてゆく。いでたちは異様であった。頭を向う鉢巻で締めあげ、上半身はハダカである。腰にシメナワをぶらさげている。右手に錫杖をつき、左手に扇子をひらいていた。ふつうはスタスタと歩いている。(略)
急に声をあげ、どっと駆けだす。急に駆けるというのが、スタスタ坊主のみそらしかった。町なかで大坊主がハダカで群れ歩くさえ人目をひくのに、にわかに駆けだせば家々から人がとびだすに相違ない。 「はだか代参代参」 と、口々に叫んでゆくのである。代りにお詣りするぞ、代りに寒中行をするぞ、という意味であろう。もっとも時代によっては「まかしょ、まかしょ」と叫ぶこともあったらしい。まかせてくれ、まかせてくれ、ということらしい。
この下りを読んで、つい現代日本で市場が拡大しつつある<退職代行サービス>を連想した。
明治維新前の近世日本では、宗教行事が現代日本とは比較にならない程の重要性を占めていた。健康や事業拡大、果ては人生の幸不幸までが、参詣や△△参り、普段の喜捨、寄付によるものと信じられていた。迷信と言えばその通りであるが、迷信という概念に該当する人々の非科学的な観念は、現代日本においても多々残っていると小生は観ている。
江戸の昔、実際に遠方まで巡礼するのは、非常な時間とカネがかかる。誰にでも可能な消費ではない。そこで、総本山としては営業部隊を各地に派遣して参詣代行サービスを展開するチャンスが生まれるわけである。現代日本で言えば<リモート参詣>に当たるだろう。お布施はクレジットカードで送金すればよい。
江戸時代はこんな技術はなかった。しかし、必要な参詣を済ませて安心したい。参詣は不可欠の手続きであるが、面倒である。だから代行をしてもらう。カネを払って「やってもらう」。やってもらってそれで済むと考える位には、そもそも舐めてかかっている。
これは(本来は)自分自らが行うべき退職手続きを他人に「やってもらう」。カネを払って代行してもらう選択と同じである。
ビジネスモデルとしては同じではないか、と。
需要が供給を生み出すのである ― 行政による規制さえなければ。
現代日本ならば、例えばGoogleで<退社代行>と検索すれば、【比較】退職代行サービスおすすめ人気ランキングが、直ちに返って来る。これが現代標準のプロモーション技術である。
明治維新前の日本には、もちろんGoogleがない。故に、生身のスタスタ坊主が江戸なり大阪の目抜き通りを、上半身ハダカでスタスタと集団で歩く。好いタイミングで一斉に走り出し、大声で「まかしょ、まかしょ」と叫び回って、大衆の注目を集める。
「まかしょ」というのは、現代日本から類似例を探せば、例えば
ポンポンスポポン……ポンス…ポンポン……!
ポンポンスポポン!ポンッスポンポン!!
ポンポンスポポン!!!ポンスポンポン!!!!!!
日清食品がテレビCMでやっている日清チキンラーメンの《キラーワード》になる。
こう考えると、日本の小売り産業のプロモーションは技術的には進化しているものの、そのロジックは江戸時代とほとんど同じことをやっている。大前提である消費者ニーズが江戸時代と現代日本では違うだけである。
違いはほんの少しだ(と言えるかもしれない)。
消費者のニーズをとらえることが出来るかどうかで小売りビジネスの成否が決まるわけだ ― ここで話しているのは宗教サービス、つまり宗教活動のはずなのだが。つまり
「顧客価値」をどう認知するか?
である、な。
こう考えると、江戸時代の日本においても、ビジネススクールの標準カリキュラムが有効性を発揮しそうである。ふ~~む、資本主義的生産様式は近世日本でも理屈としては生まれつつあったのではないか・・・ここまで考えると、何だかウェルナー・ゾンバルトのような歴史学派経済学が議論できそうである。
やれやれ、日本の流通産業はずいぶん進化したと思っているが、その本質は同じなんだネエ、と。そう感じた次第で、覚え書きとしたい。
『街道をゆく』は、イイ機会だ、この際だから全部読むかという気になっている。これから当分の間はこんな覚え書きが増えそうだ。
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