すると、また今日も記事が載っていた。曰く「ちゃんと言わないと、若い人の教育上具合が悪い」。退陣時期を明言しない菅首相である。首相が、再生可能エネルギーの全量買い取り制度の早期導入を指示したことにも「整合性・透明性に欠ける唐突な意思決定」と不信感を示し、「(それは)エネルギーの高騰に結びつき、日本企業の足かせが増える」と指摘したとのこと。「このままでは海外に出ざるを得ない状況になる」。つまりは、この点こそ今日の経団連会長記者会見の眼目であろう。
米倉会長の発言は大変に明確である。「福島第一原発の責任は東京電力にはない。全て国策に基づいて行ってきた事業である。責任はすべて国にある」、そんな趣旨の意見を表明しているし、「総理の座にこの先座って何をやるおつもりなのか?一体、何の役に立つのか?」そんな発言も、先日、報道されていた。
いやあ、おっしゃいますねえ。胸がすく気持ちを覚える人も多かろうと推測する。しかし、ライバル、敵国ならいざ知らず、同じ国の財界の重鎮に「何の役に立つのか?」といわれる総理大臣は稀だ。しかも、そう言われて、今なお辞めずに居るというのは、やはり民主党政権が反経団連の立場に立つからである。そう考えるのが論理というものでありましょう。全くもう、酷評を通り越して、侮蔑である。この発言をめぐって、大手マスメディアが全く騒然とならず、首相官邸サイドから怒りの反論が為されるわけでもなく、いわば言われっぱなし、攻撃されっぱなし。これでは、逆に首相には何か腹に一物あって、「今は言わせておけ」とでも言いたげに見えるのは、小生だけであろうか?
こんな報道もあった。
再生可能エネルギー法案は、太陽光や風力など自然エネルギーによる電力を、電力会社が固定価格で買い取る制度を導入し、これらの普及を促す内容だ。菅首相は15日「この法案を通さねば、政治家として責任を果たしたことにならない」と力説。同法案の成立を退陣の条件に掲げた。
同法案に以前から熱心だった民主党の岡田克也幹事長は、16日の記者会見で「私にとっても最優先の法案だ」と首相に同調。経済界には「電力料金引き上げにつながる」との慎重論があるが、岡田氏は16日、経団連の米倉弘昌会長に電話をかけ協力を求めた。
ただ、経済界の懸念を背景に、自民党のみならず民主党にも同法案への慎重論は根強い。前原誠司前外相は16日、国会内で開いた自身のグループ会合で、首相の自然エネルギー重視姿勢について「経済失速に追い打ちをかける」と懸念を示した。一方、公明党など野党側にも、超党派で法案成立を求める動きがあり、法案を巡る政界の空気は複雑だ。
(出所:毎日新聞 6月17日(金)9時3分配信)どうも、そう思われてしまうのは、菅民主党政権と伝統的輸出型製造業をコアとする「財界本流」との権力闘争が繰り広げられつつある。そう考えるのが、現在の日本を見る正しい視座なのではあるまいか。そう考え始めている。
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日本の首相は余りにも短命である。よく批判されますね。本当は、もっと長期間安定的に首相とその内閣が一貫した政策を実行する方が良い。そう言われます。
しかし、最近、小生は違う見方もあるのではないかと思うようになった。
内閣が、使い捨てのように交代するからと言って、日本国の社会や経済までが不安定化しているとは、どうしても感じられないのだ。また不安定化していると、データから裏付けられているわけでもないと思うのだ。
寧ろ、日本のマクロ的な経済パフォーマンスは、(極めて良いとは言えないまでも)良好である。もちろん成長率が低い。デフレで利益が出ない。給料が減っている。一人当たりGDPでも世界的順位を下げている。それは認めなければならない。しかし、成長率が低いのは、労働力人口が減っているからである。人口1億から人口7千万になれば、合計生産高は減るだろう。マイナス成長はやむを得ない。一人当たりが大事だ。この順位が落ちている。悲観的な人は、よくそう口にする。しかし、ちょっと調べれば、金額を実質的な生活水準へ調整する方法でいくつかのやり方があるものの、どの方法でも概ね日本はフランス並みである。デフレで給料は減額されているが、世界経済はドルで取引されている。ドルベースで自分の給料を測ってごらんなさい。随分、この10年で増えているはずです。経常収支はずっと黒字。海外資産はどんどん増え、いまや商品貿易の黒字より、資産運用の黒字の方が大きいくらいだ。増税、公務員給与引き下げ、年金カットで混乱しているギリシア経済の惨状をみて日本人が慄くとすれば、それは少し違うとは思いませんか?
この30年間、首相は頻繁に交代しているが、日本国の選択を事実上決めている、いわば日本国内で真のヘゲモニーを握っている組織・人間集団は、実は極めて安定的に代替わりしてきているのではないか?だから日本国全体として、同じ経済戦略が選ばれ続け、経済制度は安定し、やることも同じで、ずっと来ているのではないか?日本の国会議員や政治家、それに内閣をとってみても、彼らは日本国の真の支配組織の利害に沿った政策だけを立案し、何か新しい政策を推進する時には、彼らの利害損得を確認のうえ、ふるいにかけてから法案を提出する。そのように日本という国は運営されてきた。だとすると、内閣は不安定でも、政治行政は安定的に運営される。そうではないかと考えるようになっているのだ。少し「共同謀議論」すぎますかね?
アメリカには<軍産複合体>という言葉がある。軍と産業の共同利益に反した政策は選択されない仕組みを指している。日本の真の権力構造は何だと思いますか?小生は、財閥系大企業集団をピラミッドの頂点に構築されている企業集団。そのトップマネジメント層だと見る。学歴的には東大や京大、早慶などブランド大学の主として法学部、経済学部を卒業して、総務部、企画部、人事部を歴任し、組織内で出世し、現在は取締役、代表取締役を構成している人たちです。その集団全体は<政党>ではないが、彼らにとって望ましい経済制度、望ましい価格体系、望ましい取引慣習について、特定の主張を持っている。それは、実際に政策化され、現在の日本国のいろいろな制度となり、その制度の下で官僚は行政を進め、政治家(自民党です)はそれを認めてきた。こうした全体を、戦後日本の<55年体制>という言葉で形容する専門家もいるし、官僚主導の経済システムという面に着目して野口悠紀雄氏のように<1945年体制>と呼ぶ人もいる。
呼び方はどうでもよい。小生は(個人的には)「財界本流」という呼び名を愛用しているのだが、明治大正と発展し、1930年代前半には金解禁、世界大恐慌による倒産の嵐の中で集中度を高め、それと同時に重化学工業化の波にも乗り、帝国陸海軍とも結びつきながら、企業集団として成長した。新興財閥も吸収しながら、戦後には、紆余曲折を経て、企業集団として復活した。そして、日本株式会社とも呼ばれるようになったこの利害集団全体を、政治経済ヘゲモニーとして見ると、不安定どころか明治維新の時代から一貫して、日本の政治行政を支えてきた岩盤であったと思われるのだ。
政治が、真の意味で不安定なら、普通、政策も不安定だろう?日本では、内閣が変わっても、政府がやってきたことは極めて安定していた。それは権力が安定していたからだと見るのがロジカルである。
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その真の権力と正面衝突しつつあるのが現内閣である。小沢一郎は、政権を奪取したあと、経済界を二つに分断して、新興企業勢力を民主党の支持基盤にするという戦略を採らなかった。むしろ自民党を支持してきた財界本流をまるごと取り込むという戦略を採っていたように(小生には)見受けられる。これでは、単なる「政治的ハイジャック」である。小生が民主党に一番失望したのはここである。
ところが(何を血迷ったか、本気なのかは知らないが)小沢一郎が採らなかった激突路線を、菅内閣は敢えて選びつつある。そう見えるのですね。米倉会長は住友化学の会長であり、石油化学工業協会の会長だ。新エネルギーの全量買い取りなど、賛同するはずがないではないか。電力価格が急上昇すれば、重厚長大型の素材産業が日本にいられなくなるのは必然だ。現にそう発言している。岡田幹事長が、電話をかけて協力を要請したというが、ハイと言うわけがない。もちろん、会長が自社の利益を度外視して、エネルギー多消費産業を海外に出して、電力不安を解消し、エネルギー低消費、省エネルギー産業がより安い素材を輸入できる機会を求めていこう。そういう選択もありうるだろう。まあ、ないとは思うが。
2009年にやっと政権をとったばかりの民主党が、日本国で本当の権力を握る組織集団と正面衝突をしようとするとすれば、それはドンキホーテと同じである。同じだと小生は思うのだが、このラ・マンチャの男、意外にずる賢く、衝突するはずの大勢力と取引をする誘因もあるのだな。だとすれば、新エネルギー推進政策は、目前の敵から資金源を奪うための戦略であり、本心から新エネルギーを育成しようとは考えていない。そうも推量できるのだ。敵を倒すために、敵の味方の嫌がることを言うっていう戦術ですね。いやあ、本当なら、ホント、狡猾だ。
新エネルギーという高邁な理想が「新エネルギー政局」という下らぬ政治ゲームに思われたりするのは、こんな理由からです。
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