2011年6月14日火曜日

日本、持たざる国?

持てる国と持たざる国などという言語を使うと、それこそ戦前期軍国主義に道を開いた元首相・近衛文麿の思想の轍を踏むことになる。

ちょっと調べ物があって、昨年(22年)版の経済財政白書をひもといた。先日の投稿では、日本の経常収支黒字の半分以上を所得収支の黒字が占めるようになった。そう指摘した。つまり、モノの輸出超過ではなく、過去の海外投資から得られる資産運用収益が急速に増えてきているのだ。―― 所得収支には、資産運用収益の他に、海外で働いた労働所得も含まれる。が、日本ではそれほどの金額には達していない。たとえば欧州大陸では、スイスからフランスに通勤する人もいるので、スイス人が外国であるフランスから給与を支給される場合も結構ある。

日本の弱点は、この海外資産の運用利回りが大変に低い点。よくそう言われる。

世界の中の富裕国は、いまでもアングロサクソン。英国と米国である。両国の対外資産運用利回りは2000年以降、大体11%という高さである。日本は、2000年代前半には6%程度にとどまっていたが、後半には7~9%に上がった。それでも傾向としては米英の半分ちょっとというのが日本国の財テクだ。(上記「経済財政白書、365~366ページ)。

日本の運用利回りを上げた要因は、地域で見るとオセアニアと中南米。意外やアジアではないのですね。対オセアニア投資など、何と年利20%。これは鉱物資源投資だ。資源価格高の恩恵なのですね。だから価格動向次第でもある。

反対に、アメリカ、EUへの投資は低利回りだ。利回りが5%になるかならないか。対アジア投資は、その中間。大体10%強の利回り水準になっている。

トータルすると日本の対外投資利回りは、2007年、2008年には、8%位まで上がってきた。リーマン危機のあった2008年には、英国の損失が巨額に達して、英国も日本と同程度になってしまった。そんな状況である(アメリカは依然として高く10%を超えている)。確かに、日本の海外投資のやり方は下手だなどと批判されてきたが、既にそれほどの遜色はないと言える。日本国内に投資をした場合の期待収益率は、安全投資の国債が1%ちょっと、東電債がこないだまで3%位ですか。これでは涙が出る。どこの企業も日本国内には事業投資したくない。それも道理なのである。

日本は、東日本大震災によるサプライチェーン寸断で生産機能が損壊し、春以降は貿易収支が赤字になった。5月など上中旬だけで1兆円を超える大赤字だ。それでも経常収支全体では、黒字を保ち、対外資産を今なお増やし続けている。6月以降は生産態勢も整い、また再び海外への輸出が再開されるだろう。海外から資産運用収益が流入する金額は今後も必ず増える見込みがある。

簡単にいうと、日本は「豊かな国」、つまり古臭い言葉でいうと「持てる国」へと歩みつつある。不思議だ。一生懸命に持てる国になろうとして、ついには戦争へと突っ走った1930年代。すべてを失ってから、やっと社会システムを改革し、今度は本当に豊かな国へと歩みつつある今の日本。考えさせるものがある。心配な点は、強いてあげれば、為替レートがもっと安定してほしい。それくらいだ。

それでもなお、日本の海外投資残高は、歴史が浅いために、小さい。対GDP比で対外直接投資残高を比べると、イギリスが断トツで60%程度をずっと守っている。ドイツが上昇しつつあるが直近で40%位。アメリカも上昇しつつあるが直近で20%位。日本は、更にその半分。上がっているが10%強だ。―― 韓国も同程度で10%位。中国はずっと低い。そうなっている。(上記「経済財政白書」364ページ)(注)フランスのデータが白書では示されていないが、元データが確認されなかったと推測する。データがあればフランスの対外投資残高も高いはずである。

上は、ストックで見た対GDP比。「これだけ財産を持っています」、そんな意味合いだ。では、投資フローの対GDP比はどうだろう。「近頃は、毎年、これだけずつ投資しているんだよね・・・」そんな目線である。これでもやはり、英国、ドイツが高い。日本はアメリカと同程度だ。―― それにしても経常収支赤字国のアメリカが対外投資!?・・・不思議ですよねえ。それは外国から低利で金を借りて、高利で又貸ししているからだ。短期借りの長期貸し。それで巨額の利益を獲得している。すごい!これこそ「芸術」であると昨日の投稿では力説した点です。アートとサイエンスを融合した金融サービスの面目躍如たるものがある。

まあ、このように日本を一家族と考えた場合、資金繰りは全く(もちろん、この世に絶対ということはないけれど)問題はないのである。頑張っている割には、投資利回りが低いのは、歴史が浅く、先行した欧州諸国が美味しい利権を押さえているためだ。残っている部分をゼロから発掘しないといけない。そういう弱みがある。

ただ、これは言える。技術革新によって実物資産は陳腐化するリスクを常に秘めている。そういう点から発想すると、トラディショナルな尺度で評価される資産を多く抱え込んでいないことは、守るべき利権が相対的に小さい。その分、思い切ったイノベーションを進めることもできる。そうも考えられるのではないか。保守的態度は、日本のような国には、決して似合わないのですよ。

日本のFukushimaが引き金を引いた脱原発のうねり。これが、根こそぎ従来型の原発事業を過去のものにしてしまうのか?それはまだ分からない部分が多すぎる。しかし、この潮流が今後10年間に進む研究開発投資を方向づけることは、ほぼ確実だ。その方向転換は、二度の石油危機に匹敵するほどの影響を生産技術に与えるだろう。省石油・脱石油が進んだと同じように、政治が声をかけなくとも、省原発・脱原発が事実として進むだろう。「成長の限界」は、こうして常に突破されてきた。その努力の一つの現われが、メガソーラー事業となって、早くも顕在化している。そう見ておくべきではなかろうか?

もちろんイノベーションとは<技術革新>だ。言葉の定義からして、現時点では、予想できない事業が今後たちあがって、世の中を変えていくに違いない。もし予見できるならば、既に着手されているはずだからだ。

そう考えると、日本の対外資産残高が伝統あるイギリスに比べて、まだまだ低水準にとどまっているとしても、それは物事の表側であって、裏側をみないといけない。それが有利に作用することもある。そう期待する余地も大いにある。今日はそう考えたいところです。

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