最初の二つだけであるなら、野党も協力を惜しまないだろうし、協力をしなければ逆に国民からの批判を受けることは間違いない。では、再エネ法案はどうだろうか?
これは難しい。まず現行のエネルギー基本計画の見直しについて、国民的了解は愚か、民主党内でも、経済産業省内においても、合意らしきものは全く形成されていない。日本社会で利用するエネルギーのあり方について、国民と企業の共通の理解がない状況で、再エネ法案が法律となり、新エネルギーへ舵を切っていくということは考えられないことだ。
そもそも停止原発の再稼働承諾を地元自治体に頼んで歩くと言っているのは国である。頼む以上は原発は安全だと言っているに等しい。
原発が安全なのであれば、既存の原発施設をどの位の期間、運転して、どの位の電力を供給し、再生エネルギーによる発電施設を、どの位の期間で、どの位まで増やしていくのか?その展望と見通しが重要な検討課題になる。その結果として発電設備投資の規模と電力料金が決まる。その設備投資の担い手は、電力会社が行うのか、かなりの程度、電力市場を自由化して多数の事業者が設備投資を行うのか?発電した電力を販売する価格は、市場の需給バランスで決めさせるのか、これまでどおり政府の認可が必要な公共料金にするのか?まあ、とにかく数多くの論点を明らかにしない限り、再生エネルギー法案だけが、一つだけ単独に、まずそれだけが可決されるという理屈になりっこないのである。
今日は、経済産業省から、商業販売額の5月速報が公表された。小売については、前年比がマイナス1.3%で、季節調整済み前月比が2.4%の増加である。前年比は、3月がマイナス8.3%、4月がマイナス4.8%だったので、対前年のマイナス幅は月を追って縮小している。足元の需要の戻りは急速で、レベル的には昨年水準にほぼ並びつつある。細かな内訳は、以下のように説明されている。
小売業を業種別にみると、自動車小売業が前年同月比▲24.4%の減少、各種商品小売業(百貨店など)が同▲2.9%の減少となった。一方、機械器具小売業が同3.8%の増加、織物・衣服・身の回り品小売業が同3.3%の増加、その他小売業が同3.0%の増加、飲食料品小売業が同1.7%の増加、燃料小売業が同1.3%の増加となった。自動車は、5月時点では、生産自体が立ち直っていなかった。他方で、地デジ対応、節電対応の機器が結構売れたそうだ。それとミネラルウォーター。クールビズ。こうしてみると、震災と津波による被害はあったが、災害から立ち直るための経済活動は、しっかりと広がりつつあることが分かる。あとは現場と個人個人がやるべき目の前の仕事をしっかりとやっていくのが、いま何よりも大事なことだと小生は思っている。
経済とは暮らしであって、平常においては経済のことが最も大事な事柄だと小生は考えている。しかし、社会のあり方が暮らしの安穏より大事な事柄になるような時代もこれまで現実にあったことだ。
国のエネルギーを主として何に依存していくかは、国家戦略そのものであるだろう。フランスが原子力を主軸としてきたことをフランス共和国として後悔するなどという事態は小生には想像できない。ドイツ連邦共和国がこの6月に脱原発に舵を切ったことを国として後悔するなどという時が来るとも想像できない。そこには国民の生存への意志が現れ出ていて、単なる損得を超える哲学が壁の隙間から漏れ光る光線のように窺い見られるのだ。日本はエネルギーをどのように得て、国民がどんな風に暮らしていけばいいのか?国民が最も豊かであるように、ですか?それは違う。国民は豊かさだけを求めているわけではない。もしそうなら、金持ちはみんな幸福であるはずだ。
総理大臣も国家の公僕であり、目の前の自分の仕事だけをしっかりと追い求めていけば、それが正しい道なのだろうか?新聞報道では、「執行部との亀裂深まる」とか、「党内孤立が決定的」等々、もうボロボロの内閣であるように見受けられる。政治家の為すべき天命が、単に多数者の利害を調整したり、国民の和を守ることに専念することではなく、日本国が将来にわたって生存していくための道を最初に切り開く努力をすることであるならば、自分が単騎突撃する政治スタイルもあながちあり得ないと断定しなくともいいだろう。まさしく「おのれ信じて直ければ、敵百万人ありとても我往かん」。男子の本懐というものでありましょう。ただいま連載中の日本経済新聞のコラム「やさしい経済学―国難に向き合った日本人」に先週登場した井上準之助もそうであるし、今週の主役である高橋是清もそうだ。
小生、ドン・キホーテは決して嫌いではありませぬ。もし本当にその人が純良の騎士ドン・キホーテであるならば。
歴史に残る信念ある政治家であっても、生存中は必ずしも評判は良くないものである。井上も高橋も暗殺されており、井上を使った浜口首相も凶刃に倒れている。同様に、現在、民主党内で総スカン状態になっているボロボロ宰相が、実は誠実なドン・キホーテであり、首相を取り巻く政治家たちが世俗の垢にまみれたポリティシャン連中であるかもしれないのだ。本人をずっと見ているわけではない一般国民は、実はそれぞれの政治家の風評しか知らないわけであって、持っているのは実は印象だけである。
本当は、昨日の投稿のようにデータ分析なき理念論争を政治の場で繰り広げることは、単に不確実性を高めるだけであって、経済的にはマイナスの影響を及ぼす。無駄な精力になるだけだ。しかし、人はパンのみにて生きるにあらず、という。それが正しい道であるなら、生活水準が低下したとしても意としない。確かにそういう一面を人はもっている。戦前期日本人は、まさにそう行動しましたよね ― 結果として、間違いであったことを事後的に悟ったのだが。
こう考えると、現在時点の菅総理の胸中は、文字通り風車に突撃するドン・キホーテの決意、というか、そう解釈しないと理解出来ない。総理が大好きだという高杉晋作が月明りの功山寺に挙兵した情景をイメージしているのかとすら連想する。
総理の次の一手は、再エネ法案に反対する政治家を何と呼ぶかである。「原発推進派」、「東電派」、「核賛成派」・・・呼び名は色々あろうが、再エネ法案に賛成するか、反対するかで、政界と経済界を分断する戦術を果敢に実行するだけの度胸があれば、これは日本の進む将来を決める分水嶺になっていくかもしれない。小生はそう思っているところである。もちろん菅直人という政治家が、阿呆なドン・キホーテとして犬死してもよいと覚悟を決めていればの前提付きのことであり、阿呆になりきれるだけの度量を有している場合に限ってのことだ。
もしそうであれば、今後の日本の復興過程は、いま現時点でイメージしている形とは、相当違った経路を辿っていくことであろう。その可能性は、いま現在の不確実性を高めることにはなるが、行く方向が決まって、国民がそのための負担に応じることで国民的統合が強化されれば、長期的にはこの20年間の負のスパイラルを逆転させる契機になるかもしれないと見ているところである。
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